2008-12-31

まずい・・まずいのですよ

病院が休みに入らないうちに・・と出かけた主人が酷い風邪に発展。
娘にも感染したっぽい・・・?

父に感染しちゃったら・・どうしよう(;。;)と思っていたのだけれど・・(トランプもしているし:参照「医学常識のウソ?ホント?」
さっき聞いてみると「なんだか喉が少しいがらっぽくなってきたみたい」とのこと!!
本人は「いやぁ、夕べ寝相が悪かったからだよ、大丈夫」なんていっているけれど・・
まずい・・、まずいのですよ(大汗
病院も休みだし・・、どうすればベストか・・、判断力が試されるなぁ。

あー、ちょっと祈ろう。(コレ読んだ人は祈って下さいまし〜!)

ソックニッターに憧れてるの

バザーとか特伝でばたばたしていたからか、じぇんじぇん気がつかなかったのだけれど、今年の「おしゃれ工房」の十一月号で嶋田俊之さんの靴下が掲載されたそうだ・・。
TVで編み方なんかも放映したみたい・・
それほどスキルなんてないんだけれど、なんだか非常に悔しひ(;。;)

だいたい、おされ工房で特集するっつーのは、あれですよ。
それなりに「キテル」ってこどでそ?

あぁー、それもなんか悔しい鹿ちゃん・・。
まぁ、目を付けていたけれど、なかなか手を付けられなかったアタシがしょぼいのねん(くすん)。

でも、まんま靴下!っていうのは編みたくなかったんだもん(って、初心者のくせに/をい)



あ、amazonマーケットプレイスで¥1,390になってる・・!!
年明けに図書館で探しててみるか。

ああぁ〜、ビックリした!

某有名SNSのあしあとに、かつての自分のハンドルとクリソツなハンドルのあしあとがついていた!
(まぁ、アタシは半角小文字だったんですけれどね)
おそるおそる(?)その方のところへおうかがいしてみると、若くて素敵なクリスチャンの女性だった・・なんか嬉しい(^^;

2008-12-29

初めてのババ抜き

父が来て三日目。
こんな形でほんの少しずつでも、不可能と思われた家族としての親愛の情が回復されていくなんて誰が想像できたろう。
年末からお正月あけまでの約十日間、一時退院した父を家に預かることを快く承諾してくれ、協力してくれる夫にも本当に感謝している。

昨日は、父のお昼ご飯のこともあり歩いて数分の近所の教会へ出かけた。
詩編103編が開かれ、メッセージの後、珍しく隣の人と一年の恵みを分ち合い祈りあいましょうとの誘いがあった。
導かれるまま祈りつつお互いの恵みを数え、思いがけず父のことを祈って頂くことになったのだが、
共に祈ってくださったご夫人はお母様をずっと自宅で介護なさってきて、今春、キリスト教系のケアハウスに送り出したのだとのこと。
こういう時に、こういう方とお話ができ祈れるように導いてくださるなんて・・と、途中から主のご配慮に涙が出てきた。

今日は父にお風呂に入ってもらいながら、仕えさせて頂くってどういうことなのかを思いめぐらせる。
洗足式なんていうセレモニーもあるけれど、こうしてお風呂のお世話をさせてもらうと、父の自尊心を傷つけないようにという配慮が大切なのがよくわかる。
それにしても、なんて痩せて色白になってしまったんだろう。
確かに大変なこともあるのだけれど、私は今、とても充実した時間を過ごさせて頂いているのだと思える。まだ三日目だからかもしれないが、楽しいし嬉しい気持ちが大きく勝っている。

お風呂の後、一休みしてから娘と三人でトランプのババ抜き」をした。
娘には初めての「ババ抜き」。ジョーカーが来たとき、泣きそうな顔になってしまい、「にっこりしていなくちゃね」なんてアドバイスしながら父は愛おしそうに笑っていた。


「お父さん、私ともババ抜きするの、はじめてじゃない?」
「・・うん、そうだね」



「おじいちゃんとトランプしてたのしかった!おじいちゃんがいてくれてうれしいー!」


うん、そうだね。おかあさんもうれしい。
それとあかさんね、このことをこんなにうれしいって思えることが凄く嬉しいんだ・・。
凄く。

2008-12-26

♪ベジ系もいいけど、クリ系もね♪

♪ベジ系もいいけど、クリ系もね♪(お懐かしククレカレー@お正月CMsongの節で)

クレオパさんとこ:本を枕に-スピリチュアルな日々
の最新記事(よりバランスのとれた福音理解とは(改訂版))から、小嶋崇さんによる『わが故郷天にあらず』の読書随想(連載)を知り、ちょっと読む。

何コレ!・・・・いいぢゃん(偉そうですね・・すみません)。
なんで今までチェックしてなかったんだろう・・。
「わが故郷天にあらず」は、百万人の福音に連載されていたのは知ってたんだよなぁー(ケチって購読していなかったんだよ)。
なんだか、むちゃくちゃ惜しいことをした気がする。

よりバランスのとれた福音理解とは(改訂版) も、先日聞いたお友達の悩み(というか訴え)を彷彿とさせられた。
それとは別に、自分も最近特にWorldlyやリベラルについて、とても考えさせられていたので、非常にタイムリー!

小嶋崇さんによる『わが故郷天にあらず』の読書随想(連載)を読んでから書籍を求めてみようかと思う。
結構長いテキストなので、がしがしコピペしてアドエスにぶち込んでおこう!(しかし、もっと品良く表現できないのかね・・あたしゃ・・)

あ!青空子猫がへんちくりんになっちゃってたんだー。インストールもしなおしだなぁ。

おきにいりblogをご紹介:はぐれベジ・貧乏派

あぁー、片付けって辛いよね・・?ね?ね?
父が来たらネットも暫くはできないかもしれなし・・ってことで、夕飯の支度までにまたしても息抜きnetなのだ(笑
んで、他人のふんどしで相撲をとろうと思う鹿ちゃんでした。
いつか、紹介しようと思いツツ、もったいなくて(?)機を逃していたblogをやっと記事に。
なんたって、今回のエントリーには「鹿課長」さんも出てきますしね(くくく)

食堂公安官・そのメシの謎を解け!! - はぐれベジ ・ 貧乏派 - Yahoo!ブログ

どうでしょう!このタイトル・・「はぐれベジ・貧乏派」!!

「はぐれベジ」ですよ!し・・しかも「貧乏派」ですよ!あーた!そそりますねぇ(え?アタシだけ?・・でもその筋では有名?なblogなんですよ)

そしてbloggerさんのハンドル名は「へろよん」さん・・、最高ですね。
今回は黍味噌に挑戦していらっしゃいます。

過去記事も、どれも面白いのですが、私は特にキャセイパシフィック航空のベジメニューを食べまくるやつは空にいる」というエントリーが気に入っています。

ただ、yahooのblogって、私の環境のせいなのか、なんだかとっても読みにくいんですよ。文章と文章の間にものすごくスペースが空いているの。これは楽天のblogを閲覧するときもやや感じるんですが、こちらのblogだとこれが顕著なんですよね。まぁ、でもそれを補ってあまりある面白さであることは保証します(って、好みの問題もありますけれどね/苦笑)。

どぞ、ご覧下さいましー。

Ravelry (ラヴェリー)

多分、明日には一時退院できる父を迎えられるんじゃないかな?というわけで、掃除や準備をしています。
んな・・わけですが、まぁ、煮詰まってしまったのでちと息抜きをば・・と、むっちゃ久しぶりに、Ravelry (ラヴェリー)にログインしてみました(^^;
こりわですね、World-Wideな編み物のSNSなんですよ。
で、んもうぅーなんっつーか、もう凄いんです・・!(ってこの語彙&品の無さ・・いいのか?をい/汗)
ravelryに熱中:ぎる庵通信/f さんや、うわさのRavelryというたえこ(山)さんのblog記、雅亮さんの関心空間:Ravelryなども参照ください。
mixiのように内部で日記を書いたりという機能は無いのですが、外部blogのRSSなどは登録できます。
興味深いのは自分の出来上がった作品や現在制作進行中のもの、これから編みたいなぁと思つているもの、自作の編み図、手持ちの毛糸や編み物本、持っている編み棒等々の情報ををデータベースに登録して管理&公開でき、それぞれ自由に閲覧できることですね。(アタシは閲覧のみで登録していませんが・・)。コメントなどもつけられます。
で、このメーカーのこの毛糸持ってる人はどんなの編んでるのかしらぁ?色違いで編むとどうなるのかしら?なんて検索すると、じゃがじゃーん!とWorld-Wideでてきちゃったりするのら(すごひ)。
そしていろんなコミュニティーやフリーの編み図なんかもある(でも、ちとこりわアタシにはまだ謎部分が多いのですが)のです。
わたしなんかは、チョー初心者なので、閲覧しまくって「うぉー!」と創作意欲を燃やされたり「はぁー、うっとり」としつつ、favoritesを増やしているだけってな段階なのですが、それでも十分面白いです。ベースは英語ですが、日本語コミュでいろいろ解説もしてくださっていますし・・。
こりゃぁ、編み物好きにはたまらんでしょうなぁ(レベルアップしたらもっと楽しいんだろうなぁ・・)。
mixiみたいにメンバーになっている人からの紹介はいらないので、トップ画面から登録して招待メールが来るのを待ってください。
今はすぐに招待メールが来るみたいです(迷惑メールに弾かれていないかチェックが必要かも)。
編み物って、ここ数年こそ「ニットカフェ」ができたりしてオシャレ度アップしていますが、ちと前の日本じゃ「オバサンクサイ」イメージがありましたよね。でも、世界じゃやっぱりこんなに人気があったのですね(しかもセンスがよくって芸術的な作品も多い!)感激。
下の画像は、homeのクリスマスバージョン♪

ホサナホーム:お祈りのお願い2

*サイドバーにも表示中です*
またかと思わず、どうか読み進めてください!(以前のお願いはこちら
24日、都庁からホサナホームに調査が入ったそうです。

年度内に工事が終わるのであれば、費用の八分の七を振り込めるが、年度をまたぐならその進行率にあわせた金額しか補助出来ないとの事でした。

3月末までに7割しか工事が終了していなければ、その金額に対しての7/8しか降りず、4月以降に残りの3割のために調査会を再度開き、支払われるのが7月くらいになる可能性があると言うのです。
また、審査結果が1月中旬ぐらいに降りると言うのも応募数が予想以上に多かった事により、1月後半に伸びるそうなんです。。。
そこから10社の競争入札とかで工事に着工出来るのが更に引き延ばされ、年度内に工事が終わる可能性がきわめて難しい状況になりました。

僕の心配は、仮に工事の納期が年度をまたぐ事になった時に業者に支払うお金が足りないことです。
また、工事に着工する前に家賃契約をするのですが、正式に工事が終わらないとそこの部屋の分の家賃も補助してもらえないとの事でした。家賃は発生するのに、、、もう少し寄付金を募る必要があるのか?それとも年度内に工事が終わる事を祈るだけなのか?プチパニックです。プチですけどね(笑)

今日イブ礼拝で応援してくれている方からこう言われました。「私も安心しきっていたの。でも神様はそこで再度祈りなさい!と言っているのね。」と。イタタタタタ。確かにそうでした、、、少し気が緩んでしまっていたのかもしれませんね、、、工事が無事終わる迄気を引き締め直して行くっす!(チャーリー「玉井」さん)


引き続きお祈りをお願いします!
また何か良いアドバイスがありましたらよろしくお願いします!

2008-12-25

クリスマス:閲覧サイトからの聖書箇所クリップ


祈りの場」 :12月 25日 (木)
 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
ヨハネ 1:1-5, 9-14

Taizeみことばの黙想:12月 25日 (木)
クリスマス・降誕日
その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。
ヨハネ 1:1-18

これらは夕べ、キャンドルライトサービスでも読んだ箇所のなかにもあり。

聖書協会siteのTop画像も「オリーブ山の朝焼け」とても美しい。
オリーブ山のふもとにあるゲツセマネはイエス様がいつも祈られた場所。
今日の聖書箇所は、ルカによる福音書 2章 1〜20

i-moode聖書のメッセージ今日の箇所
「あなたたちと共に行かせてほしい。我々は、神があなたたちと共におられると聞いたから」
(ゼカ8:23)
「主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった」
(言行録11:21)

うぅーん、さすが・・のびた先生・・

おふぃす・ふじかけ(blog) | クリスマス、おめでとうございます

賀来周一氏の言葉が引用されていますが、それをイエス様におきかえてみたら・・あ・いや、それを踏まえたうえで、サンタクロースっちゅうのがまたエエンデスかね・・。

闇は、すぐにはなくならないですよね。
「闇の中にいる者は、その闇を共にする者がいてこそ、闇の中に希望を見いだす」本当ですね・・しみじみ。
訪問先の闇を共有し、ほんものの答えを与える者としてやってくる。

その家にふさわしい訪れから・・


うん、そう!救いは家にやってくるんですよね(使徒16章30~31)

Veggy STEADY GO!の3号目が発売らしい

この雑誌、ちと興味があった(雑誌名もイカスよね/クスっ)ので創刊号をweb(fujisan.co.jp)で予約購入したからか、なんと2号は贈呈?されたようで送られてきたのでした(贈ってくださったのはVeggy STEADY GO!さんですが、HPをよく見ると2号はいろいろトラブルがあったようなので、間違ってきちゃたのかも??汗)。
でもまさか、3号目までは下さらないでしょうし・・。ナチュローでも扱うようになった様なので後でちょっと見てこようかな。
Veggy STEADY GO!サイトによると書店での発売は1月10日からなのかな?fujisan.co.jpからは最新号が発売されましたとメールが来ましたが・・。

カラーで奇麗&オシャレな雑誌なのですが、私にはちょっとお値段が高めかな。&いい加減でゆるゆるながらもそれなりにベジ暦はちとあり、どうしても押さえておきたい!という特集はないかも・・。
んー、それと鹿おばちゃんってば、もう、オシャレぢゃなっくなっちゃったからなのかもしれませんね(ーー;

編集長のblogはこちら




さて、今日は夕べのスモークチキンの残りでサラダにしようかな・・(って、それなりにお肉、食べてる「ゆるゆる」だし/苦笑)


*ああ、やっぱり画像の投稿が今イチですかね>Sccribfire
bloggerの編集画面で画像の大きさを修正しました(って、コレができれば楽勝ぢゃん!?)

娘へのクリスマスプレゼント:ありがとうのてがみ


今年の娘へのクリスマスプレゼントは「ありがとうのてがみ」という絵本。

それぞれのページに奇麗な封筒型のポケットがついていて、そこに可愛いお祈りのカード(聖句入)が入っています。

今までのところ、娘への誕生日やクリスマスのプレゼントは「おめでとう!」の言葉&ハグ、それととちょっとしたごちそうかおやつに絵本とか歌(賛美)かな。

何が欲しい?と聞くと

「お歌のプレゼント♪(CDではなくて歌って欲しいということなんです/汗)」

と満面の笑みでいってくれるのが何とも可愛くうれしかったのですが、これも今年まで・・でしょうかねぇ。

2008-12-23

近況など


先週末は父のお見舞いに行って、翌日クリスマス礼拝があり、祝会があり、今日は子どもクリスマス。

祝会のCS子ども劇と賛美(踊り付きで2曲)も良く出来て、皆さんにも好評で感謝。

子どもクリスマスは、お祈り、賛美の後「したきりすずめのクリスマス」を読ませて頂く、みんな良く聞いてくれ(開けてみると集まったのは3-6歳歳児中心だったので理解出来るかな?飽きないかな?等ちょっと心配したけれど、とってもしっかり聞いてくれました^^)大感謝。
その後みんなで、マシュマロとバターを溶かしてライスクリスピーを混ぜ入れたクランチバーを作って、固まる間に、クリスマスカード制作。フルーツポンチと出来上がったクランチバーでおやつタイム♪ちょっと時間はオーバーしちゃったけれど、楽しんでもらえて良かった。

明日はまたお見舞いに行ってから、イブ礼拝:キャンドルライトサービス。


家に居てもあれこれ電話はくるし、携帯メールはくるし、いつもの何倍でしょうか・・。
しかし、親類の伯母&叔母達みんな携帯メールに慣れているどころか、大変に盛んなのでビックリ。
装飾メールなどもあり(ーー;お孫さんたちとメールするからでしょうか?そして予測変換の進歩は目覚ましいのでしょうね。

家の掃除や準備もせねばのうぅ。
おかげさまで、わたしは元気です^^

Scribefire:ブログ更新に便利なFirefox拡張機能

(こういうのは一般的にはblogger Tipsとはちと違う気もするのですが・・アタシには個人的にblogger Tipsなのです^^;)
人それぞれでしょうが私が便利だと思うのは
Scribefire(今頃ですが・・)

blog記事の作成や公開を、blogにログインしなくても Firefoxから直接行うことができるんです。(画像はクリックで拡大)

カテゴリー別にもちゃんと分けられるし、複数のblog(を持っておられる方は)のそれぞれに投稿可能。フォントやリンク等もすいすいと選べますし、変な広告は入ってないし、公開,非公開も選べますから、思いついた時にちょちょっとメモして記事を暖めたり保留にしたりできますねー。これって、すぐにエントリーしてしまうアタシみたいなのには助かります(って、それでもついウゴっとアップしちゃって後から編集してしまうんだけれど/汗)。

編集画面がやたら複雑だとか、広告でごちゃごちゃしているblogでも、Scribefireを使えばストレスがかなり減ると思います。だいたい、私がbloggerに引っ越したのは編集画面がすっきりしていて広告が無い(特にデボメモには必須)、下書きが自動的に保存されるというところ(アチャー、消えちゃった!がないっていうのはいいですよ)だったんですが、Scribefireを知っていたら引っ越す必要もなかったかも/汗

あ、でもexciteblogはRSSフィードに広告が入るようになっちゃいましたねぇ(blog閲覧だけなら広告は無しです)。あれは反則だよねぇ。新着記事かと思うと広告なんだもの・・、なんだかがっかりだし、RSSリーダーを使う意味が無くなるし混乱を招きますよ。


Scribefireは画像を投稿しにくいのが難点らしいのですが、私のblogにはあんまり関係ないかな。Flickrとかから引っ張ってくればいいっていう人も居ますね。

んー、その他の利点としては・・アク解に自分のIPばっかりずらずら出るのを少しでも減らせるかも(苦笑)

次のサイトも参考にどうぞ。
ITmedia エンタープライズ:ScribeFireでブログの更新頻度を上げる


もっと何か無い?というあなたにはこちら↓(googleノートブックは私も大好きなツールです/でもblogエントリーにはあんまり利用しないかも)
ブログを書くのに便利な19 のFirefox拡張機能

2008-12-20

日々の聖句 Losungen2009

「人間にはできないことも神にはできる」(ルカ18:27)279版:2009年の年聖句

昨日、キリスト教書店に行く用事があって、自分用には「日々の聖句 Losungen2009」(ヘンフート兄弟団原著:ベテスダ奉仕女母の会発行)を求めた。
Die Losungenというサイト(公式)もあり、ドイツ語サイトだが聖書箇所を知るだけならなんとかなるので、買わなくてもイイかと毎年思って来た。(英語に訳されているサイトもあったのだけれど、許可が下りなくなって去年辺りで閉鎖されてしまった様)
また、palmOSにインストールできるソフトもあった(多分これは今もあるけれど、私のpalmが故障)ので、それ(英語版)を入れておいてたまに使っていて、それなりに満足?していた。
のだけれども・・
やはり冊子の方だと聖書日課(旧約は7年、新約は4年で通読出来る)もついているし、くじで選ばれたその日の箇所も、単に節だけで日本語の聖書を見ると?なことがあり、その辺りを考慮して私訳、口語訳、新共同訳などが用いられいるのは感謝だと思う。
聖書日課はヘンフート兄弟団オリジナル版には無いモノらしい。

うぅーん、なんだかわくわく(笑)
来年はこれでデボタイムを持とうと思っています。通読は日中の時間をあてる様にして、朝はこの2つの御言葉を黙想し、主の御臨在溢れ、親しい時間を持てたらいいな・・。

まぁ、買っただけで満足してしまってはいかんのですけれども。鹿ちゃん、以外とこういうの好きだったりします。・・ん?好きなだけだったりして/汗
こういうふうに使って黙想のときをもってみたいなと憧れたりもしています。

ちょっと面白いなと思うのは、今日の箇所のPhilipper 3,14 はピリピだと察しがつきますが、5.Mose 16,20 ってどこ?と調べると、申命記16:20なんですねぇー。まぁ、モーセ五書なんだから悩む事もないのか/汗

そうそう、ローズンゲンをベースにしているだろうなというメルマガはあります→i-mode聖書のメッセージ
もちろん、PCでも閲覧可能、日曜日は聖書箇所は無くてメッセージのみ。
聖書箇所は新共同訳使用。

2008-12-19

私も、私の失敗も不具合も、すべて主のものである

第二回癒しを待ち望むこと−大切な時を主と共に−
:セミナー・メッセージ集から
:

"・・しかし次の瞬間示されたことは、私は「既にイエスによって贖われた、イエスのものである」というとても単純なことでした。

贖うというのは、代価を払って買い取られる、ということです。もし私が茶色の鶏を買えば、羽の一本まで買い手のものです。怪我をすれば、その怪我も買い手のものです。

それと同じように私も、私の失敗も不具合も、すべて主のものである。これから起きる出来事の一切も彼のものである。そして今悩み苦しむことの一切は彼のものであり、彼のためのものである。私は自分のものとして私のための苦しみを苦しむ必要もないばかりか、許されてもいない。

 障害を負った体も心も、そつくりそのまま、イエスのものである。イエスが尊い体で買い取って下さったものである。

癒されるにしても、そうでないにしても、必ずキリストの栄光を顕わすようにしていただける。・・"


*ボールドは鹿子による

深谷先生の本:福祉・介護におけるスピリチュアルケア—その考え方と方法 (単行本)

深谷こころの学校」の深谷先生が書籍(共著)を出されたそう。

amazonでも3点在庫ありですね。¥ 2,310 (税込)やっぱりこのくらいはするのかな。「著者割引きで500円位の割引にはなります。(送料等のことを検討した上でご注文下されば、送ります。)」と深谷先生のサイトにありました。
内容(「MARC」データベースより)
主としてがん末期の患者に対するターミナルケアの一部として考えられてきた「スピリチュアルケア」を、高齢者に対する介護、さらには社会福祉実践の領域に広げ、実際にどのように展開していくかを考える試み。


東京ゆうかりすと教会って、実は一度行ってみたいと思いつつ、時間的な問題でなかなか行けないでいます。白金に子連れでお邪魔するのもなんですしねぇー。

webクリップ♪:日々のうつろい

いつどこで見つけたのかは忘れたのですが、いも通信というサイトの中の「日々のうつろい
という日記を月に一二度閲覧しています。
司祭の方のサイトなのですが、農業をなさっているんです。こういう働きもあるのですね。
どうして神父が百姓を?
  多くの人にとって神父と農業というのはつながらないらしく、よく「どうして神父が農業なんかするの」と質問されます。日本では一般的に、「神父」イコール「教会」というイメージが強く、教会を持たない神父というのは考えられないようです。
 神父(または司祭)には大きく分けて二種類あります。主に教会で働く教区司祭と教会を持たない修道司祭です。司祭というのは役割ですが、修道者というのは生き方の問題で、修道者は必ずしも司祭である必要はありません。日本では教会で働く司祭が足りないので修道者も教会で働いていますが、こんなに多くの修道者が教会で働いているのは世界的に見て特異です。
 その理由は、第二次世界大戦後、共産軍によって中国から多くの宣教師が追い出され、日本にもその宣教師が大勢やってきて多くの教会を建て、その教会を維持していくために修道者が教会で働かなければならなくなったからです。

キリスト教はもともとイスラエルというアジアから始まりましたが、さまざまな理由からヨーロッパで広がっていったという事情があります。しかし、ヨーロッパではギリシャの時代からの長い歴史の中で、人間と自然界がじょじょに切り離されていき、両者の間に深い溝を作ってしまいました。その結果、自然破壊や環境汚染など、ヨーロッパの科学・産業文明がこの地球に与えた傷は大きく深いものがありました。
 キリスト教の信仰も、いつしか自然界なしで考えられるようになり、信仰と自然は直接結びつきがなくなってしまいました。しかし、聖書で語られている神の世界は神と人間と自然がもっと一体となった世界を描いています。
 自然から切り離されてしまった人間が、人間本来の姿を現しているとは思えません。人間の救いを求めるものの一人として、この自然を通してもっと根本から「人間とはなんぞや」という問いかけを探求してみたいと思っています。(いも通信のプロフィール欄より)


もちろんお目にかかった事もありませんし、web上での交流も無い方なのですが「今月は世田谷区に来ていらしたんだわー」なんて思いながら読むのは楽しいものですね。

2008-12-17

ちょっとメモ:祈りについてと刈り取りのことなど

今、ここで書いておきたい事は、最近、自分が置かれた状況の中で教えられたこと(ってか、結局アタシがblogに書けるのってこういうことしかないんだよなぁーと・・。今更ですが/苦笑)
祈れる事が与えられて、それを祈れた事。
祈って欲しい事も与えられて、それを祈って頂いた事。

これが、どちらも非常に素晴らしくて「もう、これだけでいいじゃん・・」と、単純に思えた事。
このどちらもを下さるのは実に主なんだよね。

真摯に忠実に神の前に祈る祈り手。
こういう姿に、どれだけ励まされ、慰められたことだろう。(癒されたりなんかもしたかもしれない)

神様の前に素直に心を開かせて頂いて、自分が出来る限りの真実を尽くして生きていくだけでいいんだな(まぁ、それはそれでとても難しかったりもするんですが)と、素直に思えた事。

そして、詩編131編(12日のOYB通読箇所)。
うっくぅー、これは痛かった・・。
でも、正直、この詩編がここ何年かの自分の姿への反省点を象徴しているなぁと素直に受け入れられた。(何年もたっているし、その間にいろいろなところを通されたし)

「及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません。」


藤掛明先生のblog記事:誰にも「影」「混ぜ物」「弱さ」がある
を読んで、またいろいろ思わせられる。

今でもすぐに思い出せる、2年前S先生のメッセージの取り次ぎの時、はっきり語りかけがあったはずだということ。それに首を振り打ち消して進んだのはやはり「自分の高ぶり」だったんだよね。

「主に従いたい」という思い。しかしそれを「形で現したい(証としてより、自分の姿を人に見せたい)」という思いの誘惑が確かにあったという事。あっただけではなく、やっぱり自ら選択したっていうことなんですね。

またしても「刈り取り」。
でもともなって下さるんですよね。主は愛と慈しみを持って。
とはいえ、どうしようもなく落ち込み・・。

2008-12-14

暫くお休みします

いろいろバタバタしている事(先週末から父が入院していたりもします。お祈り感謝!)もあり、net関係は暫くお休みモード系にしようと思います(注:「ぜってー、やんねぇーぞ」ではないので誤解無き様/笑)。
blogコメント欄は閉じれるところは閉じる事にしました。
SNSへ頂いたコメントやメッセージ等、レスが遅れると思いますが、お赦し下さいね。
お急ぎの場合はメール(左下にアドレスあり)でお願い致します。


どうぞ、主にあってよいクリスマスをお迎え下さい。
お祈りしています。

2008-12-12

バンビのfavicon を付けてみました(^^;

細切れの時間を使い、ちょっとお試し。

やる気になっている時ぢゃないと、こういう事はやらない&老化防止にもイイかも・・ですので(^^;
バンビ画像はMOVEさんで頂いた右の元画像を加工させて頂きました(「加工も自由」との太っ腹なお言葉!SpecialThanks♪)。

やり方の参考は以下↓clmemo@akaさんのblogエントリーから。
clmemo@aka: Blogger に favicon を付けた


*Google Pages には、icoファイルがアップロードできなかったんですよね(やり方が間違ってるのかなぁ)で、FC2blogにアップしちゃいました(調べてみたらFC2ブログはアップロードできるファイル形式の中にjpgやgifだけじゃなくicoファイルも含まれているんです。なので普通に記事をエントリーする画面で簡単にup出来るんですよ、これが)で、そのURLをclmemo@akaさんのblogエントリーを参考にして、テンプレートの HTML 編集画面から、title 要素の下に二行追加して完成。

どうでしょうか?アタシには可愛い過ぎでしょうか?汗
(URLの左側を見てくださいまし〜!こんな↓ちっちゃいバンビちゃんがいるでそ?笑)



追記:バンビって、生まれたばかりの頃の「オジョー」のハンドル?だったんですよね(遠い目)
その頃のサイトドメインもそんな感じだったし・・。
まあ、ビジュアルは、哀しいかなじぇんじぇん似てないし、バンビって牡鹿だからってことで、「オジョー」になったんですが・・(ぶはっ)。
懐かしいなぁー。バンビ柄の肌着なんかもあったりね(^^;そりが、もう来春は小学生ですよ(って、この状態で本当にイケルの?ってな心配も・・はぅぅー)


ついでにFC2の過去ログblogの方も変えようかな。

Gmail アドレスを画像に


今更・ではありますが(^^;
右のようなGmailアドレスの画像の作り方は↓こちら
Liquism Gmail Signatures

拙blogの左下の様な画像にすることもできます。
同じ様なサービスは紹介URL以外にも,検索するといろいろ出て来ますよ。

これは、blogger Tipsってことではないんだけれど、blogger使用での健忘録ってことと、タグが増えすぎるのもなんなので。

Blogger に「リアクション」機能が追加できるらしいのだけれど・・

何回設定しても反映されないなぁー。(何故?)
しかもテンプレ、デフォなんですが・・。

クリボウの Blogger Tips: Blogger に「リアクション」機能が追加

自分で書き換えるやり方を試そうか・・。でもそれほど欲しい機能でもないし、また戻すのが面倒な気も・・なんて思っていましたが、以下の方法で出来ました。

追記:HTMLを書き換えるところに移動して、もともとデフォなんですが、もう一度デフォに戻す作業をしてみたら表示されました。(でも表示させてみると、以外とうるさいような気もしますね)



さぁ、次はfaviconを表示させるのだぁ〜っ。

2008-12-11

Blogger のラベル編集に関するローテク Tips

おお、こうすればよいのですねぇー。
少ないのは手動で&多いのは諦めてましたよ(苦笑)

神村的日常-Kamimura's spill of thought.: 新 Blogger のラベル編集に関するローテク Tips: "ラベルの一括編集"

画像入りでわかりやすいエントリーですね。感謝です。

blogger Tipsはもっとメモしておきたい事があるんですが・・、鹿ちゃんってばまめぢゃないからイカンのよね(反省

2008-12-10

ホサナホームの件!感謝です!!!!

ホサナホームの為に尊いお祈りとご支援、本当にありがとうございました!

ぎりぎりで必要が備えられ、11木曜日に都庁に出かけられるとのこと!
主の御業の素晴らしさをいろいろと垣間みさせて頂いて、なんだか胸が一杯の数日間でした。

どうか、11日の件も含め、今後もホサナホームの働きをお祈りに覚えて頂けると感謝です。



+メモ
今回、思いつく限りいろいろ連絡やアピールをさせて頂いたのですが、どこにおいてもシラケた感じが無く、本当にみなさん真剣に聞いてくださって、この点でも大変恵まれました。
経過のひとつひとつに、確かに主の働きである事を感じさせて頂き、このことを知る事が出来、ほんの少しでも関われたことはとても素晴らしい喜びで感謝です。

なるほど@webクリップ♪Lonely Moonchild: 祈り以外では

なるほどぉ・・と思いmemo
確かに、集会でなされる祈りで育てられてきた部分っていうのも、否定出来ないわけです。
とあるミニストリーにいるときは、これを指名されるのがかなりキツかったっけ(遠い目)。

Lonely Moonchild: http://www.blogger.com/img/blank.gif祈り以外では:
"祈る時だけでも「愛」を言えるというのが助かってます。特に食事前の祈りだと相手も見ているので。日本語だと言いづらいなら、手話のほうが表現しやすいとか。"

・・・略・・・

一般によくある黙祷だと、その個人の信仰は高まるだろうけど、他の人の徳を高めたり励ましたりすることはないです。


*雑記帳:
夫婦円満を切実に願う男性たちの「世界亭主サミット

これも↑興味深いですねぇ。
ちょっと「父の学校」を彷彿とさせますね。

原作/三浦綾子さん「したきりすずめのクリスマス」もう出版されているんですよね


ネットでも買えますね。
・Amazon.co.jp: したきりすずめのクリスマス
・ことば社:したきりすずめのクリスマス
(お!Bk1からも買えますね。今のところ24時間発送可能商品なので、JCBのOki-Dokiポイントも使えますよぉーん♪)

追記:19日、買って来ました!これ、旭川市民クリスマスの為に書かれた劇の台本がベースになっているんですねぇ。おもしろいですよ^^
絵本の後ろの方には、三浦光世さんによる「作品から見える綾子の思い」や星野富弘さんの推薦のことば(これも思ったより長くて読み応えがあります)が添えられています。これらも英訳付きなので英語圏の方へのプレゼントにもいいですよね。
お話そのものもいいのですが、ななみさんの絵がとにかく素晴らしいです!
雪の情景なんて、ほんとうに美しくて・・わたしは良い意味で期待を裏切られました(なんて、失礼かな/汗)。
娘はクリスマスのシーンと、最後のページがお気に入りだそうです。
いや,ホント何度も見たくなるんですよね。(絵がです/私の場合)

ななみさんのblogに『・・「綾子さんの文章につけるなら、
私じゃなくてもっとちゃんと経験ある絵本画家に頼んで〜〜(涙)」と思ったことも多々あり...
版元のホームスクーリングビジョンさんにとっても初めての絵本でみんなで試行錯誤の連続...』とありましたが、ななみさんの絵で本当によかったと思いました。

巻末にはHosviの出版案内が沢山あって、ノンクリスチャンの人はびっくりしちゃうかも(^^;

つづらを背負って下さるイエスさまに感謝します。

関連ネット記事
YOMIURI ONLINE:三浦綾子版「舌切り雀」、単行本に : 北海道発 :(読売 ..

*最近、読売新聞さんってクリ系記事の扱いが多い?(ってアタシが気がついたのは2件だけですが)


イラストレーターななみさんのDiaryから・・ | したきりすずめのクリスマス:
"原作 三浦綾子さん...絵 みなみななみ

三浦綾子さんが旭川市民クリスマスの劇ために書かれたすばらしい戯曲が
絵本に生まれ変わりました。
綾子さんのメッセージを私(ななみさん)の絵が邪魔しないことを願いつつ
描きました。


肩書き「イラストレーター」の私なのですが、絵がメインの絵本は
今回が初めて。(文、翻訳をした絵本はありますが)
絵本を描くには、わからないことや足りない所だらけ、
初めてお話をいただいてから1年半・・・、
どうしていいかわからずに、「綾子さんの文章につけるなら、
私じゃなくてもっとちゃんと経験ある絵本画家に頼んで〜〜(涙)」と思ったことも多々あり...
版元のホームスクーリングビジョンさんにとっても初めての絵本で
みんなで試行錯誤の連続...(続きはリンク先でご覧下さい/絵本の画像もあり)

*こちらにも画像がアップされています。


2008-12-08

谷川鹿子の「よかった探し」wreath

今年も結城浩さんのところの「よかった探しリース」に参加しました。


            
        左手さん  鹿子のよかったこと  右手さん

  • いろいろあるけれど、主にあって家族が守られていること。
  • 主にある兄弟姉妹との豊で感謝なお交わりが与えられていること。
  • ずっと祈っていたCSの再開がゆるされ奉仕させて頂けている事。
  • 牧師ご夫妻が引退後に入居するケアハウスが決まった事(寂しいけれど・・よかった)
  • いろいろな事を乗り越えつつ娘が音楽教室を楽しんでいる事。
  • 特伝にコパンさんをお招き出来た事
  • XMUG(クリスチャン マッキントッシュ ユーザーグループ)に参加したおかげでホサナホームのことを祈れ、主の御栄光が現されるのを見る事ができたこと。(しかし、また新たなお祈りの課題がありますので、どうぞご覧下さい!

  • なかなかリハにも行けないけれど、それでもクワイヤに繋がっていられた事。
  • ストーリーテリングのWSに参加出来て魅力を知る事ができたこと。

  • ネコ温度計」のクリスマスバージョン、可愛い〜でそ?(左はアドベントに入ってから、右は24日の画像です)





参加者それぞれのよかったことwebページをリンクで繋いでwreathにみたてる「よかった探しリース」は2008年11月24日〜2008年12月25日の限定企画です。ぜひ、お気軽にご参加ください。

2008-12-07

フォトジャーナリストの大藪順子さん紹介 : 大手小町にもあり

フォトジャーナリストの大藪順子さん : とれたて!ミックスニュース

大手小町にありますね。
でも、これ(この記事の扱い)じゃちょっと、ものたりないなぁ。←もっと詳しく読みたいということです。

memo:混迷の日本外交の記事 、大藪さんが各メディアにの記事

帰って来たら読む&調べる

・Laudate | 「今日」を読む:混迷の日本外交 --- 公明党の“政教一致”


・読売新聞の5日「顔」とかいうのに、STANDの大薮さんが載っているらしいので、だれか読売を購読している方を探す。

『STAND:立ち上がる選択』の著者、大藪順子氏
http://g-info.jugem.jp/?eid=214

2008-12-06

これから急遽、CSメッセージ制作

うむっ。
ついさっき、相棒のお子さんが風邪で明日はお休みになるのでメッセージを変って欲しい旨、連絡が来る。
これから明日のCSメッセージを急遽、準備せねば・・。
こういうこともあるから、やっぱり土曜日のスケジュールはなるべくゆとりをもっておかないとね。

クリスマス劇の台本から各自の台詞をカードに移したり(みんな覚えられないので、手に持たせる事にしたのです・・)の、あんちょこ制作が昼間に終わっていてよかった〜!
風邪の季節なので、それぞれの健康の為にも普段から祈らないとねぇ・・

さて、でも夕食の準備をしなくちゃ。
祈りつつ,祈りつつ。

2008-12-05

OYB12.5(しばらくデボメモはお休み)

通読箇所:Hosea 1:1-3:5;1john 5:1-21;psalm 124:1-8;proverbs 29:5-8

あなたはわたしを『わたしの夫』と呼び、
もう、わたしのバアルとは呼ぶまい。
わたしはバアルたちの名を
彼女から取り除く。(ホセア2:17/新改訳)

「わたしの夫」というところが響く。
それから偶像を取り除くのは主であるということ(真の解決は主から)。
後からTSKの引照を見てみると
・あなたを造られた者はあなたの夫であって、その名は万軍の主。(イザヤ54:5口語訳)
・主は言われる、背信の子らよ、帰れ。わたしはあなたがたの夫だからである。(エレミア3:14同上)

・わたしは神の熱情をもって、あなたがたを熱愛している。あなたがたを、きよいおとめとして、ただひとり男子キリストにささげるために、婚約させたのである。(2コリント11 :2 同上)

参:エペソ 5:25-27, 黙示 19:7,


memo
せっかく家人から「分かる様にして欲しい」と言って頂いたこともあり、今朝からまたPCの聖書テキストからではなく、「聖書」を開いて読むことにした(これは一定間隔で交互にその時が来るようだ)。

ということ↑&夕べ「静まりから生まれるもの(ナウエン)」を読んでいていろいろ思わせられたり・・で、しばらくPCにデボメモも休もうと思う:12/6朝、追記

夕べはなんだか疲れて8時半に娘を寝かしつけながら一緒に眠っていたようで気がつくと朝(けれども浅い眠りだった)。
HBをセットしておいたので焼きたてのパンのとても良い香で目が覚め、キリストの香ということを思わせられる。

聖書に書かれている結婚についてあらためて思う。
2コリント11 :2 を黙想。

2008-12-04

OYB12.4

通読箇所: Daniel 11:36-12:13;1john 4:1-21;psalm 123:1-4;proverbs 29:2-4

D12:13“But you, go your way till the end; for you shall rest, and will arise to your inheritance at the end of the days.”
ここ、your wayってイタリック なんだね。
*注・・でもこれは、ダニエルに言われたことだ。


1J4:Belovedで「愛されている者の生活」を思い出す。
ちょっと読みが浅いなぁ、・・・ま、人間も浅いけれど(はぅ)。
互いに愛す。愛には恐れが無い。

ps123:3Have mercy on us, O LORD, have mercy on us!


Memo
導きを求める祈りと、ただ主だけを求め、そのご臨在に浸る祈り。

Openにすることによる(予測しなかった)恵みと、隠れたところにおられる神。

家人から「わかるようにしておいて欲しい」との申し入れあり。感謝です。
やはりPC通読は端から見るとわかりにくよね。この面からも反省。
先に調和があることを主はお喜びになるはず。愛には暗いところが無い。

2008-12-03

OYB12.3

箇所:Daniel 11:2-35; 1 John 3:7-24; Psalm 122:1-9; Proverbs 29:1

Daniel 11:2-35
高ぶって,心のままに
終りはなお定まった時の来るまでこないからです。
1 John 3:7-24
すべて神から生れた者は、罪を犯さない。神の種が、その人のうちにとどまっているからである。また、その人は、神から生れた者であるから、罪を犯すことができない。
・・・
なぜなら、たといわたしたちの心に責められるようなことがあっても、神はわたしたちの心よりも大いなるかたであって、すべてをご存じだからである。
Psalm 122:1-9
エルサレムよ、われらの足は/あなたの門のうちに立っている。(Eph 2:20, 21, 4:4-7, Re 21:10-27)
*引照箇所:TSKと口語訳聖書の箇所がずれているところがあるので注意。
Proverbs 29:1
1Sa 2:25




memo
私が朝早いと、家人を起こしてしまうこともある。
そんなとき、申し訳ないなと思いつつも(自分もやっと起床して時間を作っているような側面があり)「ああ、これで、聖書を読んだり、祈りが中断される」という思いで落胆したり冷たい反応をとってしまうことが多い。
このことはとても心苦しく思っていた。
私のこの反応とキリストを関連して良くない印象が根付いてしまうかもしれない・・と後で反省するのだけれど、どうしても反応してしまう。「どうしても」と思ったり使ってしまうのも、傲慢な気持ちからかもしれない。

2008-12-02

精神障害者の自立をサポートする施設Hosaana homeのためにお祈り下さい!



突然ですが、精神障害者の自立をサポートする施設、特定非営利活動法人ホサナ「ホサナホーム」と「第2ホサナホーム」のためにお祈りのお願いです(所長さんがクリスチャン/Mac user groupでのお友達です)。

ホサナホームのある東京都練馬区だけでも、現在約7,500名の精神障害者がいて多くの方が入院中です。その中で国は「退院促進事業」を立ち上げ、入院し ている方を地域に移行していきたいという方針を打ち出しています。しかし、その受け皿は絶望的に少ないのです。病院から退院させられてしまうけれど住む場 所もなければ一人暮らしをする自信もないというのが現状です。
ホサナホームにも入所希望の問い合わせは頻繁にありますが、これ以上は受入れられない為お断りしていたそうです。
そんな折、3階建ての建物の2階と3階部分を借りて運営している現在の施設の1階部分が空き店舗となりました。東京都に相談したところ、増築経費の 7/8を補助してもらえるというのです。しかし、1/8の経費400万円はこちらで用意しなければなりません。

東京都の補助金申請締切は12月12日。目前に迫っています。そればかりか、東京都の補助金はこれを最後に、今後出す予定はないというのです。


リンク先の文章などもお読み下さって示された方は、ご自分の周りにもお伝え下さるか、経済の許す方は必要の為に捧げて頂けると本当に感謝です。(振込等の詳細は、リンク先をご覧下さい)
追記
締め切りは12日ですが、11日木曜日には都庁に直接持って行きたいとのことなので、お振込の予定がある方はこの件も覚えて頂けると感謝です。

 
11日までにあと132万円必要です!


寄付金の状況はこちらをご覧下さい(詳しく報告されています)

OYB12.2

BibleGateway.com - Passage Lookup: Daniel 9:1-11:1;1john 2:18-3:6;psalm 121:1-8;proverbs 28:27-28:通読箇所

作夜祈っても、潜心できなかった。ご臨在を感じることも無く就寝。
今朝、「神様は罪人のいうことなどお聞きになりません」で目が覚める。
ダニエルは懺悔しているけれど、イスラエルの民の為にしている。ダニエル自身は、神の目に正しいのだ。それなのに
「われわれがあなたの前に祈をささげるのは、われわれの義によるのではなく、ただあなたの大いなるあわれみによるのです。」
そして熱心に民の為に祈っている。
私は自分のことばかりだね。子育てやCS(&教会で)の悩みもそうかもしれない。自分への評価(神からのではなく)で悩んでいたのかもしれない。

「ダニエルよ、恐れるに及ばない。あなたが悟ろうと心をこめ、あなたの神の前に身を悩ましたその初めの日から、あなたの言葉は、すでに聞かれたので、わたしは、あなたの言葉のゆえにきたのです。」

「彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。」(1ヨハ3:2)

今までは信仰で見えないものを信じていた(度合いは別として)けれど、実際に見る。でもそのとき「彼に似るものとなる」なんて!これは天国のどんな素晴らしい様子の描写より心躍る・・というか、今はまだ申し訳ない思い。以下の様に続いているのを忘れないこと。
[彼についてこの望みをいだいている者は皆、彼がきよくあられるように、自らをきよくする。]

今朝も詩編は慰め。祈るとき詩編を開くことは大切だなぁ。
わが助けは、天と地を造られた主から来る。
主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。あなたを守る者はまどろむことがない

感謝します。

2008-12-01

メモ:08年12/5の「お話でてこい」は佐々木たづ作「子ウサギましろのお話」

今日、「子うさぎましろのお話」で検索して(この記事)来訪下さった方、どうもありがとうございます!
あなたのおかげで、この情報を得られました(感謝)!


ふむ・・「子うさぎましろのお話(←絵本ナビの内容紹介にリンク)」って、この番組では年中向けにカテゴライズされてるんですね。


NHK 番組表: より
チャンネル :ラジオ第2
放送日 :2008年12月 5日(金)
放送時間 :午前10:00~午前10:15(15分)

「子ウサギましろのお話」
                     
【語り】金沢 寿一
【脚色】中村美佐子


うぅうー、ぬかっていた・・「お話でてこい」はどの回も要チェックだった!
http://www.nhk.or.jp/kids/program/detekoi.html

OYB:12/1

BibleGateway.com - OYB:12/1: Daniel 8:1-27;1john 2:1-17;psalm 120:1-7;proverbs 28:25-26
以下、聖書箇所の引用は全て、著作権の切れた古い口語訳から
d:先に示された朝夕の幻は真実です。しかし、あなたはその幻を秘密にしておかなければならない。これは多くの日の後にかかわる事だから」。われダニエルは疲れはてて、数日の間病みわずらったが、後起きて、王の事務を執った。しかし、わたしはこの幻の事を思って驚いた。またこれを悟ることができなかった。

1j:わたしの子たちよ。これらのことを書きおくるのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためである。もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのために助け主、すなわち、義なるイエス・キリストがおられる。

愛する者たちよ。わたしがあなたがたに書きおくるのは、新しい戒めではなく、あなたがたが初めから受けていた古い戒めである。その古い戒めとは、あなたがたがすでに聞いた御言である。
しかも、新しい戒めを、あなたがたに書きおくるのである。そして、それは、彼にとってもあなたがたにとっても、真理なのである。なぜなら、やみは過ぎ去り、まことの光がすでに輝いているからである。
「光の中にいる」と言いながら、その兄弟を憎む者は、今なお、やみの中にいるのである。 兄弟を愛する者は、光におるのであって、つまずくことはない。

pr:むさぼる者は争いを起し、主に信頼する者は豊かになる。
自分の心を頼む者は愚かである、知恵をもって歩む者は救を得る。



memo
詩編120編については、こちら:志村 真(中部学院短大チャプレン)さんのページも読んでみた。
勇士とすると、確かに混乱するなぁ。

今朝は始発前に目が覚めたのだが、上着を着ようとがさごそしていたら娘が騒ぎだし、声をかけ安心させながら静かにしているうちに寝てしまったのか気がつくと6時近くになってしまう。
6時じゃ、もう朝食の用意をしなくちゃ・・の時間、ややがっかり。でも、朝食の準備は私の大切な仕事、気持ちよくやらないとね。
娘は6時半頃起きてくる。

夕べ、三位一体のエリザベットの生涯「あかつきより神を求めて」を半分くらい読む。
これは昨年かな?古書で求めたものだけれど、当初は少し読み,それ以上全く読み進む気が起きなかったが、今はとても興味深く感じる。
彼女は信仰を持てたことにについて母親にとても感謝しており、手紙等を見ても幼いうちからイエスさまはもとより聖書にも親しんでいるのが文面からにじみ出ている。私はこんなふうに娘に伝えられるのだろうか。
このことに励んできたつもりだったけれど、なんだかずれてしまった様にも思う。あまりにも情けない思い。

エリザベットが幼少の頃の激しい性格について(と幼い頃の画像の強いまなざし)からは、CSのJちゃんを思わせられた。Jちゃんもあの激しさが主に向かえば、エリザベットのようになる可能性が大きいのだ!悩みの種だったけれど、こう思うと祈りの助けになる、感謝。

苦しみを喜ぶこと」
「キリストの苦しみの欠けたところを満たす」について黙想。
決定的に欠けていたところだ。
方向転換。価値の逆転。→ある罪から守られる(思いがけない副産物的に)。感謝。
How toでは届かないところ。本当の解決(解放)について思う。

主はご臨在下さっている。それを汲みだす。潜心。

2008-11-30

帰宅後、RSSリーダーを見て・・、はぅーな状態:水谷先生のblogから

そりわ、このエントリー↓なのね(ーー;
命と性の日記〜日々是命、日々是性 | クリスチャンホームから犯罪者

「熱心な信仰者、敬虔なクリスチャンである両親からどうして?」ではありません。それは、聖書をご存じない方々の感想です。むしろ、聖書はそうした可能性のあることを、とっくの昔に、私たちに教えています。


ああ、そうですよねぇ。
でも、ホント、子育ては大変ですよね、神様にすがるしかない(ダビデなんて詩編を見てもすがりまくっていたことが分かりすぎるほどなわけですが・・)。
そして、自分だけではできないです・・。しみじみ。

まぁ、家は「カタクリホーム」なので、そうでなくともへなちょこクリな私が幻想を抱きたくとも抱けないという現状は、ある意味、助けなのかもしれません。これは調子のイイ言い訳ではなく、主の配慮に、申しわけなくて胸が詰まる思いというか、んー、どう表現したらいいのかな・・。

週刊新潮、読まねば・・と、図書館チェックするも・・、あ、あしたは休館日。
買ってもいいのですが、多分、他の記事にあんまり読みたくないものがいろいろありそうなので雑誌コーナーで閲覧する方が良いでしょう(書店で立ち読みはしませんよん)。

アドベントの黙想の助け

イグナチオ教会「祈りの場」: 「今週はこんなことを心にとめながら祈ってみましょう」から一部引用

"私は、生まれてくる待望の赤ん坊に焦点をあてて、その赤ん坊が、どのようになるか、また自分の人生にどんな影響を与えるだろうかと思い巡らすマリアとヨセフを、思い起こします。マリアが行った準備を想像してみましょう。マリアは、予期せずにみごもった従妹エリザベスを手伝いに行き、そこで3ヶ月過ごしました。それから、マリアは、婚約者のヨハネが、マリアの妊娠を理解できない重大な危機的局面に、向き合わなければなりませんでした(マタイ1:19)。そして、このことが、子どもの誕生に向けてうまく進んでいるように見えた時、マリアは、住んでいたナザレから離れなくてはならなくなり、ロバに引き具をつけ、ベツレヘムへと上って行きました。ベツレヘムに着いたマリアとヨセフは、どの宿屋も満室で泊まることができませんでした。マリアの行った準備とは、思いもかけないこと、そして、望まれないことを整えることでした。クリスマスの最良の支援者は、物静かで、落ち着いたヨセフの存在にほかなりません。"


今日のおはなし(CS)は、受胎告知。マリアとヨセフ。

OYB11.30

通読箇所:Daniel 7:1-28; 1 John 1:1-10; Psalm 119:153-176; Proverbs 28:23-24

以下の聖書の引用はすべて著作権の切れた古い口語訳聖書から

D:その主権は永遠の主権であって、なくなることがなく、その国は滅びることがない。

1J:それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである。
これを書きおくるのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるためである。
神は光であって、神には少しの暗いところもない。
神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。

Ps:あなたのみ言葉の全体は真理です。あなたの正しいおきてのすべてはとこしえに絶えることはありません。
わたしを生かして、あなたをほめたたえさせ、あなたのおきてを、わが助けとしてください。

Pr:人を戒める者は舌をもってへつらう者よりも、大いなる感謝をうける。
父や母の物を盗んで「これは罪ではない」と言う者は、滅ぼす者の友である。



memo
始発とともに目が覚めた。今朝は暖かい。感謝。
主は慈しみ深い。

ヨハネは目で見て聞いてさわったのだということをあらためて思う。
そしてこれも、「語られた」記録なんだね。
ストーリーテリングとして受け継がれて来たのだ。

『その物語に感動して伝えたいと思うこと』・・これがストーリーテリングの学びで得た一番大きいところだったかもしれない。この場合(聖書)は「物語に感動」ではなくて、語られている福音や真理だけれど。

字面を追わない。

某件、何度も祈っているし「○○をゆるそう」と握りしめないで、主にあって手放そう。
それから余計なことは言わないこと。これは助けて頂こう。

本当に根が謙遜じゃないね。

謙遜って「キリストのよう」っていうことだと、どこかで読んだ。

1ヨハネでもっと促されるままに黙想するべきだった(記録よりそれが大事:反省)。

助けになるものを使うこと。

娘は最近、親へのリスペクトが欠けて来ている。

2008-11-29

YouTube:「クリスマス・ストーリー」


http://www.youtube.com/watch?v=gqGtA2QHkPI

YouTubeから登録チャンネル更新のメールが来る様になったんですねぇ.
って、私はキスト岡崎さん(キスト岡崎宣教師 プロフィール)のアニメがアップされているチャンネルくらいしか登録していないんですが、さすが!アドベント前に「クリスマスストーリー」をアップしてくださったんですねぇ!
で、さっそく拝見、面白い〜!み言葉そのままなんですが、六歳の娘も喜んでみていました^^

良く使わせて頂いている:ぬりえやさん・無料こども塗り絵site


ぬりえやさん・無料こども塗り絵

私の所属教会では、礼拝の前半にこどもたちだけ牧師館のDKに移動してCSの時をもつのですが、会堂にもどってからの時間に、その時の暗唱聖句を入れたりして、結構、ここのぬりえを利用させて頂いています。
カレンダーがついているぬりえや、父母の日の感謝状ぬりえ、ビンゴカードになるものなんかもあるんですよ♪

海外siteだと、クリスチャン向けぬりえも結構あるのですが、どうも絵柄が子どもたちには「こわい」「かわいくない」と感じるものが多い様なんですよね(ーー;

ぬりえに限りませんが、Kids向けでCSで使えそう&良いところをご存知の方は教えて頂けると感謝です。

OYB:11.29

通読箇所/Daniel 6:1-28; 2 Peter 3:1-18; Psalm 119:129-152; Proverbs 28:21-22

以下の引用は全て著作権の切れた古い口語訳聖書のテキストから

神の前にも人の前にも・・
ダニエルを訴えるべき口実を得ようとしたが、訴えるべきなんの口実も、なんのとがをも見いだすことができなかった。それは彼が忠信な人であって、その身になんのあやまちも、とがも見いだされなかったからである。

王よ、わたしはあなたの前にも、何も悪い事をしなかったのです

皆ダニエルの神を、おののき恐れなければならない。彼は生ける神であって、とこしえに変ることなく、その国は滅びず、その主権は終りまで続く。


2ペテロのこの御言葉を思い出せて良かった。
主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。

この日を待っているあなたがたは、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい。 また、わたしたちの主の寛容は救のためであると思いなさい。

そして、わたしたちの主また救主イエス・キリストの恵みと知識とにおいて、ますます豊かになりなさい。

詩編119:すべて素晴らしい、感謝。
最近、寒くてぐずぐずしていたよなぁ。
こんなに素晴らしい御言葉をもって私たちを祝福しようと待っていて下さる主に申し訳ない思い。

わたしは朝早く起き出て呼ばわります。わたしはみ言葉によって望みをいだくのです。


あなたのあかしは驚くべきものです。それゆえ、わが魂はこれを守ります。
み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。
わたしはあなたの戒めを慕うゆえに、口を広くあけてあえぎ求めました.
み名を愛する者に常にされるように、わたしをかえりみ、わたしをあわれんでください。
あなたの約束にしたがって、わが歩みを確かにし、すべての不義に支配されないようにしてください


箴言28:21-22
人を片寄り見ることは良くない、人は一切れのパンのために、とがを犯すことがある
欲の深い人は急いで富を得ようとする、かえって欠乏が自分の所に来ることを知らない。



メモ
やっぱり私には、こうしてwebにメモすることがとても励みになるんだなぁ。
別に人様に見せる為にやってるわけじゃないんだけれど、アップしていく行為っていうのは確かに助けになっている気がする。

まぁ、これもいつかは取られる時も来るのだろうけれど(あまり簡単に判断しないようにもしよう)。

振り返る為にするメモと、その時だけの為のメモ。いろいろあるけれど、今,強く思いを与えられたのは

目の前のことに翻弄されないこと。

信じよう。
私って弱くて本当に情けないな・・。

でも、神様はそんなことはとうにご存知。

それでもいつもこうして待っていて下さる。
いや、実はいつも共にいて下さっているんだよね。「待っていてくださる」ように感じるのは自分の状態の反映。

愛にすっぱりとくるまれ祝福を頂こう、それを余すところ無く噛み締めよう、そして感謝しよう。



追記
ダニエルのところを娘に話す。
(風邪のときに読んだものがたり等についても後でメモ)

2008-11-28

最近の読書

読書系は、ナウエン(ナーウエンが正しい表記でしたっけ?)の「愛されているものの生活」。
それと新教出版からでているルイスの奥さんジョイの生涯を書いた「CSルイスとともに」。

ナウエンの、これ、推薦する人が多い書籍なんだけれども、・・んで、実際読んでとても良かったのですけれど・・。
うーん、仕方が無いのかもしれないけれど、やっぱり「世俗」っていうのがとってもひっかかる(内容には関係ないんですけれどね)。
主を信じ受け入れた後に大切なのはガチガチの弟子訓練プログラムとか奉仕奉仕と急かすことじゃなくて、こういうことを噛み締めることだし、主の前に静まることや祝福にとどまることなんですね。

ああ、こういうふうになりたいなぁ・・、主にあってこういうふうに生かさせて頂きたいんですよね。切望。

霊的には、読みながらスンダル・シングの霊性(特に祈りについて)やアビラのテレジアの霊性(ってそれほどは知らないんですが)を何度か思わせられ、少し前に「私たちの念祷」を読んでおいたことも本書を読むにあたって個人的にとても良かった様に思いました。
やはりカトリック系には読みたいものが沢山ありそう。
&わたしもナウエンに主にあって祝福して(ってか、実際的には包括的なハグして)欲しかったかも。

ジョイの生涯はまだ読みかけ。
しかし、この女性は凄いですねぇ。たしかに経歴も複雑だけれど、やはりルイスの陰に隠れてしまって正当に評価されていないよなぁ。

関係ないのですがジョイが召されたのは、私が生まれた時ととても近いのです(だからどうだというのではないのですが、以前のハンドルはjoy♪でした/笑)。

近況をば・・

久々にblogをば・・・

iBook10.2.8G3が故障し、暫く修理には出さない予定なので、アドエス【無線LAN】なネット生活者@鹿ちゃんでした、アドエス君も調子がイマイチ・・(;;)それにメイン機がアドエスではもう目が辛いのです。
不本意ながら夫のPCを使わせて頂きながら、最低限、しなくてはならないことをする日々。
iBook10.3.9G4の方をリストアしたらなんとか復活。アドベント前に大感謝&感涙なのでございます。
やっぱ、Macはええよ。うん。

そうこうしながらランドセル選びなんかに、はうはうな日々でつ(それほどでもないか)。
A97は赤がいいんだとさ・・・(がっくし)。高学年になったらキャメルとか茶色が良かったと感じると思うんだけれどねぇ。

音楽教室も進級して家ではやる気漫々ですが、アタシと離れるのがどうにも高いハードルらしい。
まぁ、こんなことは半年もして振り返ると笑ってしまうことなのかもしれないんだけれど、今は参ってるかな。
相変わらず泣いているし/クラスで母が残っているのは・・・もうわが母子だけなのよ・・ふふ。

先週末から気管支炎で、救急夜間診療にも行って、疲れてるかな。
主人は「たいしたことない」と感じているらしいけれど、私はこの何日かろくに寝れてもいない。
まぁ、主人がクールなスタンスっていう事は、あながち悪い事ばかりでもなくて、実際は(振り返ってみると・・かな)感謝な事が多いのかもしれないけれど。


とかなんとかいいながら、もうアドベントのお話し準備アンド劇練習&裏方準備だ【しーえす】・・・。

あーーーーーーーーーー。


でも、まぁ、元気ですんで・・はは^^;

2008-11-17

休止しています(紛らわしいのでtitle変えました)

何度目になるのかな、iBookちゃんがまたしても、じぇんじぇん立ち上がらなくなり、アドエスから更新(無線LAN)していますです。
それにしても、はぁー(ため息)、これじゃ更新も閲覧も一苦労。
休みなさいということかな・・とも思い、またしても暫くお休みすることにしました。
SNS(mixi等)もお休みします。

そして・・寂しいのですが私もいよいよマカ-では無くなるのかもしれません(涙)

2008-11-16

日曜日の聖書とOYB

今日のOYBの箇所とせせらぎの日曜日の聖書の一部(エゼキエル)が重なっていた。

わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。


貧しく見捨てられた人。委ねられた時間。

黙想のヒント(せせらぎ日曜日の聖書より)

今日の福音を聞く度に、
マザー・テレサのことが思い出されます。
イエスが語られるままに、
飢えている人、のどが渇いている人、
旅をしている人、裸の人、
病気の人、牢にいる人の中におられる主に、
生涯をかけて仕えました。

きらびやかな宮殿の中ではなく、
貧しい厩(うまや)に生まれ、
「無学な田舎者」として育ち、
十字架の上で殺される生涯を選んだ神は、
この世の成功者ではなく、
貧しく見捨てられた人と自分とを同一視します。
毎日の生活の中で
その神を見つけるには、
マザーのように、
深い祈りによって清められた
信仰の目が必要でしょう。

今日の福音の問いかけに
素直に心を開くならば、
自分の生き方を根本的に
見直さずにはいられません。
委ねられた時間と力を
どのように使っているのか、
また、使っていくのか。

神が、今「栄光に輝いて…来る」なら、
私に何をおっしゃるでしょうか。
そもそも、私は今、
主の来臨を心待ちにしているでしょうか?
それとも、
今は困る、もう少し待ってください
というのが正直なところでしょうか?
もし後者ならば、何がどう変われば、
どうぞいつでもおいでくださいと
言えるのでしょうか?

「祈りの働きは愛であり、愛の働きは奉仕です」
(マザー・テレサ)

それぞれが、
神との正直な対話を通して
自分なりの具体的な答えを
見つけていける恵みを祈り求めましょう。


さぁ、今日からCSクリスマス劇の練習だ!
雨だけれど風邪をひいたりしていないかな。みんな来られるかなぁ。

2008-11-14

Precious Praise(もとMam'sPraise)のコンサート!明日です!


2008年11月15日(土)

13:30 開場 14:00 開演
※入場無料 自由席(献金有り)

蒲田御園教会


大田区西蒲田7-22-11
(JR蒲田駅より徒歩10分)


交通アクセスなど、詳しいことは、Precious PraiseのHPで!!

みんなぁー!頑張ってねー!お祈りしています!
アタシは出ませんが、多分(娘の具合次第)、観に出かけると思いマスです^^

やなせたかしサンはクリスチャン(聖公会)

先日、お友達が「この間、TVを見ていたらやなせたかしさんが出演していて、アンパンマンって自分をちぎって仲間を助けるんでしょう?いろいろお話しを聞いていたらあの方クリスチャンかと思ったわ」と言っていたのですが、私は「聞いたことがないから違うのでは・・」なんて答えてしまい、その後もよく調べもしませんでした(ごめんなさーい!!!)。
ああ、なんという傲慢さ・・自分は詳しいと思っちゃっているんですね・・で、自分が知らないから違うだろうと判断したのだと思います・・ホントに恥ずかしいです!!

やなせさんは聖公会のクリスチャンだそうです(参照→Wikipedia:やなせたかし)

そういえば、「アンパンマンのマーチ」などの作詞もなさっておられます。

そうだ、うれしいんだ
生きるよろこび
たとえ胸の傷がいたんでも
なんのために生まれて
なにをして生きるのか
答えられないなんて
そんなのはいやだ!
いまを生きることで
熱いこころ燃える
だから君はいくんだ
ほほえんで
そうだ、うれしいんだ
生きるよろこび
たとえ胸の傷がいたんでも
ああアンパンマン
やさしい君は 
行け!みんなの夢まもるため
 

(以下は割愛させて頂きました。続きはこちらで

紳士とオバケ氏 (ものがたりのもり): たかどの ほうこサン

今朝、教育テレビのこども人形劇で放映されていたお話し。
紳士とオバケ氏 (ものがたりのもり): たかどの ほうこ, 飯野 和好

確か昨年も放映されていて、あの頃はTVをほとんど見ていなかったのに、たまたま見た娘がとても気に入り「ルンバ」にあわせて踊っていたっけ。
何故か「ひめのおぉ〜どり♪ん〜〜っ♪らっぱるんばっ♪」と歌う。

ふと検索してみると、これは絵本ではないので、彼女はややがっかり気味。
でも、感想やレビューを見ると読んでも面白そう!図書館で借りてみようと思いMemo。

読んだらここに追記として感想をアップします。

OYB11.14

通読箇所:Ezekiel 29-30; Hebrews 11:32-12:13; Psalm 112; Proverbs 27:17

eze29-30:何かを偶像にしてしまうことの危険
heb11:39・・did not receive the promise:ダニエル「・・たとえそうでなくとも」
ps112:7→He will not be afraid of evil tidings;
His heart is steadfast, trusting in the LORD.
prov27:17→As iron sharpens iron,
So a man sharpens the countenance of his friend. →エペソ4:25,29,32を思う。


ヘブル11:35-38は「マカベア第二書の記事に基づくと思われる(チェーン式注解)」とある、マカバイ記のことだよね。読んだことがないんだけれど、続編付きも一冊あるので読んでみたい。



雑記
夕べ看病でほとんど寝ていなかったので、娘を寝かしつけて一緒に寝てしまい、今頃、起き出している。
明日(って、もう今日だね)の通読箇所を読んで黙想。メモ。

ヘブル11:39からダニエル3章の「たとえそうでなくとも」を与えられたように思い、その後net検索していたら、hk-_-zzさんのblogがヒットしてきた。
細かく言えば、主がそれぞれに語られたことは違うのだけれど・・それでも、なんだか嬉しい。
年齢性別も置かれているところも全然違うのだけれど、主への信仰と御言葉での繋がり・・blogってこいうところがとても面白いと思う。非常に励まされる。感謝。

音楽教室の教師が替わり、クラスのメンバーもほとんどが変わって、娘のプレッシャーは大きいようだ。来月から、いよいよ私の付き添いもなくなる。
しかも、このクラス・・、ほぼ全員が予習バリバリなんである。皆、とても耳が良いし、歌も鍵盤も上手く勘が良い。ツーと言えばカー。レッスンの雰囲気も内容も今までとはがらっと変わった。
ウチのおっとりとした娘・・ついていけるのだろうか。
宿題箇所も自分でノートにメモしなくてはならず、時間も一杯一杯気味。
初日は娘、泣きました(−−;

加えて先日は、就学時前健康診断があり、指定校へ。
新入学生一人に対して、五年生が一人ついてくれて教室回りなどもしたのだけれど、娘の担当は背の高い男の子だったからか(大きいお兄ちゃんや男の人が苦手なんです)、ここでも泣いてしまった娘(−−;

なんとか、フォローしつつ担当の男の子と少し話したけれど、シャイな表現の内側から「自分たちの小学校が大好きなんだ」という気持ちが伝わってくるのが微笑ましかった。

後日、在校生を持つママ友と情報交換する機会にもその事や、この学校の児童は違う学年でも全体的に仲が良く面倒見がよいことを伝え聞き安堵。
ランドセルのこと、体操服や上履きの指定店、用意する袋物など、来年になれば説明会があるのだけれど、彼女を通して先輩ママ目線からいろいろ教えて頂け(「何でも聞いてね」とメールも頂く)すごく感謝。

そういえば、先日のお話しボランティア講座で世話役だった司書の方のお子さんも同じ小学校へ入学すると聞いたっけ。これまた、なんだかこころ強い。

不安(退園しているし、バッシング関係から話せない面もあり)の中でも備えられている恵みの一つ一つを主に感謝。

2008-11-13

OYB11.13

Ezekiel 27-28:26; Hebrews 11:17-31; Psalm 111:1-10; Proverbs 27:15-16 (New King James Version)
繁栄(経済的に不安がないことも含む)とか賜物に溢れていることは、傲慢に繋がりやすい(偶像になりやすい)という側面ももっていること。安易に羨まない。
人の目(自分からでも他人からでも)から見て不遇の境遇というのは、神から見ると違うのだろうなぁ。しみじみ。

ヘブル 11:26
彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。

ここって、「報い」というのはヘブル書の書き手の表現だろう。なんても思うけれど。
聖書を読むと基本的にモーセはいつもシンプルに主の御心を行いたいと思っていただけだと感じる。
とはいえ、大変な中をあのわがまま集団を連れ歩いたんだもんなぁ。
これは教会にも同じことがいえるかもしれないよね。出エジプト・・紅海が割れて救われたものたちだけれど、歩みは大変・・。牧者も大変・・。

でも、教会を与えられたのはイエスさまだ。

なるほど箴言のここんとこは「争い好きな女を制する者は、風を制し、右手に油をつかむことができる」こうなるわけだなぁ。これも文字通りってわけじゃなくて、それくらい大変だということだよね。文字通りじゃないところなんて聖書にはいろいろある。


雑記
夕べ、何時間か娘の看病(っていうほどのものじゃないけれど)をしていて、一瞬、苦しんでいる娘の目がイエスさまの目に見えた時があった。
深い憂いを含んだ射るような眼差し。
思わず声に出して、主と娘に詫びる。

マザーテレサのエピソード(正確には映画のワンシーン)を思い出したけれど、私には決定的に愛がない。
愛が無いどころか、中心は非常に冷たくて相変わらず利己主義の固まりだということを突きつけられる。

打ちひしがれて悔い改めるも、今朝はある件で傲慢な態度をとっている。
皮肉なくらいの秋晴れが広がっているなぁ。

やっと落ち着いた・・かな

娘が九時頃から大泣きして苦しがり、何度か吐いてやっと今、落ち着いて寝ました。
先月末にも風邪で夜中に吐いて辛そうだし大変だった(でも久しぶりでした)のですが、今夜は熱もなく風邪ではなさそう。
私的には結構、精神的なモノでは?とも感じているのですが・・。
とりあえず、先日頂いた吐き止めがあったので、助かりました。
見ていると可哀想でたまらなくなるのですが、苦しみながらも自分の状態を説明出来るようになっているところに成長を感じたりもしました。

さて、今夜の夜間診療の病院はわかったし、もう少し様子を見て、大丈夫そうだったら明日かかりつけに行けばいいかな。
どうか、朝まで落ち着いて休め、速やかな回復がありますように・・。

2008-11-11

OYB11.11

今日の箇所:Ezekiel 23:1-49,Hebrews 10:18-39,Psalm 109:1-31,Proverbs 27:13 (NKJV)
以下、日本語の聖書箇所は聖書用語検索さんの該当箇所にリンクすることとしましたが、20節までしか表示されない設定なので続きは先方でお読み下さい(先方で利用者キー登録すれば全部読めます)。

エゼキエル23章:若いときにということが強調されている
ヘブル10:18-39:約束された方は真実
詩篇 109:1-31御名のために、私に優しくしてください。・・あなたの恵みによって救って下さい。
箴言 27:1320:16と同じ。着物は抵当。貸し借り同等の責任。↓NKJVはこんな感じ
Take the garment of him who is surety for a stranger,
And hold it in pledge when he is surety for a seductress.

雑記
寒い。
あんまり寒いので、このところ脂肪を付けたくて食べまくっている。
先頃、私も娘も風邪で酷かった。私は一ヶ月以上も不調。九月後半は酷い咳と痰だった。いろいろ手当法を試みるもいつまでも痰がからむ&声がれ、咳は治まったけれど痛いし、辛い。お話しWSの時も辛かった。仕方なく内科と耳鼻咽喉科を受診(でも、まぁ、イマイチだ)。
メタボ検査で測ったお腹周り(注:ウエストじゃない)は60センチ(夏)。まぁ、もともと寸胴だということもあるのだけれど。厳格な食事療法からか体重も39キロを切りそうだったので、気をつけている。記録によいと思ったダイエットマメグラフも早々に中止。数字記録などをつけ出すと結構燃えてしまうタイプなのだ。もう多分43キロくらいには戻ったんじゃないかなとは思うけれど。
痩せるといっても、全く素敵でもナンデもなくスタイルは良くないしシワは出来ちゃうし・・・(−−; 元気で健康な方がよい(切実)。

一昨日、娘は寝違えて頸が痛かったらしく、「おかあさん、後でお祈りして、すごく痛いんだもん・・」という。
彼女は、何かトラブルがあるとき何の疑いもなく、すぐにお祈りなのだ。ちょっと感動(しかし、これだけ信頼している場合はかえって幼いだけに以下のような不安材料も)。
そんな娘だけれど、昨日の朝、「おかあさん、神様におはようっていったのに、おはようの声がきこえなかった・・」と沈んでいた。夜のお祈りの時、「風は見えないけれど吹いている」のところからいろいろ話すけれども、どうも納得でき無い様子。知恵をもらいたいな。

妹から電話。
父に何かあったのかと思ったが、違う用件。
彼女自身は新しい仕事も充実している様子。良かった。

別件、なんとか力になりたいのだけれど、どうにもならない。はがゆい。

blogger、タイトルを付けるとgoogle検索でかなりヒットしてしまうので、日常のことはデボメモの下に雑記としてこっそり記録しようかと思う。
Fc2に移した過去ログにスパムコメントが結構入って憂鬱。承認制にしてあるのだけれど、確認するのもウンザリするような文章ばかり。Fc2は私には使いにくいし、広告も出るようになったし非公開にした。

2008-11-10

娘の礼拝説教メモ

(画像が送信できないので、テキスト化しました・オヤバカですかね・汗)

はっこうぱんだ
だれにも えー イスラエルでは すぎこしぱんは ぱんだねおいれないパン。
やまざきパン
にちじょうてき ばくろあらわされている
くらやみでいったことが 

あかるいやまがあって まるくかこまれている(この横に両手の絵が書いてある)やがいげきじょう 

ぶたいわ ちいさくしかしゃべれなかった したから 

いえのなかで てんだんという てんのかみとゆうか にじゅうのへい 
かけないとおくのばしょでもきこえる そうゆうところ

おもてがきれいで おなかがきたない。

かみさま・・・(イエスさまの顔の絵)
いちばんおそろしいんだ あとどこいくのかっておもう。

あんしんさせるためでしょう

とりのなかでもいちばんちいさいとりにほんでいま・・・。(国旗の絵)

5はのとり・・。4はしか おまけのもんだけもらうひとわいらっしゃらない。

ほうふく・・・。

それは・・しんぱいしないとゆういみです・・・。

今日はこのことを中心に祈っていこう

Major Mak's Diary: マタイ4:1-11「誘惑に打ち勝つ」の説教原稿pdfファイルを読む。

お祈りもきっちりした原稿になっていたんですねぇ。

OYB11.10(start)

Ezekiel 21:1-22:31;hebrews 10:1-17;psalm 108:1-13;proverbs 27:12

えっと、今年の通読は終わってしまった(アタシは結構プラン好き&大部分を流し読みなのでね)ので、先日からOYBをちょこちょこ読んでいます。ガジェットも見つけたので、ネコ温度計の下にレイアウトしてみました。
とはいえ、箴言や詩篇くらい(って、これだけでもシンドイよ)しか、エーゴでは頑張れないと思いますが・・(−−;
リンクしておけばたまにはやれるかもしれません。

お正月に気が変わって創世記から読み出すか、年末頃に黙示録を読むかも知れませんが、多分、今月はこのプランで読むでしょう。これ、日本語の聖書にもリンクしてあったらサイコウなんですけれどね。まぁ、こういうのはいろいろ大変なんだとは思いますが、祈っていこうっと。→(近いことが出来るのを発見!11日は新改訳聖書箇所へリンク張ってみました/でも大変かも

ちなみに今日の箇所:BibleGateway.com - Passage Lookup: Ezekiel 21:1-22:31;hebrews 10:1-17;psalm 108:1-13;proverbs 27:12

"A prudent man foresees evil and hides himself;
The simple pass on and are punished.(proverbs 27:12/NKJV)"

2008-11-08

webクリップ♪:ストーリーテリングとは?・・櫻井美紀さんのサイトから

実は今朝、図書館の子ども係の方からお電話を頂いた。
ちょっとびっくり・・な嬉しい連絡!と感謝な励まし。
急にいろいろな展開があるわけではないけれど、もし主が備えて下さったものなら喜んで進ませて頂こう。
その為にも、今の時間を有効に使おう、勉強しようと、検索していたら、興味深いテキストを発見。

ストーリーテリングとは?

ああ、これは興味深い!わたしが初めに感じたとまどいは、そう!これだったのだ。
そして、わたしの昨日の「とちり」もこの「つまり」だったわけだ!(もちろん、私の場合は準備不足も大きな要因ではあったのだけれど)

Home へジャンプしてみると、Storytelling Worldストーリーテラー、櫻井美紀さんのホームページとのこと。

凄い!コラム等の内容はもちろん、リンクなども盛りだくさん!

読みたい本memo:山田耕太著『ダラム便り』他

晴耕雨読の日々 : 日本のキリスト教ー「カトリシズムのない世界」:
"・・誤解を受けることをあえていうならば、日本にはヨーロッパでいう「教会」はない。教会と無教会を問わず、「日本の教会は、すべて無教会である」と指摘した石原謙氏の言葉(『日本のキリスト教』)は、正しいと思われる。無教会という現象は、日本という土壌で生まれるキリスト教現象の純粋型という感じさえする。キリスト者は、それほど違わないが、「教会」の機能が教会自体の問題として異なり、また、社会あるいは文化のなかではたらく機能が異なる。「教会」は普遍的制度的施設(アンシュタルト)としての性格を保持し、聖餐もバプテスマも、罪を赦し、救いをあたえるというサクラメントの機能を保持する。日本の土壌では、公けの「教会を信ず」というよりは、個人の「信仰を信ず」という感じがする。こちらでは、牧師は、ただの ー教会の機関を司る ー人であるのにたいし、日本の土壌では、牧師は特別な人 "先生" になる。したがって、「牧師につまづく」ということは、こちらではありえないし、一人の人格が教会に反映されることを牧師も信者も恐れる。このような「教会」の背後には、カトリシズム ー普遍性ーがある。カトリシズムをへたあと、十九世紀に日本にもたらされたキリスト教は、カトリシズムなしに、どのような教会を形成していくのであろうか。・・・"


今のところネットでは見あたらず。
キリスト教古書のお店にいってみようかな。あ、ドンボスコの「完徳の道」も見てこようっと(やっぱり岩波の古書は読みにくいのでした・・)。


それと、同blog(「福音派の禁書?」という記事にある:有賀 寿著『カゴの鳥と見るな 聖書の福音と福音派の福音』すぐ書房)にも興味があります。でも手に入らないみたいですね・・って私なんかが読んでもワカラナイかも知れませんけれども・大汗
「・・・本書は福音派の皆が間違っているとはいいません。しかし多くは間違っていると考えます。皆が福音を曲げているとはいいません。しかし多くは福音をみるも無惨な形に変えています。また、決心者のすべてが道を誤らされたとはいいません。しかし、極めて多数の人は、いかさまな救いをつかまされたといえます。それでいて福音派のクリスチャンは、聖書がどう伝道を教えているか、主イエスがどう福音を語られたかについて、改めて学ぶ必要はほとんどないと思っています。非常にたくさんのクリスチャンたちは、伝道者・牧師・宣教師・外人講師の話をただ鵜呑にし、それが聖書の教えと一致するかどうかを調べようとはしません。そうする必要も認めません。なぜか。それは彼らが「カゴの鳥」とされているからです。ではカゴの鳥とは何か。自分で自分の住まいを作るわけでなく、食糧を集めてくるわけでもなく、生きる努力をするわけでもない鳥。これをわれわれはカゴの鳥といいます。いいご身分だなと思われて生きていくのがカゴの鳥です。生まれおちる時からこういう生活をエンジョイし、その生活になんの不思議も抱かないのがカゴの鳥なのです。そして、福音派のクリスチャンの多くは、まさに「カゴの鳥」なのです。生まれでる時に聞いた「福音」を鵜呑にしてクリスチャンになったように、以後はずっと鵜呑の生活をしてきました。カゴは「トレイニング・クラス」という名で呼ばれていますが、そこで何をどう歌うのかを教えられると、その通りにしてきました。それが結構楽しいことも経験してきました。しかし、何も考えない。自分では何も考えない。これは「カゴの鳥」の問題です。あなたはいかがですか。」・・・(以下略)

・・・・(ここまで中略)・・・・チャントリー自身はカルヴァン主義の立場に立ちつつ(長老教会
出身)、次のように言います。


「聖書の確信についての教えは今日、わずかな人にしか理解されていないようである。信仰を告白したクリスチャンが自分の生まれ変わりのいかんを疑問におもうことを評価する人はごく少ない。彼らは神が約束を履行されることについてはなんの疑問ももっていない。しかし、自分がかかる約束を受け嗣ぐにたる条件を正しく果たしているかどうかには、疑問をかんじているのである。すべて悔い改め信じた者に、神が永遠のいのちをあたえるであろうことに、問題はない。しかし、通路をとおり抜けて前に行き、いのりのことばをまねして口にしただけで、信仰があたえられたとしてよいかどうかを、彼らは正当に反省しているのである。教理問答書をみれば、自分がうけためぐみが簡単にぬぐい去られないことは明らかだが、それならそのめぐみを自分は経験したか。「自分はほんとうに、信じかつ悔い改めたか」。神のめぐみを自分はほんとに受けたか。
「人の心は何よりも陰険」(エレミヤ一七9)だとすれば、この点は検討に値する。また、ユダのような自己欺瞞的な偽善者のいることを知っているなら、これは抜かしてはならない疑問である。「救われるには、どうしたらよいか」という質問は、「そうした(信じた)ことは、どうしてわかるか」という疑問と全くちがう。最初の質問には人はすぐに答えられる。しかし、第二の疑問に確かな答えができるのは、聖霊だけなのである。」   (『カゴの鳥と見るな』 pp. 130-131)


『カゴの鳥と見るな』は、キリスト教書店で長らく "禁書扱い"
でした。そうこうしている間に絶版となってしまいました。
しかし、自浄作用のないキリスト教会、「クリスチャンの始末は、
クリスチャンがつける」ことができなくなっている今日、再び
読まれる必要があるのかもしれません。
・・・以上:晴耕雨読の日々:blog記事「福音派の禁書?」より引用


晴耕雨読の日々blog、おやめになったのですねぇ。やっぱりという気持ちと残念な気持ちが交錯ちう・・。

2008-11-07

wrongとfaultless

こういう細かいところが気にかかるってのは、アレだね。目をそらしてるのかね、あたしゃ。
雨だし、まいったねぇ。

やはり「精一杯やった」といいきれないんだよなぁ。とはいえ、ぐちぐち言うのは無しだ。

娘、朝起きてすぐに鍵盤と歌の練習しだす。あのへなり(実は娘は進級しまして、クラスも先生もカリキュラムも新しくなったので、初回は緊張のあまり途中でちょっと泣いてしまったのです)はどこへ?
新しい楽曲や教材やウチ練習用のシール貼り等でモチベーションはアップ!俄然やる気の姿勢&行動にシフトしております。ストレートだなぁ。でも可愛いし気持ちがいいや。

娘の姿勢に無言で非常に教えられる母であった。

「きょう、ほんばん、がんばってね」

「わかったよ、(おっかちゃん)!」「ありがとね!」

For if there had been nothing wrong with that first covenant, no place would have been sought for another.(NIV)

Suppose nothing had been wrong with that first covenant.(NIrV)

For if that first covenant had been faultless, then should no place have been sought for the second.(KJV)

ASVとかNLTもfaultless

If the first plan—the old covenant—had worked out, a second wouldn't have been needed.(The Message)

NIrVって、意外とわかりにくいですよね。NKJVにしよう。どっちにしろちらっと参考にするだけなのですが(^^;

2008-11-06

「私たちの念祷」についてのメモ1

半分くらい読み進みました。
文章が「?」なところも多少ありますが、とてもとても良いテキストです。
コピーして紹介できないのが残念(読み終えたら、自分の言葉で書いておけたら良いなと祈っています)。
興味のある方は「私たちの念祷」で検索してみてください。

読み始めて暫くしてから、主の臨在が豊かに溢れて来ました。
これは、サンダー・シンクがお祈りについて語っていることの一部を読みながら、感じたことと非常に近いものの様な気もします。

アビラのテレジアが教えてくれることひとつひとつが、知性を超えてダイレクトに入ってくる感じ、そしてテキストを目で追っているのですが心は主に向かって切ないくらいなのです・・。

一体、今まで私は何をしていたのでしょうか。

こうして打つテキストのひと言ひと言が、また表現が、なんとも陳腐に感じられて情けなくなってきます。




アビラのテレジアに関しては、「完徳の道」を岩波版で持っているだけで(古書なので余計に読みにい)中断していましたが、このテキストを読んでからなら読めそうな気がして期待しています。

2008-11-05

その2

カレーを食べる鹿ちゃん一家・・だそうです。

つけてみました

なかなかよくできていますねぇ。
娘はこういうのをいろいろ考えてつくるのが大好きです。
隠れてこっそり作っては、嬉しそうに見せに来てくれます。

今日の工作

指輪だそうです。

お昼はおでん♪:ちくわぶ論争

最近、寒くなってきたこともあり、お昼はおでんに・・・(祈祷会はまだ娘が本調子ではないので休みました)。
まず大根と昆布とホシ椎茸、その間にこんにゃくの灰汁を抜き、さといもの下茹でをして皮をむいて加えてから、おでんだねを入れます。
大きすぎたかな?と思ったココットロンドもおでんの時は一杯に・・・。
今日は餅巾着の用意がないので、油揚げを入れておいて、食べる少し前に薄く切ったお餅を詰めましょう。
朝からとろ火で煮込んでいるので、リビングはぽかぽか。
やっぱりそろそろストーブの出番ですかね。

追記
食後、ちょっとした「ちくわぶ論争」あり。
江戸っ子の主人としては、「ちくわぶがないおでんなんて・・」なのだけれども、アタシ、ちくわぶって好きじゃない(でも、すいとんは好きなのです)です。
・・ので、いつもおでんだねを仕入れるときに全く頭にないんですよね。わざと忘れたワケじゃないのよ。ホント。
でも、愛、ないよね・・・。すまんのう・・反省。

2008-11-03

みはたまおりサン



書こう書こうと思っていたのですが、今頃になってしまいました・・汗
一昨年の娘のクリスマスプレゼントのひとつに「風よ あの子に伝えて フォーシーズン・チャーチ・カレンダー」という書籍を求めました。
イースター、クリスマス…教会暦を子どもたちにわかりやすく伝えるエッセイ
「教会には1年を通じて様々な行事があるけれども、それがひとりひとりのからだの内に書き込まれるとき、イエスさまカレンダーにそった生活を送ることができるのではないか。」そうした願いをもって、イースター、クリスマスといった教会の主要行事を中心に、キャラクターのイラストとともにたどっていく。
小宮山 賜夫
1958 年生まれ。牧師家庭の三男。大学でキリスト教学専攻。岡田稔(改革派神学)、石丸新(新約学)、森田進(日本文学)諸師に学ぶ。1988年、日本アライアンス神学校神学課程修了。牧師となる。現在、日本アライアンス呉教会主任牧師。同教会附属愛児園園長。JTJ宣教神学校講師
みはた まおり
広島県在住。イラストレーター。穴吹デザイン専門学校グラフィックデザイン学科卒業。2005年、ペットライン社・猫の手帖主催第16回キャネット大賞(イラスト部門)大賞受賞。2005年、KFS主催第1回ペットイラストコンテスト入選

上に引用させて頂いた出版社からの紹介にもあるように、教会暦関連のエッセイなのですが、娘はみはたまおりサンの繊細かつユニークな不思議ネコたち満載の色鉛筆イラストが大のお気に入り♪
ひとりでも開いては見入っています。
みはたまおりサンは小宮山先生の教会の信徒の方のようです。

ふと、検索してみるとサイト(「マルポレランド」)を持っておられました。ネコイラストはもちろんのこと、旅日記シリーズなんてもう〜サイコウです!!
みはたまおりさんのほのぼの&ひょうひょうとした文章&キャラクター&もちろんイラスト、たまりません。
ネコ好きにもたまらないサイトだと思いますよ。街でみかけたネコちゃんたちの画像もアップなさっています。
blog「マルポレランド日記」もお持ちのようです。
興味のある方は是非どうぞ^^

あー、若いってエエノウ・・。

2008-11-02

webクリップ♪:カウンセリングサービス/カウンセラー発!すぐに役立つ心理�

検索していたら、面白そうなサイトを見つけた(って、webクリップ♪ってついている時はそういうときの印なんだけれど)。
カウンセリングサービス/カウンセラー発!すぐに役立つ心理講座

盛りだくさんですなぁー。むむむぅ。
でも読むのは、ストーリーテリングのWSが終わってからだなぁ(そうだあよ!と自分に釘を刺すアタシ)。

検索でヒットしてきて読んだのはこれ「Lecture.20 執着を手放す方法 」
読んでみると、なんだか、ここ何年か読んできた信仰書籍の内容にも通じますなぁ。

私には、このステップ、どう考えても主の助け無しには出来ないと思うのですけれども・・。

2008-11-01

コパンのコンサートなのに・・

家にいるアタシ・・。
娘の風邪がまだ良くならず、看病しております。

今回私が司会だったのですが、ベテランの方がいらっしゃるので交代して頂きました。
機材の搬入搬出のお手伝いに主人が行ってくれて感謝。愛よのぉ・・。

コパンの到着が遅れたようで心配しましたが、無事にセッティングも終わり、これからコンサートが始まるとのこと。
神様の守りがあり、主のご臨在豊かなコンサートとなりますよう。
集う一人一人に豊かな祝福がありますよう。

2008-10-30

←覚えてる?この聖句:聖句暗唱ガジェット

(ネコ温度計の下のヤツです)
うーん、ちゃんと隠されていますなぁ。

Verse-a-Week Memorizationというのは週単位での聖句暗唱用ガジェット(iGoogleのは一週間かけて、徐々に聖句のことばが隠されてゆくというものだったのですが、こちらは全部隠されてしまうみたいですね.Show Verseをクリックすると聖句が見られます)なんですが、日本語で使っても大丈夫っぽいですね。


久々に風邪をひいて、参っております。
特に、娘(;。;)

これとは別にこの一ヶ月半くらい咳と痰が酷くて(私の)、それにも参っています。
明日は朗読のWS,土曜と日曜日は特伝なのに・・・と煩いつつ、聖句を思い出すアタシ。

2008-10-28

おかあさん、谷川鹿子なんでしょ?

ひぃえぇーーーーーーっ!なんで知ってるの?(とはいえ、別に隠していたわけではないのですが)

この漢字、読めるのか?と思っていろいろ思いめぐらせると、なんとなくどういった経緯で読めるようになったかは察しがつくような・・。

最近は「○○ってなんだっけ?」なんて独り言をつぶやくと「ぐーぐるでしらべたら?」なんて助言もしてくれるほど(もちろん、彼女自身はPCはほとんど使いません・・というか、まだ使わせていませんが)。

あまり人に言ってはダメだよと釘をさしたけれど、「あまり」なんてあいまいな概念は察することが出来ないだろうし、何かの折りには「あのね、うちのおかあさん、ぶろぐやってるんだよ。でね、○○っていうの」などと言ってしまうのであろうなぁ(大汗)。

まぁ、どなたに読んで頂いても構わない内容ではある(一応)と思うのですが・・。

うぅーん。
祈りつつ、そろそろ考え時ですかねぇ。

2008-10-27

ネコ温度計:ハロウィンバージョンなのね・・

ありゃ。
なんか、ゆうべから「あれ?オバケっぽのがうろちょろしてない?」「ほぇ?こんどはコウモリがぁー!」と思っていましたら、今月一杯はやっぱりハロウィン仕様だそうで・・。

クリスマスや、お正月にも「お楽しみ」があるそうです(って、さっきPCの時計を進めて見ちゃったんですけども・・hahaha/汗)

webクリップ♪:オランテ(Orante:祈る人)

「オランテの集い」というカトリックのサイトを見ていたら、
カタコンベの壁画に、手を広げて祈る女性の姿、「オランテ」(Orante)の画像を見ることができます。霊魂はほとんど常に女性として示されます。それは神の前における人間存在の特徴が、女性の姿で表現されるからです。キリスト教最古の祈りの姿勢は、両手を広げた「オランテの姿勢」です。両手を広げることは、暴力によらないことを表現し、平和の姿勢となります。人は両手を広げることによって、自分自身を他者に開きます。それは求めることと、希望することの姿勢でもあります。人は隠れた神をつかもうとし、神に向かって身を伸ばします。神を崇拝することと、隣人への愛はこの姿勢において合致しています。神への開き、つまり神に完全に自分を明け渡すことと、同時に隣人に向かうこととを、分けることはできません。キリストの十字架の姿に示される、これらの二つの方向性の融合は、キリスト教的祈りの新たな深みを、身体において見える形で指し示しており、そのようにして私たちの祈りの中心となる原理を表現しています。
            
とあった。進め方は以下のような感じ。
こころの準備 

まず、祈りに入る前の準備として、音楽と呼吸法を取り入れながら、
こころと体をゆっくり整えることから始めます。

「主イエス・キリスト わたしをあわれんでください・・・」

この短くて力強い祈りを繰り返し唱えながら、主に呼びかけ、
御父のふところのうちに、自分を徐々にゆだねていきます。
               
奉  献

一人ずつ祭壇に奉献の灯りを捧げます。
「わたしは世の光。わたしに従ってくる者は、
          やみのうちをあるくことなく、いのちの光をもつ。」
                          (ヨハネ8・12)
 

祈  り

それぞれが受け取った詩編の短編で、しばし祈ります。

思い返してみると、ひとりで祈るときは(手を伸ばしてとまでは行かないのですが)、胸の少し前くらい辺りまであげて、手のひらを上向きにしていることは多いように思います(バレーボールの様なモノをキャッチする感じのカタチ)。
祝祷の時のように上に上げるのは、私にはまだ抵抗があるんですね。

それとわたしは祭壇にはあまり馴染みはないのですが、キャンドルを使うのってやはりいいなと思いました。
1000000人のキャンドルナイトの影響からか、最近はクリスマス時期でなくとも素敵なキャンドルをディスプレイしたり扱うお店が増えているように思います。

以前は、特に信仰に関しては「形ではないから」と、ストイックにいろいろなものを排除していたかもしれません(その割に実はなっていませんし、変な拘りもありありでしたけど・大汗)。しかし、時を経て最近「受容したい」という思いが自然に湧くようになりました。今なら、こだわりなくそれらを受け取ることができるのかな・・とも思わせられています。
まぁ、そう簡単に折り合いがついたり上手くいかなくともいいのですけれども・・ね。

詩篇で祈るのもいいな。祈りもいろいろ紹介されています。

「オランテ」はラテン語で「祈り」という意味だそう。

2008-10-25

死の淵からの帰還:野村祐之 著


先のエントリーに関連して、野村先生がどういう状態の時に、あの祈りに導かれたのか・・がとても良くわかる書籍を紹介させて頂きます。
97年に岩波から出た本で、現在は品切れになっていますが「死の淵からの帰還」です。amazonマーケットプレイスには10点の中古があるようですね ¥ 757より〔価格や数は変わると思いますので、上記リンクを参照下さい)BookOffなどにもあるのではないかと思います。
私は、感謝なことにサイン入り書籍を入手することができたのですが、(砂漠の知恵などでも野村先生の素晴らしい賜物を知ることができますが)素敵な毛筆ですよね〜。

人生半ばにして医者から先が長くないことを宣言された著者は,紆余曲折を経て米国で肝臓移植を受ける.自らの経験を通して,日本とアメリカの間に横たわる医療観や倫理観の違いなどを肌で感じ取るとともに,命の重みを実感.生命とは何かをめぐり,体験者ならではの深い思索を展開する.脳死や臓器移植問題等を考える上で不可欠の1冊〔岩波サイトの紹介文より



移植に限らず、大病や事故、災害に遭遇するというのは、突然、人生の床が抜け、おおきな穴に突き落とされるような体験である。
しかし、その深淵で僕が見たものは、虚無でも、暗黒でも、絶望でもなく、生きとし生けるすべての命がその深みにおいて支えられているような「命の根元」であった。その深みからの光に照り映えて命は輝き、日常のただ中でキラリとひかる。
そのときわれわれは、命の本質が長さやおおきさではなく、深さにあることを発見する。普段なにげなく見過ごしてしまうちいさな輝きにこそ奇跡がかくされていたことを知り、こころときめかせるのである。それに気づくとき、我が身に課せられた運命に対する、「なぜ私がこんなめに」という問いは、「よくそこの僕に」という喜びにとってかわられる。呪いと災いが祝福と幸いに転じるのである。
「幸」という象形文字は、古代中国で死刑囚にはめられた手枷のかたちなのだそうだ。「幸い」とは、死刑囚が命からがら助かったときに実感する気持ちのことであったという。
その意味でなら、僕自身、身をもって幸せを、味わわせてもらえたとえいよう。ほんものの幸せとは、自分の存在を根底からゆるがすような問題に真正面から取り組むときに経験する、生きる喜び、命の輝きの賛歌なのかもしれない。(「死の淵からの帰還」エピローグp220-221より)



本を枕にースピリチュアルな日々ー『死の淵からの帰還』という本を読んで
クレオパさんの感想と紹介(とても詳しくお書きになっています)是非、ご覧下さい。

クレオパさんもお書きになっていますが、内容はもちろん、野村先生のイキイキとした瑞々しい文章・文体が本当に素晴らしいんです〔ラジオでのお話しを聞いた後だと、先生が情熱的に語る声が聞こえてくるような感じがすると思います)。
岩波から出た書籍ですが、信仰について遠慮無く、しかもとても深くそして力強く書かれています。
クリスチャンの間でもっともっと読まれて&知られていても良い本だと思いました。

検索してみると家の近所の図書館には蔵書があったので、お近くの図書館をあたってみるのも良いかも知れません。

野村祐之先生の「みこころならば、みこころのままに」CD発売されてます!

また、FEBCblogからなのですが、昨年、放送された野村祐之先生の「みこころならばみこころのままに」が、CD発売されています
2008年8月29日(金)に再放送されていたのですね!
その頃は8/29のFEBCスタッフblogで聞けるようになっていたようです・・(注:今は聞けないようです!)
うううー、不覚でした。

この番組は昨年、拝聴してとても感動し、自分のblogでも紹介させて頂いたのですが、素晴らしいので、しつこくまたエントリー!


聞き逃していた方は、是非、是非、CDでどうぞ!!


CDの価格は、1500円です(9月までは発売記念特価だったんですねー!うーん、いくらだったんだろう?これまたぬかっておりました〜、ちょっとくやしひかも)。

朗読劇「塩狩峠」:FEBC Blog:より

FEBC Blogを見ていたら、明日、26日(日曜)一時半から新宿西教会(歌舞伎町2-19-11シャロームビル2F)で、西田正さんが演出される 朗読劇「塩狩峠」が上演されるとのこと。

クリスチャンの方は時間的に無理かも知れませんけれど・・。

西田正さんの一人芝居「ダミアン神父の生涯」(毎月・最終月曜日の夜7時から公演しています。場所は「池袋新生館シアター」)というのも是非一度、拝見したいと思っています。

明日は朝5時から「こころの時代・~宗教・人生「祈り 苦難をともに40年」に三浦光世さんが出られますし、楽しみですね^^

2008-10-24

まめですなぁ・・、のびた先生:web解析から

久々にweb解析なんぞを見ていたら、藤掛明先生の「おふぃす・ふじかけblog」経由で来訪して下さっている方が多いので驚く。

え?なぜ?と思ってお邪魔してみると、ありゃ・・「私のことを取り上げてくださったブログを、さらに紹介したい。ありがとうございます。」とのことで、10.22水曜日の日記の中で紹介頂いておりました(^^;

いや、その、こちらこそ、ありがとうございます。
励まされました。(でも、とても恥ずかしいので、ここで失礼させて頂ますね)

お忙しそうなのに、こんなblogのあんな記事の中の小さなつぶやきを見つけられるとは・・なんてまめな先生・・。きっとストローもお似合いに違いない。
でも、のびた君に似ているというお話しは意外でした。わたしはLLのお写真を拝見して筒井康隆さんに似ていらっしゃるなぁと思いましたが・・。

「ゲノムと聖書」フランシス・コリンズと「キリスト教は進化論と共存できるか?」フランシスコ J.アヤラ:超個人的な感想の一部とメモ(でも長文)

途中で読むのを休んだりしながら、ゆっくり読み進めました。他の方の感想等もwebにぼちぼち上がって来ていたようなのですが、自分の読後感をまっさらのままで味わいたくて(&「神様と私」の関係の中で個人的な語りかけも求めていたので)それらは読まないように気をつけていました。

で、率直な感想ですが「期待通り、非常に面白かった!!!!!!」です(笑)し、個人的な語りかけも頂けたかな。
私はプロテスタントのクリスチャンでいわゆる福音派(福音主義)の教会に所属しているのですが、信仰的にも、来春から公立の小学校へ娘を送り出す親としても、大きく励まされとてもすっきりさせて頂けたのです(非常に感謝)。

かつての自分を含め、一部の福音派のクリスチャンがあまりにも科学や科学者に対して敬意の無い失礼な姿勢であり言動をしているのも、とても申し訳なく、また哀しく思わせられました。

ゲノムと聖書 科学者、〈神〉について考える」が届く前に、「キリスト教は進化論と共存できるか?—ダーウィンと知的設計 :フランシスコ J.アヤラ」を読んだのですが、予備知識としてウィリアム・ペイリのことやダーウィンについて簡潔でわかりやすく書いてあったのでとても参考になり、同時に今まで進化論についても、IDについ(←これについては特に)ても自分できちんと調べたり本を読んでこなかったことをとても反省させられていました。
著者のアヤラ(カリフォルニア大学アーヴァイン校生物・生物学・生態学・進化生物教授、ヒトゲノムプロジェクト審議会顧問、全米アカデミー評議会員、2001年全米科学賞受賞)はカトリックだからなぁ〔ヨハネパウロ二世が進化論に好意的な発言をしている等のことは知っていたので)・・なんて色眼鏡気味で読み始めたことも大反省。

・・・幼児の頭が容易に通過するには、女性の産道がきわめて狭いことを考えてみよ。
それゆえ、何千何万という赤ん坊や多くの母親が、分娩の間に死ぬのである。この機能しない設計に、あるいはこどもたちの死について、神に責任を帰すことを、我々が望まないことは確かである。科学のおかげでそのことは理解できる。つまり、我々の脳が進化してきた結果なのである。他の霊長類のメスは、この障害を経験しない。過去の神学者は、機能障害との問題と戦った。なぜならばそのことを神の設計に帰さなければならない、と思ったからである。欠陥、形成不全および機能障害を自然的原因に帰する説明を、科学が納得いくように提供したことで、多くの神学者たちを安心させている。」(「キリスト教は進化論と共存できるか?—ダーウィンと知的設計 」より)

例えば上記引用のような箇所等から(個人的に先日から「不完全なままで召されていることここここを参照)」というのを何度も思わせられていたことも引き金になって)『進化って、プロセスを大切になさる神、そして自由意志を大切になさる神のご性質を表すモノではないかしら』と思わせられたり、「たとえ猿から進化して来たとしても、人として霊を与えられている人間がこうして存在していることは、聖書にまったく矛盾しないのではないか」と思わせられたりしていたんです。

「ゲノムと聖書 科学者、〈神〉について考える」では、さらに詳しく知ることが出来たのはもちろん、著者(フランシス・コリンズ/遺伝学者、医師。エール大学より物理化学博士号、ノースカロライナ大学より医学博士号を取得。全米科学アカデミー及び医学院会員,二〇〇七年にはアメリカで文民向けの最高位の勲章である大統領自由勲章を受賞)の信仰的なスタンスは自分と非常に近いものでもあり、大好きなC・Sルイスの著作の中で福音派のクリスチャンとしてどうしても?だったところ(たとえば、この書籍は実物は読んだことはないのですが「痛みの問題」の以下のような箇所・これ↓は「ゲノムと聖書」p204-5に引用してあった文章からの抜粋です)などが、本当にすっきりと理解できました。

神は千歳にわたり、人間の魂を宿し、神自身の似姿を反映するべき動物の形態を完成させた。神はその動物に、親指ともう一本の指でものをつまめる手、また発声を可能にするあごと歯と喉をお与えになった。そして、理性的思考を生み出すのに必要なあらゆる働きをつかさどる、複雑な仕組みの脳を備えられた。その動物は、人間になる前に、もう長い間そのような状態で存在していたかもしれない。もしかしたら、現代の考古学者が人間性の証拠として見なしている、いろいろな道具を作る能力をすでに兼ね備えていたかもしれない。しかし、その身体的、精神的過程の目的はすべて、純粋に物質的・本能的だったので、そsれはなおも動物に過ぎなかった。だが、時が満ちたとき、神はこの生き物に、心理学的にも生物学的にも新しい認知能力をお与えになったのである。すなわち「自己」を認識し、自らを客観視でき、神を知り、真理と美と善に関する判断ができ、時間をはるかに超越するがゆえに時の流れを知覚することのできる意識である。(「ゲノムと聖書」p204-5より)

この引用の後にコリンズはこう書いています。
信者が創世記一章と二章の解釈で妥協してしまうなら。滑りやすい坂道を転がり落ち、しまいには神の基本的な真理と奇跡的な行為まで否定してしまうのではないか?信仰の真理を骨抜きにするような、無制限の「自由主義的な」神学には明らかな危険があるだろう。しかし成熟した観察者は、滑りやすい坂道でも分別ある判断をし、どこで踏みとどまるべきかを知っている(「ゲノムと聖書」p205より)

決して私自身が成熟した観察者であるというのではありませんが、なるほど、と思わせられました。聖書を読んでいると、神が私たちに成長や成熟、大人になるようにと何度も勧めておられるのがわかりますが、ここを読んでそれ(らの聖句)を鮮やかに思わせらたのです。
神は私たちに成長して欲しいと思っておられる、祈りつつ自分で知識を得て選択して欲しいと思っておられる・・。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして神を愛することと繋がる気もしました。

有神論的進化論なんてものがあることすら、恥ずかしながら私は知りませんでした・・・。

頭ごなしに創世記は一字一句事実であり、それを信じなければ自分たちの信仰はなりたたないという福音派の一部にある強い風潮が、こういう知識に疎くしていたのだと思います(同時に伝道もしにくくしたり、求道者に混乱を招いたり)。
しかも結局はそれで自分で自分の頸を閉めてしまう・・、これは非常に怖いことです。
真理は私たちを自由にすると聖書にはあるのですが、これでは縛られ捕らわれている感じさえします。

先祖が猿であっても、創世記の解釈が字義的でなくても、偉大な神でえあるということに問題はなく、また聖書の権威もなんらおとしめられないのではないかという思いに導かれ、それは私を解放してくれました。
私の拙いメモや引用箇所だけではわかりにくく誤解も招きやすいと思いますので、興味を持たれた方は実際に書籍をお読み頂ければ・・、と思います。。

ダーウィンの『種の起源』が出版されるよりもはるか昔から、同じように誠実な信者たちが、聖書のすべての記事を字義通りに解釈することに対して異議を唱えてきたし、今日もそうであることを考慮してもいいのではないだろうか。宇宙のすべてを創造し、祈りや霊的な洞察を通して自分が創造した民と意思の疎通をはかる神が「わたしを愛するなら、科学が解明した自然界の明白な事実を無視しなさい」というとは到底思えない。(「ゲノムと聖書」p206より)


神への脅威のように見えるからと言って、自然界の理解を深め、人類の苦悩を軽減し、生活を向上させる科学の効用に背を向けるのか?あるいは逆に、科学が進歩した今、もはや霊的生活は不必要なのだから、祭壇には伝統的な宗教のシンボルの代わりに二重らせんを刻めばよい、といって信仰に背を向けるのか?
どちらの選択も、大変危険である。共に真理を否定しているからである。どちらも人類の崇高さをおとしめる。そして、どちらも不必要な選択である。聖書の神は、ゲノムを造った神でもある。神を礼拝することは、大聖堂でも研究所でも出来るのだ。神の創造は壮大で、畏敬に満ち、複雑で美しい。
真理同志が互いに争うことなど出来などできない。そのような戦いを始めたのは不完全な我々人間なのだ。そして、それを終結できるのも我々人間だけなのである。(「ゲノムと聖書」第10章バイオロゴス選択肢(4)科学と信仰ー本当に大切なことp206-207より・太字は鹿子による)



そして、個人的には特にナイジェリアへ医療ボランティアとして渡ったときのお話しが書かれている圧巻のp212-214←ここを読むためだけにこの書籍を買っても損は無いとすら私は思います!


ううぅーん、どうしよう、他にも書きたいことは沢山あるのですが・・。

やっぱり、アウグスチヌス(アウグスティヌスが正しい表記?)は読もう(訳が読みにくいそうですが)、それとCSルイスの著作で引用されていたモノは再読も含めて読みたいし(でもなかなか手に入らないものもあるんですよね)、グールドやドーキンスも!

そうそう!実は私の特技も「替え歌」です!(いつもプロフに書こうと思うのですが、恥ずかしくてやめていたんです・・でも、コリンズ博士と同じなんて嬉しくて嬉しくて、ついにカミングアウト!・・ってアタシの方のレベルはかなり低いと思いますが・汗)


追記
関係ないのですが、アヤラ(イタリア人)もコリンズもフランシスなんですねぇ。
アヤラはカトリックだから分かるんですが、コリンズの両親は無神論者(でもHSをしていたんですよ!)だったとのこと・・不思議だなぁ。

2008-10-23

今更ですが、苦難の中の忍耐って凄い証なんだよね。
朝の掃除で、ちあのニュースレター関係を整理していて、Sさんの分科会(白馬かな?)の短い紹介文を読む。
「子どもが信仰から離れる(た?)ときのこと」を話されるようだ(聞きたいですねぇー!)
Sさん(ご夫妻は牧師夫妻でもあり主にあって非常に素晴らしい方々です)にはお子さんが三人おられ、上のお二人が中高生くらいの年齢からいわゆるダブルスタンダードの苦しみ試みに会い信仰を離れていまった経験から、末のお子さんをHSなさっている。もう十年くらいでしょうか。
何年か前には、ご主人が倒れられ、奇跡的に回復したけれども一昨年前辺りだったか召された。
そのいろいろな局面をニュースレターやビデオで拝見させて頂いていたので、短い言葉の中でも感じるところは多かった。ロマ5章(4節から5節)の御言葉を出されていたけれど、まったくそういう道を歩んでこられたのであろうと思わされた。どんなに苦しく辛かったことだろう。
奥様の祈りお働きはもちろんなのだけれど、このご主人は本当にご自分の命(全て)を持ってこどもたちを主の道に戻したのかも知れないな・・なんても思わせられる。
上のお二人はそれぞれクリスチャンとの結婚が決まったそうだ(主を讃えます!)。


その中を通されていることは傍目にはわからないことも多い。
もちろん、わかりやすい働きも大切だし、その為に神はそういった賜物を与えていらっしゃる。けれども、その分かりやすい働きの中でも外見ではわかりにくい部分におけるしみ入るような証も多い。

どちらにも忍耐の時があって練られた品性というものが生み出され・・やがて希望を力強く証しする、・・主は豊かに用いられるのだ。(こうして文章にすると、なんとも単純で簡単な印象を与えてしまいそうで申し訳ない思い)

本当に、目に見えるところだけで判断してはいけないのだな・・とつくづく思う。

そして、こういうことを踏まえて、やはり「裁きは主がなさること」なんだよね。



*関係ないのですが、わたしの場合blogで敬体、常体を統一しようとすると、なんだか冷たい文章になるような気がして(&自分の感じていることを表せないような気がして)敢えてごちゃまぜ(といいつつ、本人にはそれなりのルールがあるような気もするのですが)にしていることが多いと思います。

2008-10-22

気になるミックス粉

北海道の大地で育った小麦とビートグラニュー糖を使用した、「おやつミックスmadre(マドレ)」。自然の味わいをそのまま楽しんで欲しいから、よけいな香料は一切使わずに仕上げました。アルミニウム不使用ベーキングパウダーを使っているので、アルミニウム摂取を心配される方にも安心してお使いいただけます。「ホットケーキ」「クレープ」「ドロップクッキー」「どら焼き」「きなこバー」のレシピつきで、毎日のおやつづくりを応援します!"


うぅーん、これ、いいですねぇ。
400グラム入りなら389円だし。
全粒粉もブレンドしてあるタイプもあるともっといいんですが。まぁ、それは自分でやればいいか。
って、今、palsystemのカタログを見ていたら、palのは800gで299円でした・・。国産小麦だし。うーん、アルミニウム不使用のBPではないけれどねぇ。やっぱりミックス粉を買わないで自分でブレンドするのが経済的・・って、んなこたぁわかってるわけだけどもさ・汗

今朝は久々にパンを焼きましたが、全粒粉100%でもすごくふっくり美味しく焼け、「お母さんのパンが世界で一番好き!」(まぁ、娘はそれほどいろんなパンを食べたことはないのですが・苦笑)なんていわれて・・、やっぱり手作りだよなぁ、家計にもやさしいしと思わされていたところでした。

秋と言えば、クオカではマロン系の品揃えも充実しているはず・・SABATONマロンピューレとか(生唾・でもコレ贅沢品だよね)。

(で、結局、クオカにはいきませんでした。行くと余計なモノまで買っちゃいますからねぇ・・ってことでラベルは久々の「清貧の食卓」決して聖貧ではありません念のため、節約節約ぅ・・っと)

デボーション、キャシーさん、唯人ブログ、ヤベツの祈り

霊によってであれ、言葉によってであれ、あるいは私たちから〔送られて来た〕とされる手紙によってであれ、〔これらのものが〕あたかも「主の日は〔すでに〕来ている」という趣旨〔のことを言つていると〕の理由で、すぐに分別を失って〔頭が〕混乱したり、恐怖心を抱いたりすることのないように。(2テサロニケ2:2岩波訳'95)

詳細は省きますがこれに関してはある意味、非常に耳が痛い鹿ちゃん(−−;


さて、今日は凄いタイトルですが・・。
以前、こんなふうなタイトルをつけて日記的blogにしていた頃の方が、振り返り(霊的にも)をしやすかった様に思えて実験的につけて(もどして?)みました。
カテゴリー分けって言うのも便利なんですが、振り返るときに、実はいろんなことが「(主にあって)繋がっている」ということがとても興味深いのですと、書きつつ、これも自分へのメモ。

昨日、『「40日のコミュニティ:2.何故、コミュニティが必要なのか」ピリピ人への手紙1章3~11節 尾山キャシー師(MP3)』を聞きながら、Tさんのblogにあった・・Kさん「尾山キャシーさんが『朝自分でディボーションせずして、どうやって子どもたちを導くのか』と語ったことが忘れられなくて、朝のディボーションを頑張っている」・・という箇所を思い出し、検索、他の記事もいろいろ読んで、暫し猛反省モード。
確かに日々、聖書は読んでいるけれど、最近は特に主への敬意が足りない。姿勢が甘い時が多いんだよね(こんな私の祈りも、主はいつも誠実に耳を傾けてくださるというのに!)。

尾山清仁先生の口内炎(かなり酷いらしいです)はその後どうなんだろうと思いつつ、教会サイトのリンクにある唯人ブログというのを覗いてみると、なんとこれは尾山令仁師のblogであった!ビックリ。
令仁先生は、いろんな関係で私の教会の牧師の先輩で・・、ということは既に80歳は超えておられるはず・・と思いながらいろいろ記事を読む。精力的に書いておられるなぁ(原稿だけお渡しになるのでしょうか?ご自身でタイプなさっているのでしょうか)。
HSのことにも少しふれていらっしゃいますねぇ・・、清仁先生はHSをなさっているわけですが・・・、ふむ、令仁先生はこういうスタンスだったのですね。
おお!令仁先生って玄米菜食なんですね!(妙に親近感&納得・笑)
ただ、祈りや主のご臨在・・霊的生活に関しては、私は「暗夜」というのが確かにあると思うのです。先生も多分、そういうことはご存知だと思うのですが、混乱を招くといけないのでこういうところには書かないのでしょうね。

わが家はそろそろ、就学前の健康診断。昨日は耳鼻科に行ってきました。

この件に関しては、もうね・・長いことずっと祈ってきたわけですが・・、
夏に「ヤベツの祈り(歴代誌第一4:10)」の箇所を通読してから、主は深い憐れみを持って何日かふれて続けて下さいました。
ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。
 「私を大いに祝福し、
 私の地境を広げてくださいますように。
 御手が私とともにあり、
 わざわいから遠ざけて
 私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」
そこで神は彼の願ったことをかなえられた。


ああ、この祈り大胆に祈っていいんだな、そしてこの祈りを握って送り出していいんだな・・とゆっくり静かに頷かせて頂けて感謝しています。

今は平安です。

2008-10-19

「三浦光世さん」10/26NHK教育「こころの時代」am5:00-6:00

「こころの時代・~宗教・人生「祈り 苦難をともに40年」

出演 三浦綾子記念館館長・三浦光世 
ききて・山田誠浩 

作家・三浦綾子と歩んだ道、二人で見いだした信仰の光


◇三浦綾子記念文学館館長・三浦光世さん(84)が9年前に亡くなった作家であり、妻だった綾子さんとの歩みを振り返る。北海道開拓団の子に生まれた光世さんは3歳で父を亡くし、母とも離れて親せきに預けられた。そこでキリスト教と出合う。病の苦しさから自暴自棄になり、自死まで考えたこともあったが、兄の言葉をきっかけに愛について考え、心の救いを求めて聖書の世界に入っていった。光世さんは31歳の時、同人誌の縁で綾子さんと出会う。闘病中の綾子さんを見舞った光世さんは3度目には、自分の身を綾子さんにささげる覚悟を伝え、驚かせた。綾子さんとの結婚生活は信仰的基盤なしにはあり得なかった。綾子さんに次々と襲い掛かる病や苦難さえ、2人の結び付きをより深く、確かなものにしていったという。光世さんは今、綾子さんが作品に込めた願いを伝え続けている。(webTV番組紹介文より)



今日来たチアのニュースレターに載っていたのですが、10月26日(日)朝五時から六時にNHK教育テレビで、稲葉さんやチアに取材に来てくれたディレクターさんの番組(上記参照)が放送されるとのことです。
稲葉さんがNHKにいらしたころ撮られた映像も活用されているとのこと。

40日の旅blog

先日、調べモノをしていたら「40日の旅」というblogを見つけた。
ちゃんとしたPDJのというか聖書キリスト教会関係のblogらしいけれど、同じような内容の40日モノは本家site?のこちらにもあって、こちらだと「日々の旅ガイド」(PDFファイルです)や当時の関連礼拝メッセージの動画などもちゃんとリンク先にあるのでストレスがないと思う。

へぇ、こんなキャンペーンをしていたんですねぇ。知りませんでした。

しかし、書籍「五つの目的」の要約とはいえ、充分なテキスト&内容。
まぁ、PDJだし、リック・ウォレン氏の了解は得ているんだろうけど、太っ腹だなぁ。

web上にあると、興味を持っている方に紹介するのにも便利で助かりますよね。
わたしは、アドエスに入れて使おうかな・・とも思っています。(テキストはいいのですが、PDFを読むのは画面が小さくて辛いかな)
書籍「五つの目的」は、内容はもちろん装丁やデザインも素敵なのですが、ちょっと大きくて重いのが難点だと個人的には思いました。(って偉そうにスミマセン)

でも、site内容はもちろん、教会のプログラムなんかも充実している様ですね。

いろいろ見て読んで、わが教会を振り返ると・・・(これまた偉そうにスミマセン)。

あぁー、勉強(だけではないけれど)したいなぁ。

2008-10-18

聖書箇所:テサロニケ人への手紙第一、3章(以下の引用は口語訳聖書より・太字は鹿子による)

このような患難の中にあって、動揺する者がひとりもないように励ますためである。
わたしたちはあらゆる苦難と患難との中にありながら、あなたがたの信仰によって慰められた。なぜなら、あなたがたが主にあって堅く立ってくれるなら、わたしたちはいま生きることになる
(新改訳では「生きがい」)からである。


信仰(って賜物だけれど、・・うーん賜物だからこそかな)には力がある。
信仰者の姿にも力がある。自分にも他者にも慰めがある(賜物は神様からきているんだからね)。
テサロニケの人たちが主にあって堅く立つ様を見るのが生き甲斐だというパウロ(繰り返している)。

苦難や患難の中での、苦しいときの祈りは純粋。
切に主を求めている。それが慰め。それは励まし。
それだけが力というときもあるかもしれない。

(ちょっとサウルのことを思い出す。ポッと与えられたモノ。労せず手に入れたモノによって・・、それを主に感謝しないまま歩んでいると人はどうなるだろうということ等)


ほんとうに、わたしたちの神のみまえで、あなたがたのことで喜ぶ大きな喜びのために、どんな感謝を神にささげたら

「喜び」ってこういう類のことなのだ。
わたしの「喜び」が大きく違うところにあるなら、そして「あなたがたの顔を見、あなたがたの信仰の足りないところを補いたいと、日夜しきりに願っている」こういう類の願いが主になっていないなら、問題かも知れない。
一昨日の晩の祈りを思う。あの時間は神様からの特別な贈り物。あんなことがお出きになる(心に働きかけさせてくださる)のは主だけなのだ。

主があなたがた相互の愛とすべての人に対する愛とを、わたしたちがあなたがたを愛する愛と同じように、増し加えて豊かにして下さるように

わたしたちの主イエスが、そのすべての聖なる者と共にこられる時、神のみまえに、あなたがたの心を強め、清く、責められるところのない者にして下さるように。

祈り:わたしも心からこういえ、祈れるように・・

2008-10-16

最近のことメモ

ちょっと記録まで

今週は、ヘビーな現実を目の当たりにさせられている。
が、この件に関しては詳しく書かない。

上記とは関係なく、バザーが無事に終わって、その後に娘の誕生日を祝い、翌日は何年ぶりかで来日したお友達と夕食(菜食系のお店でデザートもヘルシーで美味)、楽しかった。翌日は祈祷会、バザーの後かたづけと特伝のちらし配り。そのまた翌日はストーリーテリングの講習会。WSで読む本と、素話の候補とアンケートを提出。

ゲジオ(ゲノムと聖書)も日曜日に届いていたので、嬉々として読み始めたのだけれど(ものすごく面白い)、ちょうど娘の誕生日に44ページ辺りに差し掛かり、胸が締め付けられるようで中断中。
ゲジオは高いなんて書いてしまったけれど、現物を手にしてみると内容はもちろん、装丁やデザインも素晴らしく納得の価格(陳謝!)。

古書の「CSルイスとともにージョイ・デビットマン・ルイスの生涯」(新教出版社)も来てしまい、ちらりと読む(これまた面白い・・)。
目を通した箇所には特にジョイの置かれていた厳しい状況がいろんな角度から詳しく書かれていて、なんというかある意味励まされている。

WSの素話は、何故かチャレンジだ〜!と萌え、気に入っていたけれど長くて難しいので悩んでいた話しを申告。しかし、やはり実際に読むと7分ではとてもとても終わる話ではなくて・・絶対に変更せねばまずい・・うううぅ(−−;
あー、こんなにハードルの高い話をやろうってのは、やっぱり現実逃避したいってな意識の表れからかもなぁー。

とはいえ、個人的には根っこのところでは平安があるのだけれども。

私に委ね任されているところ、やるべきことは主にあってやらねば(やりたい)・・。


そして、うーん、すぐには動けないのは重々承知だけれど、働きたいなぁ。
(最近、働く素敵な女性たちを目にする&お会いすることも多し/娘もイエスさま&教会大好きで身近な伝道を彼女なりに可愛く積極的に開始したりしているしね)

素敵じゃないにせよ、ついこの間(といわせて!笑)までアタシもずっと働いていたのだよなぁ。
もう条件をうんぬんいえるどころか、口があるかどうかさえむちゃんこ厳しい状況なんだけれどね。
・・・・・はぅー。

焦るな。
そして、まずは静まって祈ろう(示された方はご加祷頂けると感謝です)。

2008-10-12

マクグラス博士の講演会にいってきまちた・・

講演会はもちろん、礼拝後はバザー準備や久しぶりのお友達にあったり、嬉しく楽しかったのですがなんだかもぉ、時間的に一杯一杯の聖日でありんした。
はぁー、でも、夕方の講演会に一人で出かけるなんて、何年ぶりだろう・・感激。も、つかの間、帰宅すると「はらぺこーズ」が待ち受けているので、どひゃんと夕飯を猛烈な勢いの15分でやっつけるアタシ(っていうのは、「おかぁーさん、本、届いてるよ」っとbk1からの包みを横目で見ていたからでもあるんだけど、うひひ)。

で、マクグラス博士の講演会「聖餐ーその歴史と実践」ですが、来春、DVD付きで書籍化されて発売とのことです(キリ新さんのwebで近日公開とのチラシを頂きました)。

マクグラス先生、今朝の11:20分に成田にお着きになったそうですよ・・。いや、なんかもう、これだけで恐縮してしまいますね。

講演は、通訳なし(これは時間的な関係でしょうか)。
マクグラス博士の(こちらからみて向かって右)後ろに、パワーポイント?で日本語のテキストが、どひゃどひゃどひゃっと映し出されて、初めは耳ダンボにしながら目で追うだけでも精一杯(あぁー!眼鏡持っていって良かったッス・・が、暗いところで黒字に白抜きの文字を追うのは辛かったです)。
内容的には、コミュニオンについてルターとツウィングリはどうとらえていたか等から始まって、すっきり正論・核心をついたお話しだったと(わたしは)思います。
平(&普通のオバサン)信徒なアタシでも頑張れば理解できる話し方をして下さっていて感謝でした。

Q&Aはさすがに通訳がありました。
これもDVDに入るのかな?結構、質問の挙手は多かったですよ。4つくらいの質問(コミュニオンの回数について、なぜ「コミュニオン」という単語を使ったのか、霊性について、幼児の聖餐について等)にお答え下さり、時間的な関係で途中でマクグラス先生が打ち切られました(キリ新の方は先生がストップしてくれて助かったとおっしゃっていました)。

講演にあたってのレジュメ、資料の配付は無し(;。;)。
これは、DVD付き書籍が出るので仕方ありませんね。


以降の講演は
明日13日は9:30−15:30まで池袋メトロポリタンプラザで、聖学院大学総合研究所創設20周年記念 国際シンポジウム「戦後リベラル・デモクラシーの伝統の再検討」

15日(水)は17:30−20:30
聖学院中学校高等学校4階ガイ・ホール(駒込/上中里)聖学院大学総合研究所創設20周年記念 学術セミナー「三位一体の神:一神教批判と多元主義を超えて」

私はこれ↑にも行きたかったなぁ・・。でも時間的に無理ですね。

2008-10-11

「今週はこんなことを心にとめながら祈ってみましょう」から

今週ももう終わりなのだけれど、夕べ読んで、いろいろ思わせられたのでメモ。

私が見つめることで、こんなふう↓に感じてもらえる夫婦に(特に「妻に」)なることなんて出来るのだろうか?とさえ思う。

夫:「僕は、妻に情愛をこめて見つめられると、自分自身を鏡で見る時にはない、内なる成長を感じるのです。」

妻:「私の夫が私を見る時、私は自分自身を見るよりももっと崇高で豊かな気持ちになり、私の中にもっとたくさんの可能性があるように感じるの。」

振り返ると、崇高とまではいかなくても私の方は、主人のことばやまなざしによって励まされてきたり、自分の知らなかった一面(あまり悪い方ではなく)を教えてもらえたことは多かったように思う。

それに対して、「このアタシはどうよ?」とても反省させられる(暫し落ち込み)・・。


そう思いながら何度か読みつつ「もしかしたら、このご主人は、以前は奥さんにこんなふうに見つめられなかったからこそ、こう感じるのかも知れない」との思いも湧く。
これは励ましだ(・・いや、その楽天的すぎますかね?・汗)。


成長。
私たちは、おとなになるように招かれている。

ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。(エペソ4:13)

私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。 (1コリ13:11)

兄弟たち。物の考え方において子どもであってはなりません。悪事においては幼子でありなさい。しかし考え方においてはおとなになりなさい。(1コリ14:20)

       ・・・・・・新改訳聖書より


「愛は成長するモノだよね」
これは、お互いに成長しているんだね。

最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。(ピリピ4:8/新改訳)





聖イグナチオ教会 − 「祈りの場」: "今週はこんなことを心にとめながら祈ってみましょう:


10月5日〜11日

 「あなたがたはわたしを何者だと言うのか。(マルコ8:27-30)」というイエスからの質問は、並外れたものです。全ての人類の中で、イエスは彼自身が誰であり、彼の役割を知っている唯一の人で、しかも、彼の友だちからそのことを聞くことは、彼にとって重要とみなしていました。私たちは、互いの目で観察する中に生きています。私たちは、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と聞くことに好奇心を持ちます。このことは、「私が噂や批評の種の標的になっているのか」と言う脅しになりえます。しかし、私たちは、互いに並外れた段階に向けて、建設的でいることができるかを見ているのです。父や母が私たちをどう見るかは、いつも私たちには重大です。それは両親だけでなく、かつて、既婚女性が友だちのグループに「私の夫が私を見る時、私は自分自身を見るよりももっと崇高で豊かな気持ちになり、私の中にもっとたくさんの可能性があるように感じるの。」と言いました。すると、彼女の夫は、「僕は、妻に情愛をこめて見つめられると、自分自身を鏡で見る時にはない、内なる成長を感じるのです。」と、付け加えました。

 そこで私は主に願います。「愛と建設的な目で他の人々を見る恵みを与えてください。私の目と私の心が、他の人々を豊かにし、支えることができることを決して忘れませんように」。
(太字は鹿子による)

2008-10-10

聖書箇所:ルカの福音書 11:15-26 (新共同訳
 しかし、中には、「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と言う者や、イエスを試そうとして、天からのしるしを求める者がいた。しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた。「内輪で争えば、どんな国でも荒れ果て、家は重なり合って倒れてしまう。あなたたちは、わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出していると言うけれども、サタンが内輪もめすれば、どうしてその国は成り立って行くだろうか。わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。強い人が武装して自分の屋敷を守っているときには、その持ち物は安全である。しかし、もっと強い者が襲って来てこの人に勝つと、頼みの武具をすべて奪い取り、分捕り品を分配する。わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。」「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。」(太字は鹿子による)



主よ、あなたは私に何をおっしゃりたいのですか?



御言葉を聴きましょう

御言葉を、ゆっくりと繰り返し味わってください。もし、その中の言葉や節があなたの心にひびいたら、味わいがなくなるまで、次に進まないで、そこに留まりましょう。

それは、飴を味わうことに似ています。口に入れる前に飴の成分を分析しないのと同じように、みことばの分析をしないでください。

というのは、それに引きよせられていることの理由に気づく前に、私たちの心はすでに魅せられているのです。だからこそ、頭で分析しようとするのではなく、できるだけ長くそこに留まってみことばを味わうのがよいのです。

祈りの中で、私たちの心が「雑念」に悩まされることがあるかもしれません。しかし、それは必ずしも悪いことではなく、祈りの糧にもなりえます。意識、思考、記憶、内省、夢想、希望、野望、恐怖など、混沌とした内なる世界を照らす光に聖書はたとえられます。ですから、神のことばと私たちの内なる感情や思考との出会いから祈りは生まれてきます。

*雑念

このように祈っていると、心が疑問や雑念の渦に巻き込まれることがあるかもしれません。—私は自分自身を欺いているのではないか?これらは本当に神の言葉なのだろうか?神は、みことばをとおして、本当に私と関わろうとしているのだろうか?私は神を信じているのだろうか?—もっともな疑問ですが、今はそのままにしておきましょう。夜を恐れる子供は、「だいじょうぶよ」という母親の声で落ち着きを取り戻します。しかし、その子が「お母さんの主張は何が目的なのでしょう?」とか、「お母さんの主張を裏付ける実証的証拠は何ですか?」と返したのなら、どうでしょう。自分と主の関係が明らかになるまで神の声に耳を傾けないというのなら、私たちは、祈りにおいて、夜を恐れる子供のようなものです。神とのまじわりは心から始まります。心には、理性にはわからないもっと深い理由があります。

では、心に押し寄せて来る雑念にどう対処すればよいでしょうか。ガスをつけっぱなしにしなかっただろうか、メールを出し忘れてはいないだろうかと疑い始めたとき、それがガスのように緊急のことなら、すぐに行ってチェックするのがいいでしょう。急を要さないものであれば、書き留めておくのもいいでしょう。それ以外、心に浮かんでくるものは、雑念どころか、祈りの糧となる可能性があります。


*照らす光としての聖書

「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」という聖書の始めの言葉は、「過去」ではなく「今」を語っています。そして、私が聖書をとおして祈るとき、神の霊が私自身のカオスや闇の上に漂っているのです。

私のカオスに神の言葉を迎え入れるとき、何でも起こりえます。なぜなら、主なる神は驚きの神だからです。内なる世界を、主の言葉や自分自身に隠さないことは大切です。また、私たちは、往々にして祈りに否定的な感情、特に、神に対して否定的な感情が入るのを悪いことだと教えられていることがあります。私たちは、すべてを受け入れてくださる寛大な神の前で、感情や思いを自由に表すことを学ばなければなりません。私たち自身以上にわれわれのことを知っている神の前で、自らを演じる必要はありません。

神の言葉に照らされて、あなたの考え、感情、望みの中で、祈りになりえないものは何ひとつありません。それは、神が不完全なあなたを愛し、あなたの中に聖霊が働いているからです。(太字は鹿子による)


・・・・* 悪魔を追い払うことをイエスの力を入れていた活動でした。悪魔とは日々の日常の中で、●●に私たちを傾けようとする力に与えられた名前です。今日では、それが、●●となって私たちを支配します。祈りの中で、私たちに取り付いている悪魔は何であるか神さまに明かし、助けを求めましょう。神さまから私たちを引き離し、他者を傷つける力から救ってもらいましょう。(●●としたのは鹿子・「祈りの場」の御言葉への黙想のヒント「行き詰まり?」の文章とは違っています)


対話

神の言葉は、私をどのように動かしましたか?
何も感じさせませんでしたか?
慰めましたか?あるいは、新しい方向へ踏み出すよう、促しましたか?

イエスが、私の横に立っているか、座っているのを想像します。

イエスの方を向き、感じたことをイエスと分かち合います。




memo
*注・・・今夜はこの祈りと御言葉の黙想によって、思いがけず(というのは大変不信仰ですよね)非常に助けられました!


しかし、大きな声でハレルヤと騒ぎたてたくはないのです。

神の御前で

しばらくの間、私はさまざまな物質の中に覆われて
存在する神について考えてみます。
神は各要素の中でそれらを存在させ、植物には生命を、動物には感覚を与え、
さらには、私の中にも存在し、これらのすべて、そしてそれ以上のものを与え、
私を神の神殿、聖霊の住みかとして下さるのです。




(解決のカギはこういうところにあるのだと思うのです。
しかし、いつしか傲慢にならないよう注意することが一人では難しいのかもしれません。)


静かに噛みしめて、もう一度祈って休みます。
感謝。

(memo以外は、「祈りの場」からの引用です。)