2008-07-01

キリストのしもべとして、心から神のみこころをおこない・・なさい

このカテゴリーへのエントリーは久しぶりだったかな?
このところの定番は、「イエスさまはいつもいっしょ」のその日の箇所を読んでお祈りと、ドンボスコ社の「こどものせいしょ」を一話読んで、その箇所の聖書を開いて確認したりお話することなのですが、先週のCSから、成長の小学生下級のワークの後ろについている「日々のお祈り」の聖句と短いお祈りもするようになりました(プリントアウトして子どもたちに配ったりもしたので)。

今日は、私が猫のトイレをお風呂場で洗っている間に、自分で読んで祈ったらしく「ひとりでやったんだよぉ〜っ♪」と嬉しそうに報告に来てくれました。
いやぁ、アタシもその・・う・嬉しかったです^^;はい。

で、日中、何度かその聖句(エペソ6:6-7)を思い出して、暗唱し合ったり感じたことを話たりしました。
私は朝にはなんといいますか、このみ言葉で非常に自分の歩んで来た道のりについて刺されちゃいまして、少々ふてくされ気味?にまでなってしまったのです。
しかし、何度も思いめぐらせているうちに「ねぇ、鹿ちゃん、神の御心ってなに?(その後も個人的にはいろいろあるのですが割愛)・・シンプルにいうと愛じゃない?」と響いてきました(んなことは、重々承知の助ってな感もあったのですが、そこをまたしても優しく崩して頂きました)。
ちょうど夏のCSデイキャンプの為に「放蕩息子」のお話を作っていたこともあり、無条件の主の愛が迫ってきたのです。それをわかりやすく娘にもシェア(家事をしながらとか買い物の道すがらなどの合間、合間になんですが)。
でも、こういうのがいいんですよね。うん、しみじみ良かったです。

今晩は、寝る前のお祈りの後も、聖書のお話を聞きたがったので、その場でちょっと祈って「ペテロが三度主を否む」のお話をしました。
恥ずかしいのですが、途中で感極まってしまってかなりうるうる系で話してしまったのですけれど、娘も真剣に聞いてくれました。

アタシなんか、歩みもいい加減で鈍くて、ホントになぁーんにもしていないクリなんですが、こんなふうに主は恵みを下さって・・・勿体なくて死にそうになっちゃいますね。


「最近、自分の心が好きになった。僕の心には君がいるから」

これは先日借りて来た、アスペルガー症候群の恋人同士のお話の映画のDVD「モーツァルトとクジラ」のなかの台詞のひとつですが、イエス様が私の心に住んでいて下さっていることを深く思わされ心にしみいりました。

「すみたまえきみよ。ここに、このむねに」

私はわたしをもっと好きになれるはずです。主が住んでくださるといっておられるのですから。
そう思いつつ、エペソ6:6-7をまた噛み締めています。

2 件のコメント:

nanana さんのコメント...

ここに来るとホッとします(笑)

放蕩息子は最初はなにを言いたいのか
さーっぱりわからなかったどころか
そんな息子放っておけばいいじゃん。なんて思ったり(ーー;)
この放蕩息子が自分だったとわかった時には
顔から火が出る思いでした。
それを両手を広げて迎えてくださったと知った時には感動なんて言葉で足りない感動でした。

谷川鹿子 さんのコメント...

え?ホッと?するの?
何故?(って、追求しないでおうこう・・っと/笑)

放蕩息子は、お兄ちゃんの気持ちの方がピントきますよねぇ。
「こっちはこんなに頑張ってきたのにぃー、なんでふらふらして遊んでた奴をそんなに可愛がるわけぇ(怨)?」って感じかな。
まぁ、アタシなんかは多分に弟みたいになる気質?を持ち合わせているんですけれども、すぐに兄みたいに思いまくっちゃう人ですし。

でも、この話は、そういうところを全部ひっくるめてイエス様は愛して下さる、喜んで下さるっ・・放っておかずに関わってくださろうと手を伸ばしていて下さっていたんだ!って言うのが、ほにゅぅー!はぎゅうー!うんがぁーーーーーー!ってくらい感動だよね(;。;)涙