2008-02-22

Matthew 4; Exodus 25-27; Proverbs 12

  • ここにイエス御靈によりて荒野に導かれ給ふ、惡魔に試みられんとするなり。
  • ここに惡魔は離れ去り、視よ、御使たち來り事へぬ。
  • この時よりイエス教を宣べはじめて言ひ給ふ『なんぢら悔改めよ、天國は近づきたり
  • 使10:38 つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです。
  • 「イスラエルの人々に告げて、わたしのためにささげ物を携えてこさせなさい。すべて、心から喜んでする者から、わたしにささげる物を受け取りなさい。
  • アロンとその子たちとは、会見の幕屋の中のあかしの箱の前にある垂幕の外で、夕から朝まで主の前に、そのともし火を整えなければならない。これはイスラエルの人々の守るべき世々変らざる定めでなければならない。
  • 賢い妻はその夫の冠である、恥をこうむらせる妻は/夫の骨に生じた腐れのようなものである。
  • つるぎをもって刺すように、みだりに言葉を出す者がある、しかし知恵ある人の舌は人をいやす。
誘惑されることは罪ではない。誘惑に屈すること、そして心の中に誘惑の場所を設けることこそ恐れなければならない。
サタンに立ち向かうため用いるべき主要な武器はみことばである
「主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです」(ヘブ2:18)
主イエスが世に向かって最初に宣べ伝えた教理は何であったかに注目しよう。主は、「宣教を開始して、言われた。『悔い改めなさい。』
「神に対する信仰と、私たちの主イエス・キリストに対する信仰」(使徒20:21)を常に全面に押し出していないような教えは、いくらキリスト教の名で語られていても、決して健全なものではない。(参照



Memo

数日前、たまたまあるblogを閲覧した。聖書を読んでいて、御言葉を参照しながら生活なさっているような文面で、神様を賛美しよう等書いてある。しかしなんだかずれているのだ。もちろんイエスキリストのお名前は出てこないし、十字架のあがないについては触れられていない。
なんたらセラピストだということでその仕事へのリンクもあり見てみると、ニューエイジ系である事がはっきりわかった。
一回のセッションにウン万円以上も請求されるのか・・苦笑。経歴を見ても特に医学や心理学を学んだということは無いようだった。


朝はショックなことがあったけれど、ある事で娘がとても思いやりを示してくれた。こういう成長には励まされるし慰められる。

ちょっと風邪気味だったので、お出かけはセーブしていたけれど、午後から少しだけ図書館へ。
図書館に絵が張ってある関係で娘の名前を覚えた男の子から「○○○ちゃん」と声をかけられる。ビックリ。
この子のお母様が選ぶ絵本を見ていると、非常にセンスも良く、また配慮されていることがわかる。私が絶対選ばないであろう画風の作品をチョイスされる(しかしこれが面白かったのだ)のも興味深い。

主人がお風呂に入れてくれる。どんなに助かる事か。感謝!
シャワーで遊んでもらって、大喜びの娘。



久しぶりに精米機を使って7ぶづきにする。
夕飯は、おしゃけとの焼いたのと、水菜と帆立とシメジのルク蒸し、カボチャとタマネギのみそ汁

リバーランズスルーイット(原作は「マクリーンの川」)を鑑賞/モンタナの自然の映像が素晴らしい
夜、映画(DVDだけれど)をゆっくりと夫婦で見られるなんて何年ぶりだろう。5年ぶり?

友人へのメールの返事、ゆうかりすと行伝の証これらの波及なのか、夜の祈りで聖霊に満たされる。

確定申告

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