2008-03-14

今朝はどんよりとした朝だけれども、昨日はとても良い天気だった。
もう春なんだなぁ。
散歩の道すがら、まだ蕾の沈丁花の香りがほんのりと漂ってくる。

図書館で娘は、文字の多い児童書を選んでくるようになった。
一人で座って黙読している。
本当に読んでいるのかしら?まだ黙読はできないんじゃないかなぁ・・と、2−3質問してみると、どうもそれなりに読んでいるらしい。
ビックリ!
ああ、これは嬉しいことには違いないけれど、絵本を読んであげられる期間って、実はこんなに短かったのか・・。もっともっと絵本を一緒に読んであげれば良かった・・・・。

と思っていたら、にしまきかやこさんの赤ちゃん向け絵本を持ってきて借りたいという。
ぷぷぷ・・・。嬉しいような悲しいような(苦笑)

こんなふうに娘とゆったり過ごせるのも、後一年なのかもしれない。
けれども、これから一年を一緒に過ごせるのだと思うとわくわくしてくる。去年に比べてずっと出かけられる範囲が広がったように思えるし、わたし自身もずいぶん余裕を持てるようになってきた。彼女の反応と付随した会話もとても楽しみ。

ヤンシーの「祈り」えいやっと読み出すと、不思議と読みにくさは解消。あのときは疲れていたのかな。
この書籍、とてもイイ!です。こういうのって5年前くらいに読みたかったなぁー・・いや、しかし、これが神様の時なのかも知れないな。
クリスマスに発売で、2ヶ月で再刷されているっていうの、なんかわかる。


今朝の通読箇所:Matthew 15:1-39; Leviticus 26-27; Ecclesiastes 1:1-2:26
  • そこでイエスは答えて言われた、「女よ、あなたの信仰は見あげたものである。あなたの願いどおりになるように」。その時に、娘はいやされた
  • わたしは幕屋をあなたがたのうちに建て、心にあなたがたを忌みきらわないであろう。
  • ・・・わたしはあなたがたのくびきの横木を砕いて、まっすぐに立って歩けるようにしたのである。
  • それは知恵が多ければ悩みが多く、知識を増す者は憂いを増すからである

6 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

絵本を読み聞かせてあげられる期間…
まだまだ当分続きますよ!
幼児の頃のように文字の少ないものよりは、普通の物語っぽい物に移行していくかもしれませんが。

うちは、ケンはもちろん、10歳のま〜やですら、まだ私に本を読んでもらうのが好きです。もっぱらケンのために読むのですが、読んでると必ずま〜やも隣にやってきて、一緒に聞いています。
自分で読むのとは、また違った楽しみがあるみたいです。多分本の内容だけでなく、親に読んでもらっているというその時間や空間全部を楽しんでいるのかな… 私にとっても至福の時間です。^^
こういうのって、きっと一生残るのでしょうね。
ぼぼるパパの父親も、彼が子供の頃、よく寝る前に本を読んでくれたそうです。ぼぼるパパは続きが気になるから昼間のうちに先に読んでしまっても、それでも夜、改めてお父さんに読んでもらうのが好きだったそうです。自分がそういう体験をしているので、彼も、子供たちにたくさん本を読んでくれます。(でも、私は彼が読み聞かせをしている時の声色があんまり好きじゃなくて。もっと普通に読んでよーと思っちゃう。笑)

Unknown さんのコメント...

をを!はっつぁん!
ケンちゃんや、ま〜やちゃんも(なんかその感じが想像できます〜)読んでもらっているんですね^^可愛い♪

でも、なんだか家にある絵本でも娘は「自分で読むぅ」といって自分で読んみだしたり、わたしが読んでいても「次は読むね」といって交代に読んだりすることが多くなってきたんですよね(くすん)。

実はわたし自身は、悲しいかな読んでもらった記憶っていうのがあまりないのです。
子どもが与えられたとき、絶対これだけはさせて頂こう!なんて決意していたにもかかわらず何回も「読んでー」と言われた頃は、早くひとりで読めるようになって欲しいと思っていいました・・(−−;

なのに、今、この寂しさ・・自分勝手ですなぁ(苦笑)

たまぁーにのことですが、主人が読んであげているのを傍らで聞くのはとても好きなんです。
彼は読むのが苦手なので、照れまくりながらやってくれるんですよ(わたしには聞かれたくないようですが・・笑)。

でも、中村家は大体英語の絵本ですよね?

ぼぼるぱぱさんって、上手そうですよね〜!どんなふうに読んであげているのでしょうか?
興味あるなぁー、一度こっそり聞いてみたいです(^^;

匿名 さんのコメント...

ぼぼるパパの読み方は、ヘンなんですよ。(苦笑)オットさんが、照れながら読むというの、想像できます。^^ ぼぼるパパが声色を使ってヘンな読み方をするのも、もしかしたら照れの現れなのかも。男の人って、可愛いですね。

そうなんです、英語の絵本がほとんどなので、私が発音を間違えると、チェックが入ります。(泣)読んでもらっている分際で、親の発音を直すなー、って感じ。(^_^;;

ミッフィーのシリーズとかは、あまり何度も読んだので、私はそのうち丸暗記してしまって、出先で絵本が手元にない時にでも、暗唱してあげたりしたものでした。エミが赤ちゃんの頃ですけど。でも、もうほとんど忘れちゃったなー。

私自身は、あまり絵本を読んでもらった記憶はないのですが、母が「ああ無情」を読んでくれたのだけはとても印象に残っています。で、子供の頃は、私はあれは「ジャン・バルジャンとアーム・ジョー」の物語だとなぜか思っていました… 

Unknown さんのコメント...

アーム・ジョー!!!
はちこさん・・サイコウです!もうツボにはまってしまい、礼拝に向かう途中の電車でも「おかあぁんどうしたの?」と娘に不審がられました(まだ、説明してもわからないので・・)。
なんか、「あしたのジョー」も連想しちゃいましたよ。
「アームだ!アームだ!ジョー!」(笑)

CSと礼拝は祈りでなんとか乗り切りました〜(爆)


ああ、そうかもしれません!>照れの現れ^^
ううーん、そう思うと、なんとも可愛いですねぇー(なんて、失礼かな?汗、汗)

子どもが発音を直すって、以前、たしか員子さんも描いていらしたように思いました。

ミッフィー、家も読みましたー!私は暗記は出来ませんでしたが(−−;
小型絵本なので持ち歩きに便利なんですよね〜。
展覧会で知ったのですが、あの大きさもブルーナさんが指定されたのだそう!感心しましたっけ。

匿名 さんのコメント...

アーム・ジョー。つぼです~。
お2人の会話に横入りしてごめんなさい。
私は単語のアクセントが「違う」と言われることがあります。北海道と東京は遠いのですよ。徹底的に直そうとも思っていないので今でも「え?」と言われることがあります(^^;

ちょっとお仕事モードです。本を読んでやることは(ここは福音館松井直さんの受け売り。子どもにはあげるのではなくてやるが正しい、と)あと何年も続くようです。子どもが字を読めるようになるとそれが面白くて自分で読み出しますが、絵と総合的に絵本を見るまではできないので子どもが自分で読んだとしても親が読むというのは別の楽しみがあるそうです。例えば特に絵本は表紙から始まって裏表までが絵本(背や中表紙もストーリーの一部)なので最後は必ず裏表紙まで見せて「おしまい」にする、という読み方は子どもだけのときにはきっとしないと思うんですよね。字を追っていると絵や全体的なストーリーを同時に味わえなかったり。

ここからハハモードです。
鹿子さんも我が家もまだ何年も親の出番が続きますよ~。なんて、既におわかりのことをくどくどと書いていたらごめんなさーい。

Unknown さんのコメント...

北海道のアクセントって、いいですよー!私はとても好きです^^

なるほど、「やるが正しい」んですか〜。うぅーん、そうかなぁ(といって「あげる」が正しいというガンとした意見があるわけではないです・笑)。でも、そういうようなことを書いていらっしゃったような気がします@松井さん
昨年、教文館の記念誌でも加藤先生との対談をなさっていて、そこにもそういうお話がでていたかな。
一応、知識としてこういうことを知っていても、いざ、その場面に自分が母として初めて遭遇すると不思議な感慨がありますよね。

絵本の裏までゆっくり見せるというのも、私はお話会にいくまでピントきませんでした(^^;
お話会では、絵本を表紙からゆっくりと全体を見せて下さるので、それを傍らから拝見しながら、「ああ、こういうことなのか!」・・と。遅すぎですなぁ・とほほほ。

後何年も「読んで」といってくれるのなら、これほど嬉しいことはないような気もしますが、「ああ、ちょっとごめん、今は・・」なんてついさっきもいってしまった、相変わらずのズボラ母なのでした・・(^^;