2008-06-14

Mark 1:21-45; 2 Samuel 3:2-39; Daniel 2:1-23

Mark 1:34 イエスは、さまざまの病をわずらっている多くの人々をいやし、また多くの悪霊を追い出された。また、悪霊どもに、物言うことをお許しにならなかった。彼らがイエスを知っていたからである。

2Samuel 3:36 民はみなそれを見て満足した。すべて王のすることは民を満足させた。 37 その日すべての民およびイスラエルは皆、ネルの子アブネルを殺したのは、王の意思によるものでないことを知った。

Daniel 2:18 共にこの秘密について天の神のあわれみを請い、ダニエルとその同僚とが、他のバビロンの知者と共に滅ぼされることのないように求めた。 19 ついに夜の幻のうちにこの秘密がダニエルに示されたので、ダニエルは天の神をほめたたえた。(以上全て口語訳)



今日の引き続き、マルコの展開の早さが心地よい。今日、思わせられたのは霊的な世界ではイエスは知られていたという事。「霊的な」というところがポイント。

ダビデのする事は民を満足させた。もちろん、これは民への媚ではなく、主の知恵によって統治しているから。品格。ダビデはネヘミやとかダニエルに比べると、品格という形容が似合わないと感じなくもないが(って、偉そうですね/汗/あくまで、私一個人の感想です)主にあって王の品格を感じる。内側の叫びも聖書によって知っているのでなおさら感じ入ってしまう。

ダニエルの2章は、昨日、娘とのバイスタでやったところ。
「おかあさんも、今日からダニエル書なんだよ」というと、とても嬉しそうだった。
ダニエルについてはどこを読んでも信仰はもちろん思慮深く品がある様な気がする。ここでは、みなと祈っている。自分の賜物をあくまで謙遜に受け止めていて、決して個人プレーの人ではないのだ。栄光は全て主のものとしている姿が美しい。

memo
今回、10日のチャレンジが始まって、人間的には難しさを感じている。けれども、もし御心なら、成し遂げられるだろう。
非常に祈るようになった。それは今している事の達成についてだけではなく、御心を求めたり執りなしや、ただ御臨在を感じたり等。

主の栄光が現されればいいなぁ。

昨日は、朝のうちは快調で、日中以降一時的にいらついたりふらふらしたりしたが、夜は良く眠れた。
喉と鼻がだいぶ良くなってくる。それと出産以来続いていたある不快な症状がすっぱりと無くなる。
お腹がへこんできて嬉しい。
今朝も目覚めはわりと良い。昨日、半分残した梅醤番茶を暖め直して少し飲む。多分、夕方頃、へなってくると思うので、そのときも飲む為に量をセーブ。
今日からお昼は11時、夕飯は6時にしよう。おにぎりを2個づつの予定(でもま、流動的にやります)。

今朝の体重42.6キロ 体脂肪率23%
体脂肪率が増えていて、がっくし・・。まぁ、家の体重計は宛にならないけれどねぇ。ビクビクしないでもうちょっと運動が必要かな。

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