2008-10-25

死の淵からの帰還:野村祐之 著


先のエントリーに関連して、野村先生がどういう状態の時に、あの祈りに導かれたのか・・がとても良くわかる書籍を紹介させて頂きます。
97年に岩波から出た本で、現在は品切れになっていますが「死の淵からの帰還」です。amazonマーケットプレイスには10点の中古があるようですね ¥ 757より〔価格や数は変わると思いますので、上記リンクを参照下さい)BookOffなどにもあるのではないかと思います。
私は、感謝なことにサイン入り書籍を入手することができたのですが、(砂漠の知恵などでも野村先生の素晴らしい賜物を知ることができますが)素敵な毛筆ですよね〜。

人生半ばにして医者から先が長くないことを宣言された著者は,紆余曲折を経て米国で肝臓移植を受ける.自らの経験を通して,日本とアメリカの間に横たわる医療観や倫理観の違いなどを肌で感じ取るとともに,命の重みを実感.生命とは何かをめぐり,体験者ならではの深い思索を展開する.脳死や臓器移植問題等を考える上で不可欠の1冊〔岩波サイトの紹介文より



移植に限らず、大病や事故、災害に遭遇するというのは、突然、人生の床が抜け、おおきな穴に突き落とされるような体験である。
しかし、その深淵で僕が見たものは、虚無でも、暗黒でも、絶望でもなく、生きとし生けるすべての命がその深みにおいて支えられているような「命の根元」であった。その深みからの光に照り映えて命は輝き、日常のただ中でキラリとひかる。
そのときわれわれは、命の本質が長さやおおきさではなく、深さにあることを発見する。普段なにげなく見過ごしてしまうちいさな輝きにこそ奇跡がかくされていたことを知り、こころときめかせるのである。それに気づくとき、我が身に課せられた運命に対する、「なぜ私がこんなめに」という問いは、「よくそこの僕に」という喜びにとってかわられる。呪いと災いが祝福と幸いに転じるのである。
「幸」という象形文字は、古代中国で死刑囚にはめられた手枷のかたちなのだそうだ。「幸い」とは、死刑囚が命からがら助かったときに実感する気持ちのことであったという。
その意味でなら、僕自身、身をもって幸せを、味わわせてもらえたとえいよう。ほんものの幸せとは、自分の存在を根底からゆるがすような問題に真正面から取り組むときに経験する、生きる喜び、命の輝きの賛歌なのかもしれない。(「死の淵からの帰還」エピローグp220-221より)



本を枕にースピリチュアルな日々ー『死の淵からの帰還』という本を読んで
クレオパさんの感想と紹介(とても詳しくお書きになっています)是非、ご覧下さい。

クレオパさんもお書きになっていますが、内容はもちろん、野村先生のイキイキとした瑞々しい文章・文体が本当に素晴らしいんです〔ラジオでのお話しを聞いた後だと、先生が情熱的に語る声が聞こえてくるような感じがすると思います)。
岩波から出た書籍ですが、信仰について遠慮無く、しかもとても深くそして力強く書かれています。
クリスチャンの間でもっともっと読まれて&知られていても良い本だと思いました。

検索してみると家の近所の図書館には蔵書があったので、お近くの図書館をあたってみるのも良いかも知れません。

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