2008-10-22

デボーション、キャシーさん、唯人ブログ、ヤベツの祈り

霊によってであれ、言葉によってであれ、あるいは私たちから〔送られて来た〕とされる手紙によってであれ、〔これらのものが〕あたかも「主の日は〔すでに〕来ている」という趣旨〔のことを言つていると〕の理由で、すぐに分別を失って〔頭が〕混乱したり、恐怖心を抱いたりすることのないように。(2テサロニケ2:2岩波訳'95)

詳細は省きますがこれに関してはある意味、非常に耳が痛い鹿ちゃん(−−;


さて、今日は凄いタイトルですが・・。
以前、こんなふうなタイトルをつけて日記的blogにしていた頃の方が、振り返り(霊的にも)をしやすかった様に思えて実験的につけて(もどして?)みました。
カテゴリー分けって言うのも便利なんですが、振り返るときに、実はいろんなことが「(主にあって)繋がっている」ということがとても興味深いのですと、書きつつ、これも自分へのメモ。

昨日、『「40日のコミュニティ:2.何故、コミュニティが必要なのか」ピリピ人への手紙1章3~11節 尾山キャシー師(MP3)』を聞きながら、Tさんのblogにあった・・Kさん「尾山キャシーさんが『朝自分でディボーションせずして、どうやって子どもたちを導くのか』と語ったことが忘れられなくて、朝のディボーションを頑張っている」・・という箇所を思い出し、検索、他の記事もいろいろ読んで、暫し猛反省モード。
確かに日々、聖書は読んでいるけれど、最近は特に主への敬意が足りない。姿勢が甘い時が多いんだよね(こんな私の祈りも、主はいつも誠実に耳を傾けてくださるというのに!)。

尾山清仁先生の口内炎(かなり酷いらしいです)はその後どうなんだろうと思いつつ、教会サイトのリンクにある唯人ブログというのを覗いてみると、なんとこれは尾山令仁師のblogであった!ビックリ。
令仁先生は、いろんな関係で私の教会の牧師の先輩で・・、ということは既に80歳は超えておられるはず・・と思いながらいろいろ記事を読む。精力的に書いておられるなぁ(原稿だけお渡しになるのでしょうか?ご自身でタイプなさっているのでしょうか)。
HSのことにも少しふれていらっしゃいますねぇ・・、清仁先生はHSをなさっているわけですが・・・、ふむ、令仁先生はこういうスタンスだったのですね。
おお!令仁先生って玄米菜食なんですね!(妙に親近感&納得・笑)
ただ、祈りや主のご臨在・・霊的生活に関しては、私は「暗夜」というのが確かにあると思うのです。先生も多分、そういうことはご存知だと思うのですが、混乱を招くといけないのでこういうところには書かないのでしょうね。

わが家はそろそろ、就学前の健康診断。昨日は耳鼻科に行ってきました。

この件に関しては、もうね・・長いことずっと祈ってきたわけですが・・、
夏に「ヤベツの祈り(歴代誌第一4:10)」の箇所を通読してから、主は深い憐れみを持って何日かふれて続けて下さいました。
ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。
 「私を大いに祝福し、
 私の地境を広げてくださいますように。
 御手が私とともにあり、
 わざわいから遠ざけて
 私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」
そこで神は彼の願ったことをかなえられた。


ああ、この祈り大胆に祈っていいんだな、そしてこの祈りを握って送り出していいんだな・・とゆっくり静かに頷かせて頂けて感謝しています。

今は平安です。

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