2008-06-01

Spiritualを何と訳す?: はちことぼぼるの日記

2008-05-29 - はちことぼぼるの日記のコメント欄:うさたろうさんのコメントを引用

カトリック教徒の方が行った原書のレビュー(http://rtforum.org/lt/lt125.html)を読みました。そこに引用された原文を見ると、コリンズ博士は次のような文章でspiritualを使っていますね。

Science is not the only way of knowing: there is also a spiritual worldview providing another way to truth.(p. 229)

つまり、経験科学一辺倒ですべての知識を把握できるとする考え方、そして、その考え方を盲信する無神論とは対立する、もう1つの知への道としての spiritual worldview があるというわけです。この文脈で考えると、「有神論的世界観」という訳語が1つの有力候補という気がします(その前後でtheisticといった語が使われていて、訳し分ける必然性があれば別ですが)。その場合、“spiritual logic of the heart, the mind, and the soul” (p. 204) も「心(感情)と知性(理性/精神)と魂とが行使する有神論的論理」といって逃げ切ることができそうです。

ただし、これで押し通すわけには行きません。困るのは、「人間のspiritual nature(すなわち、soul)」、「創造記事のspiritual sense」というような語句でしょう。「有神論的性質」だの「有神論的意味」だのとするのは不適切でしょうから。こうした場合は、適宜訳し分けて、前者は「神と交感できる性質」や「神を認識できる性質」、後者は「信仰的な意味/信仰的な理解」などとするのが、1つの選択肢ですね。「認識できる」「認知できる」「悟る」「知る」など、この本全体の訳文の調子や、前後の文脈によって、言葉の固さ、柔らかさを考えることが必要ではありますが。

「人間のspirituality」といった場合のspirtualityの訳語は、文脈によって「有神論的世界観」「有神論的認識力」「神を認識できる性質」「神を知る力」などとすることができるでしょうか。

いずれにせよ、クリスチャンではない方々も相手にした文章であり、かつ「霊的」という教界用語が誤解、偏見を招くおそれがある以上、ある程度まで噛み砕いて、可能な限り中立的な言葉を使うことがよいのではないかと思います。

1つの考え方として、参考になれば幸いです。



盛り上がってるなぁー。面白い!
「うさたろうさんって、すごいなぁー」とつぶやくと「え?うさぎさんがどうしたの?」と興味津々の娘(笑。

関根勤さんに似ていらっしゃるのかしら?

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