- さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。
- 「イスラエルの人々のうちで、すべてのういご、すなわちすべて初めに胎を開いたものを、人であれ、獣であれ、みな、わたしのために聖別しなければならない。それはわたしのものである」。
- モーセは民に言った、「あなたがたは恐れてはならない。かたく立って、主がきょう、あなたがたのためになされる救を見なさい。きょう、あなたがたはエジプトびとを見るが、もはや永久に、二度と彼らを見ないであろう。
- これは、あなたが慎みを守り、あなたのくちびるに知識を保つためである。
- それを自分だけのものとし、他人を共にあずからせてはならない。
- 人の道は主の目の前にあり、主はすべて、その行いを見守られる。
Memo
夕べ、とても辛く、・・まぁ、祈るのだけれども。
注ぎだす感じ。
自己憐憫に浸るといけないので、詳しくは書かない。
上記とは別件、[おとうさんとおかあさんの喧嘩]/娘は気になっていたようだ。さほど顕著にしない&喧嘩というより話し合いなのだけれど、リスペクトに欠ける話し方だったのだろう。軽く流してはいけないな。
それで、やっぱりちゃんと彼女にわかるように謝って、一緒に祈った。夜はお父さんのための祈りを自分からしてくれた(この祈りを聞いて、私の祈りをよく聞いておぼえているのを感心)。
その後で、「小さなお祈りの旅」を読んでまたお祈り。絵がきれい。
久しぶりに主人が娘をお風呂に入れてくれた。なんというシアワゼ。彼女も楽しかったらしい。
リカバリーは続くんだよね。辛いのは変わら無い。そして日々選択するのは自分なのだ。
振り返ると守られている事は多い。いや、本当は全て守られていたのだ。感謝しよう。
日ごとの糧を与えたまえ
我らを試みにあわせず
とてもめずらしいことなんだけれど、今朝、娘が激しく泣く。(これは、わたしが早く起きて階下のリビングに行っていたため、目が覚めて隣に寝ていなかったからしい)
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