2008-07-30

1 Corinthians 15:1-34; 2 Kings 10; Micah 1

しかし、神の恵みによって、私は現在の私なのであり、そして私への神の恵みは、空しくはならなかった。むしろ私は、彼らすべてよりもより多く働いた。もっとも私が、というのではなくて、むしろ私と共にあった神の恵みが、ではあるが。(1 Corinthians 15:10岩波)


なんぢら欺かるな、惡しき交際は善き風儀を害ふなり。(15:33文語)

このようにして、エフーはバアルをイスラエルから根絶やしにした。ただし、エフーは、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪、すなわち、ベテルとダンにあった金の子牛に仕えることをやめようとはしなかった。(2 Kings:10:28_29 新改訳)

すべての国々の民よ。聞け。地と、それに満ちるものよ。耳を傾けよ。神である主は、あなたがたのうちで証人となり、主はその聖なる宮から来て証人となる。(Micah1:2 新改訳)


Memo
少し前に頂いたある電話のことを思い出す。
感謝なのだけれど、「なんだかなー」という思い。
某所に疎外感はあるな、確かに。まぁ、それはそれでいいけれど。どうもすっきりしない。聖霊に導かれてというより自説を展開されているような気がする。こちらのことを気にかけてではなく、ご自分の考えを述べたかったのでは・・とも思えてくる。
実際、私のおかれている状況をこれっぽっちもご存知ではないようだ。
(別件で「自分は忙しくてそういうことを考える暇はなかった」ということばを頂いたことも思い出す/ため息)
話す事には注意しようと思う・・が、思っている事を口が語るのだな・・とも思わせられる。
それでも(どちらも)主のみこころ、導き、助けを祈って下さっているのだろう。その点は感謝しよう。

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