2008-12-19

webクリップ♪:日々のうつろい

いつどこで見つけたのかは忘れたのですが、いも通信というサイトの中の「日々のうつろい
という日記を月に一二度閲覧しています。
司祭の方のサイトなのですが、農業をなさっているんです。こういう働きもあるのですね。
どうして神父が百姓を?
  多くの人にとって神父と農業というのはつながらないらしく、よく「どうして神父が農業なんかするの」と質問されます。日本では一般的に、「神父」イコール「教会」というイメージが強く、教会を持たない神父というのは考えられないようです。
 神父(または司祭)には大きく分けて二種類あります。主に教会で働く教区司祭と教会を持たない修道司祭です。司祭というのは役割ですが、修道者というのは生き方の問題で、修道者は必ずしも司祭である必要はありません。日本では教会で働く司祭が足りないので修道者も教会で働いていますが、こんなに多くの修道者が教会で働いているのは世界的に見て特異です。
 その理由は、第二次世界大戦後、共産軍によって中国から多くの宣教師が追い出され、日本にもその宣教師が大勢やってきて多くの教会を建て、その教会を維持していくために修道者が教会で働かなければならなくなったからです。

キリスト教はもともとイスラエルというアジアから始まりましたが、さまざまな理由からヨーロッパで広がっていったという事情があります。しかし、ヨーロッパではギリシャの時代からの長い歴史の中で、人間と自然界がじょじょに切り離されていき、両者の間に深い溝を作ってしまいました。その結果、自然破壊や環境汚染など、ヨーロッパの科学・産業文明がこの地球に与えた傷は大きく深いものがありました。
 キリスト教の信仰も、いつしか自然界なしで考えられるようになり、信仰と自然は直接結びつきがなくなってしまいました。しかし、聖書で語られている神の世界は神と人間と自然がもっと一体となった世界を描いています。
 自然から切り離されてしまった人間が、人間本来の姿を現しているとは思えません。人間の救いを求めるものの一人として、この自然を通してもっと根本から「人間とはなんぞや」という問いかけを探求してみたいと思っています。(いも通信のプロフィール欄より)


もちろんお目にかかった事もありませんし、web上での交流も無い方なのですが「今月は世田谷区に来ていらしたんだわー」なんて思いながら読むのは楽しいものですね。

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