:セミナー・メッセージ集から:
"・・しかし次の瞬間示されたことは、私は「既にイエスによって贖われた、イエスのものである」というとても単純なことでした。
贖うというのは、代価を払って買い取られる、ということです。もし私が茶色の鶏を買えば、羽の一本まで買い手のものです。怪我をすれば、その怪我も買い手のものです。
それと同じように私も、私の失敗も不具合も、すべて主のものである。これから起きる出来事の一切も彼のものである。そして今悩み苦しむことの一切は彼のものであり、彼のためのものである。私は自分のものとして私のための苦しみを苦しむ必要もないばかりか、許されてもいない。
障害を負った体も心も、そつくりそのまま、イエスのものである。イエスが尊い体で買い取って下さったものである。
癒されるにしても、そうでないにしても、必ずキリストの栄光を顕わすようにしていただける。・・"
*ボールドは鹿子による
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