2008-07-26

1 Corinthians 12; 2 Kings 6:1-7:2; Jonah 1

1コリント12章に慰められる。
また、同時に反省させられる。
私たちは自分の頂いている賜物を管理し育て主の栄光の為に使う様に召されている、他の人と比べ悲観したり妬んだり、反対に高慢になったりすることはない(まぁ、こいうことは頭ではわかってはいる・・ってなことでもあるんだけれども)。

それぞれが大切な神様のからだの一部。
誰かが苦しんでいるとき、身体の一部が痛んでいるように思いやれるだろうか。
だれかが賞賛されているとき、同じようにただ主が讃えられていることを思い純粋に喜べるだろうか。

そして、さらにまさる道を示そうとパウロはいう(次は有名な13章ですね)。

その通りなんだよね。12章も13章もAmen。
「愛を求めて、命与えられ」というある賛美の一節を思い出す。
私はどうしてイエス様に惹かれたのか?狂おしいくらい求めたのか?
原点を思い出そう。本質に目を向けよう。

memo
ちょうど昨日は、デイキャンプで上映する「こいぬのうんち」を観たところ。
この意味でもタイムリー。
主のとき。
その測り縄はわたしのために好ましい所に落ちた。

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