2008-06-09

Romans 14; 1 Samuel 26; Psalms 69

Romans 14:1信仰の弱い者を受けいれなさい。ただ、意見を批評するためであってはならない。
3食べる者は食べない者を軽んじてはならず、食べない者も食べる者をさばいてはならない。神は彼を受けいれて下さったのであるから。 4他人の僕をさばくあなたは、いったい、何者であるか。彼が立つのも倒れるのも、その主人によるのである。しかし、彼は立つようになる。主は彼を立たせることができるからである。 5また、ある人は、この日がかの日よりも大事であると考え、ほかの人はどの日も同じだと考える。各自はそれぞれ心の中で、確信を持っておるべきである。

16 それだから、あなたがたにとって良い事が、そしりの種にならぬようにしなさい。

1 Samuel 26:13 ダビデは向こう側に渡って行って、遠く離れて山の頂に立った。彼らの間の隔たりは大きかった。

ps69:15 あなたのまことの救により、わたしを泥の中に沈まぬよう助け出してください。(以上、口語訳聖書から)



memo
はぁ、なんとまぁ、今朝のために備えられた箇所だろう。
口語で読むのも新鮮だ。
「生きるにしても死ぬにしてもキリスト」っていうことをロマ14の中で読むと、深く感じさせられるところがあった(と、書きながら、私って「深く感じさせられる」と表現しながら、実は詳細を書き連ねることから逃げているときもあるな・・と思わせられる。まぁ、blogだし詳しく書けないことも、実際は多いのだけれど)。

昨日は、墓園礼拝の前に会堂でも礼拝があったのだけれど、その中で取り上げられた箇所は「生きるにしても、死ぬにしても、 私の身によって、 キリストのすばらしさが現されることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です」(ピリピ1章20、21節)新改訳」
そうだ、こっちの方面からのアプローチが、私にはお馴染みだったのだ。

それと、ダビデ。詩篇では、やはり家族も大変であったことをまた思わせられる(先日の思いめぐらし)。

シンプルな美しさに憧れつつ、複雑さの中で辟易しがちな歩みだったけれど、実はそれも豊かさの一部だったりするのかもしれない。

「聖書は人間の取扱説明書」とか「マニュアル」のように例えられるときがあるけれど、私はこれにとても違和感を覚える。z

このニュース、驚くとともに陰鬱な思い。このように簡単に携帯サイトにアクセスできなかったなら、もしかすると気を鎮める事が出来たのではないだろうかなどと思ったり。


昨日、夕飯前に娘の自転車につきあい、結構な距離をぐるり、その後、公園。
「練習してないのに、うまくなったね」とご機嫌な娘。
身体が出来てきたんだなぁ。
公園では、ちょうど一つ年下の女の子とブランコで遊んで、この時期の一歳の差を思い巡らせる。
成長。時期。主が豊かに備えて下さっている。
焦ることはない。過剰に期待することもないし、がっかりすることもない。

まぁ、それでも歴然と日々、一喜一憂したりもするけれど・・。
それもスパイスみたいに思って楽しめたらいいね(こういうまとめ方も、ナンダカナァ)。

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