2008-02-02

dm:祈り

主はこういわれるでしょう。「あなたがたの教会にわたしの場所はあっても、あなたがたの心にはありません。あなたがたはわたしを崇拝しますが、わたしを知りません。なぜなら、あなたがたは決してわたしと共に生きていないからです」と。わたしたちはどうすれば主とともに生きられるのでしょうか。それは祈りです。祈りという簡単な方法によって、私たちは主の存在を認識し、イエス・キリストがどういうひとであるかを知る事ができます。(スンダル・シング著作集3/p221)

主を人間か一つの霊としてしか受け入れられないとき、わたしたちは主を認識する事ができません。わたしたちが祈るとき初めて、わたしたちの霊の目は開かれ、主を生けるキリストとして認識する事ができるでしょう。(
スンダル・シング著作集3/p212)


Luke 23:26-56
23:39 十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」
23:43 するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
Genesis 42
42:21 彼らは互いに言った。「ああ、われわれは弟のことで罰を受けているのだなあ。あれがわれわれにあわれみを請うたとき、彼の心の苦しみを見ながら、われわれは聞き入れなかった。それでわれわれはこんな苦しみに会っているのだ。
Psalms 33
33:6 主のことばによって、天は造られた。天の万象もすべて、御口のいぶきによって。
3:13 -16主は天から目を注ぎ、人の子らを残らずご覧になる。御住まいの所から地に住むすべての者に目を注がれる。主は、彼らの心をそれぞれみな造り、彼らのわざのすべてを読み取る方。王は軍勢の多いことによっては救われない。勇者は力の強いことによっては救い出されない。


0 件のコメント: