2008-07-21

1 Corinthians 8; 1 Kings 22; Amos 6

1コリント8:1 また、(あなた達が書いている)偶像に供えた肉(を食べることの善し悪し)については、(なるほど)「わたし達は皆知識を持っている」ことを、わたし達は知っている。(しかし)知識は(人を)得意にするが、愛は(人を)高める。

8:2 もしある人が(愛がなくて)何か知っていると思うならば、彼は知らねばならぬようにはまだ知っていないのである。

8:3 しかしもしある人が(愛があって)神を愛するならば、その人は(神を知っているのである。いや、)神に知られ(、選ばれ)ているのである。(まことの知識は神を愛する者に神から与えられる。)

8:4 それで、偶像に供えた肉を食べること(の善し悪し)については、(問題は明らかである。)「世にいかなる偶像もなく、また、ただ一人のほかにいかなる神もない」ことを、わたし達は知っている。

8:5 なぜなら、たとい天にも地にもいわゆる神々があるとしても、──そして実際多くの神と多くの主とがあるけれども──

8:6 少なくともわたし達(信ずる者)には、ただ一人の父なる神があり、一切のものはこのお方から出て、わたし達もこのお方に帰する。またただ一人の主イエス・ キリストがあり、一切のものはこの方によってでき、わたし達もこの方によるのである。(従ってまことの神でない偶像に供えた肉はただの肉で、これを食べる ことは信仰と無関係である。)

8:7 しかしながら、(キリストを信ずる)すべての人にこの知識があるのではない。中には(異教から信仰に入り、)偶像に対する今までの習慣によって、偶像に供えた肉としてこれを食べるので、弱い良心が汚される人たちがある。

8:8 食べ物はわたし達を神に近づけるものではない。食べずとも損はなく、食べても得はない。

8:9 しかし気をつけよ、(強い)あなた達のその自由が、弱い人たちにつまずきにでもなることがないように

8:10 なぜなら、あなたが知識を持っているため、偶像のお宮で食事の席について(供え物の肉を食べて)いるのを、(知識を持たない)ある人が見たとすると、その 人は弱いのに、その良心が(はたしてあなた達がいうように「強め」られるであろうか。いや全く)「強め」られて、偶像に供えた肉を(御利益でもあるように 思って)食べる、ということにならないであろうか。

8:11 そんなことになると、弱い人、一人の兄弟があなたの知識に禍されて滅びるのである。キリストはその人のためにも死なれたのである。

8:12 このようにあなた達が兄弟に対して罪を犯し、彼らの弱い良心を傷つけるのは、(取りも直さず)キリストに対して罪を犯すのである

8:13 それゆえに、食べ物がわたしの兄弟を罪にいざなうなら、わたしは兄弟を罪にいざなわないために、永遠に断じて肉を食べない。(以上、塚本訳)


*注・・これは「肉を食べない」ということを示されてメモしたのではありません。この場合の肉はちょっと意味合いが違いますし。
私が特定の食事法をすることが他の人の躓き(信仰面においての)にならないように配慮出来るところはしたい・・ということを覚えておくためにメモ。
何度か書いていますが、食べ物は大切な神様からの贈り物ですが、食事だけで全てが変わる(ましてや運命が変わる等)とは捉えていません。
私たちに計画をもっていてくださるのは、天地を創られ、私たちを創られ命を与えられた主なる神であるからです。菜食をしようが、マクロビオティックを参考にしようが、私の場合はこの↑「根っこ」のところが変わる事はありません。

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