死ぬべきものがいのちに飲まれる(2コリント5:4)
「主により頼む」ということと、「偶像」について、これはいつも「今、自分の中ではどうなのか」と問う必要があるなぁ。
正直である事(これは思った侭を考え無しにどんどん口にするということではない)は大切。
ふと、何年か前チアコンベンションで娘を抱っこしてくれていたチルミニの女の子たちを思い出した。キリストの香。主にあって彼女たちの様になってくれたら・・と祈ったっけ。
なんとなく、わだかまりが溶けたのかな・・という一件があった。
こころから感謝しよう。(1コリ13)
これとは別に公の話し合いのなかで、目を合わせようともしない一部の方たち。
なんとなく、固い、打ち解けない雰囲気。懐疑的だったり好戦的な部分が目立つ気がしたり。
それでも話し合いの場が持たれ、自由に意見を出しあえるようになったことは喜ぶべき事だ。
まぁ、先走った裁きをするつもりもないけれど、なぁなぁであるのも良くない。
「自由」についても考える。
もっと友好的で、暖かくありたいな・・。
キリストの愛が満ち満ちたコミュニティとなれたら・・、誘いたくてたまらないコミュニティになれるよう祈りたい。
でも、わたしたちは不完全なままで召されていることも忘れちゃいけないね。
0 件のコメント:
コメントを投稿