2008-11-13

OYB11.13

Ezekiel 27-28:26; Hebrews 11:17-31; Psalm 111:1-10; Proverbs 27:15-16 (New King James Version)
繁栄(経済的に不安がないことも含む)とか賜物に溢れていることは、傲慢に繋がりやすい(偶像になりやすい)という側面ももっていること。安易に羨まない。
人の目(自分からでも他人からでも)から見て不遇の境遇というのは、神から見ると違うのだろうなぁ。しみじみ。

ヘブル 11:26
彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。

ここって、「報い」というのはヘブル書の書き手の表現だろう。なんても思うけれど。
聖書を読むと基本的にモーセはいつもシンプルに主の御心を行いたいと思っていただけだと感じる。
とはいえ、大変な中をあのわがまま集団を連れ歩いたんだもんなぁ。
これは教会にも同じことがいえるかもしれないよね。出エジプト・・紅海が割れて救われたものたちだけれど、歩みは大変・・。牧者も大変・・。

でも、教会を与えられたのはイエスさまだ。

なるほど箴言のここんとこは「争い好きな女を制する者は、風を制し、右手に油をつかむことができる」こうなるわけだなぁ。これも文字通りってわけじゃなくて、それくらい大変だということだよね。文字通りじゃないところなんて聖書にはいろいろある。


雑記
夕べ、何時間か娘の看病(っていうほどのものじゃないけれど)をしていて、一瞬、苦しんでいる娘の目がイエスさまの目に見えた時があった。
深い憂いを含んだ射るような眼差し。
思わず声に出して、主と娘に詫びる。

マザーテレサのエピソード(正確には映画のワンシーン)を思い出したけれど、私には決定的に愛がない。
愛が無いどころか、中心は非常に冷たくて相変わらず利己主義の固まりだということを突きつけられる。

打ちひしがれて悔い改めるも、今朝はある件で傲慢な態度をとっている。
皮肉なくらいの秋晴れが広がっているなぁ。

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