神よ
わたしに勇気と謙虚を与えてください。
あなたの民の一人となるわたしに、いつくしみを注いでください。
わたしの心を、主イエス・キリストとともに新たに生かし
あなたの愛の息吹きである聖霊によって、うるおしてください。
今、洗礼の日を心待ちにしながら、信頼をこめてあなたに讃美と感謝をささげます。
婆母切支丹マカ-Mac iPhone7 iPadPro12.9&10.5 Applepencil iPad-mini Kindle(Paperwhite,Fire)ユーザ主婦:谷川鹿子の日々徒然
1テサ5:1
兄弟たち。それらがいつ(クロノス=時代)なのか、またどういう時か(カイロス=時点)については、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。
カイロスは「ここぞという好機」を意味し、クロノスは「流れゆく時」を意味するのだそうだ。(太字は鹿子による)
語源はともに、ギリシャ神話の神々の名前である。カイロスは、もともとは「切断する」という意味の言葉から由来し、ゼウスの末子で前髪は長いが後ろははげた美少年で表されているという。クロノスはもともとは川の流れを司る神であったようである。
岩波の「哲学思想辞典」にとてもよい解説があった。それによるとカイロスは「宿命あるいは神意によって配列され、人間には決定的応答を要求する時」なのである。言い換えると神の摂理(計画)によって与えられた人間の応答を求める時である。
マルコ福音書では、イエスの洗礼のあとに、イエスはガリラヤにいき、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1章15節)と述べられたとある。このときがまさに「カイロス」なのである。カイロスは「満ちる」とか「熟す」とかいうものであろう。
そして人間の応答を求める。まさに「好機到来」なのである。
また旧約の「コヘレトの書」の3章には
「何ごとにも時があり、
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時、植える時、植えたものを抜く時……………。」
という箇所がある。これは旧約なので、ヘブライ語で書かれてはいるが、ギリシャ語に訳された時は「カイロス」と訳された。Good News Collectionさんもその後、移転なさったようだ。移転先にも興味深い記事を見つけたので感謝。
ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。 (第一テサロニケ5章6節)
ここでの覚醒と言うことは、霊的な意味での覚醒です。「目を覚まして」の前には、「眠らないで」としるし、それに続いては「慎み深く」と言う言葉が使われていることに注目しましょう。「眠る」とは、キリストの再臨への無関心を示します。「酔う」とは、無責任な行動を示します。「目を覚ます」とはそれに対比して、注意深く、待ち望む心を持つことです。「慎み深く」とは、精神的に落ち着いた気持ちの事で、主の再臨が近いと言う思いから、舞い上がって日常生活が手につかなくなるようなことから守られるべき事を示唆しています。(教会HPの最新の礼拝ノートより)
From Evernote:(EvernoteからメールによるBloggerエントリーテストもかねて、デボーションのお分かち:Evernoteがデボーションのメモはもちろん、聖書箇所を参考にするために大変役に立っています。Eve内やiPhone内だけでなくweb経由でもコンコルダンスも兼ねますし、それをそのまま即メモし、後で各デバイスから強力に検索も可能・・) |
つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。(新共同)
・・・実際、そのころを詩篇46編10節の「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(口語訳)という箇所を読むたびに、それを修辞的な言葉だと思っていました。神様は私に文字どおり静まってほしいわけではないーーー何もするなと?何もいうなと? まさか!
さて、数年前に神様は私をあわれみ、私の愚かさを示してくださいました。・・・(略)・・・人生の第一の焦点を神様に置いていないことに神様が気づかせてくださました。わかりますか。私は「静まって」いることがなかったのです。だから神様を知ることがなかったのです。・・・(略)・・・
作家フィリップ・ヤンシーはかつてこう言いました。「二週間かけて聖書を全巻読破したとき、神は分析されることにはそれほど関心がない、と考えるようになった。神は何より愛されたがっておられるのだ!」
あなたは毎日、神様と二人きりで過ごしていますかーーーーあなたを愛する師であり親友である方と。あなたは神様と一緒にいるとき、何をしていますか。
聖書研究や祈りのための手引きはたくさんあります、そのようなものに関して、私たちは前の世代の人々にはなかった豊かな資料に恵まれています。みなさんが時間をとって聖書の学び方を知り、聖書の解釈をいつも他者に依存するのでなく、自分で糧を得られるようになることを祈ります。自分で解釈することができれば、イエス様を深く愛し、その足下に座ってイエス様の口から出てくる言葉の一つひとつに熱心に耳を傾けることだけを考えたベタニヤのマリヤのようになれるでしょう!・・・(略)・・・イエス様が来られるとき、あなたはどこにいるでしょう。
あなたはそこで栄寿様を待っているでしょうか。熱心にイエス様の言葉に耳を傾け、イエス様に従い、礼拝し、愛するでしょうか。神様を愛し、生活の中で神様を何より優先するというのは、人に見せられないことです。誰にもはっきりとはわからないことです。あなたが神様を第一にしているかどうかを知っているのはあなたと神様だけです。
・・・(略)・・・
「主よ、あなたが恋しいのです。私は子どもたちに(あるいは家事に、忙しさに)気持ちを奪われています。でもどうぞ今、あなたのご臨在を感じられるようにしてください。あなたが生活の中でしてくださっていることを私に分からせて下さい。」
誰もが物語り その1ページには
胸弾ませて 入ってゆく
僕の部屋のドアに 書かれていたはずさ
とても悲しい 物語だと
窓の外は雨 あの日と同じ
肩を濡らした君が ドアの向こうに
立って いたのは
窓の外は雨 雨が降ってる
幾筋もの雨が 君の心の
曇り ガラスに
回心体験は、自分を隣人のように愛することで成り立つものだ、と私(野呂先生)は思っております。自分という人間を好きでたまらない人もおりますし、自分という人間が嫌いで仕方がない人もおられるでしょうが、好きでも嫌いでも、私たちにとって自分という人間は、いつも隣りにいて離れてくれない存在なのです。否応なしに、一生苦楽を共にしなければならない隣り人なのです。
瀕死の重傷を負って倒れている自分を見付けた時に、私たちはどうしたら良いのでしょうか。置去りにして逃げて行きますか、それとも、傷が全治するまで徹底的に付き合いますか。
(月) 創世記 49:25~26
あなたを助けようとされる
あなたの父の神により、また、
あなたを祝福しようとされる
全能者によって。
その祝福は上よりの天の祝福、
下に横たわる大いなる水の祝福、
乳房と胎の祝福。
あなたの父の祝福は、
私の親たちの祝福にまさり、
永遠の丘のきわみにまで及ぶ。
これらがヨセフのかしらの上にあり、
その兄弟たちから選び出された者の
頭上にあるように。
(火) Ⅰ歴代誌 4:10
ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。
(水) 詩篇 21:3
あなたは彼を迎えてすばらしい祝福を与え、
彼のかしらに純金の冠を置かれます。
(木) 箴言 10:22
主の祝福そのものが人を富ませ、
人の苦労は何もそれに加えない。
(金) イザヤ書 61:6~7
しかし、あなたがたは主の祭司ととなえられ、
われわれの神に仕える者と呼ばれる。
あなたがたは国々の力を食い尽くし、
その富を誇る。
あなたがたは恥に代えて、二倍のものを受ける。
人々は侮辱に代えて、その分け前に喜び歌う。
それゆえ、その国で二倍のものを所有し、
とこしえの喜びが彼らのものとなる。
(土) イザヤ書 65:16
この世にあって祝福される者は、
まことの神によって祝福され、
この世にあって誓う者は、
まことの神によって誓う。
先の苦難は忘れられ、
わたしの目から隠されるからだ。
(日) マラキ書 3:10
十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、
わたしの家の食物とせよ。
こうしてわたしをためしてみよ。
──万軍の主は仰せられる──
わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、
あふれるばかりの祝福を
あなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。
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――豊富なモジュールを利用できる - その他 - 蔵出しレビューよりここであえて、新改訳聖書アプリにはふれないでおきますです。
おまけ 青空文庫風テキストファイル形式 口語訳聖書
新約聖書(約2MB)
旧約聖書(約6MB)
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」
聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』と言うことができない」(Ⅰコリント人への手紙12:3)
「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者たちの中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるのです。なぜなら、心で信じ て義に至り、口で告白して救いに至るからです」(ローマ人への手紙10:9、10)
「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。
わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」 (ヨハネの福音書 14:27)