2008-07-18

一切のもの我に可からざるなし、されど一切のもの益あるにあらず

1コリント6:12 「万事はわたしに自由である」(とあなた達は言う。そのとおり。キリストを信ずる者はモーセ律法にも縛られない。)しかし万事が有益ではない。(たしかに)「万事はわたしに自由である」。しかしわたしは何ものにも支配されようとは思わない。(キリストによって自由であるわたしは、肉の欲に支配されない。)

6:13 (肉の欲と言っても一様にはゆかない。あなた達のいうとおり、)「食べ物は腹のため、腹は食べ物のためにある」。しかし神はそれをもこれをも消えゆかせられるのである。これに反して、体は不品行のためにあるのでなく、主の(御用の)ためにあり、主は(わたし達の)体のために(命をすてられたので)ある。

6:14 そして神は主を生きかえさらせたばかりか、(最後の日には)わたし達(の体)をも御力をもって生きかえらせてくださるのである。

6:15 あなた達は知らないのか、あなた達の体は(すでに)キリストの器官であることを。(もちろん、知っているはずだ。)では、わたしはキリストの器官(であるこのわたしの体)を取って、遊女の器官にしてよいだろうか。もっての外だ。

6:16 それとも、遊女に結びつく者はそれと一つの体であることを、あなた達は知らないのか。『二人は一体となる』と(聖書は)言うではないか。

6:17 しかし主に結びつく者は(主と一つの体、)一つの霊になるのである。(塚本訳)


一切のもの我に可からざるなし、されど一切のもの益あるにあらず。一切のもの我に可からざるなし、然れど我は何物にも支配せられず、食物は腹のため、腹は食物のためなり。されど神は之をも彼をも亡し給はん。身は淫行をなさん爲にあらず、主の爲なり、主はまた身の爲なり。
神は既に主を甦へらせ給へり、又その能力をもて我等をも甦へらせ給はん。
汝らの身はキリストの肢體なるを知らぬか、然らばキリストの肢體をとりて遊女の肢體となすべきか、決して然すべからず。
遊女につく者は彼と一つ體となることを知らぬか『二人のもの一體となるべし』と言ひ給へり。
主につく者は之と一つ靈となるなり。(文語訳)

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