2008-03-28

「教えること、育てること」
ここ何ヶ月か、図書館で edu(エデュー) という小学生のママ向け雑誌を閲覧している。
こういう雑誌って、私は全部を丸飲みするのは危険だと思うんだけれど、興味深い記事&情報もそれなりにピックアップされていたりするので、時にはイイきっかけやヒントをもらえるんだよね。
例えば、塾に行かないで家で教えたいなぁーという親向けの特集とか、家庭での食育の実践の興味深い提案とか、早寝早起きの推進とか、ゲームを一時間でやめられる子を育てるには・・とか。
ただ、先にも書いたけれど、丸飲みはしない。雑誌というメディアはやはり「浅い」「軽い」ところがあるのは否めな気がする。これは、何かの講演を聴いたりした時も同じだけれど、他の資料もあたることは大切。

ちと、前置きが長くなってしまった&なんか偉そーな文章ですが(汗)、この雑誌の何月号かで歌人:俵万智 さんの「教えること、育てること」に関しての興味深いエッセイがあり、それが心に残っている。

私たちは、あまりにも簡単に「育てた」といってしまっていないだろうか(俵さんは教師時代に教え子達の親があまりにも簡単に口にするのにとまどったというような事も書いてあった様な気がします)?

何かを「教える」ことは出来ても(←これとて簡単ではないが)、それが血となり肉となってその子の中で育まれる様になるのは決して簡単ではないことを、その短いエッセイを通して考えさせられた気がした。(ちとこの辺り、本文を引用させて頂いた方がいいかもしれませんねー。メモするか借りてきて後日ちゃんと加えておきます)。

そして以下の御言葉が強く示されている。
「これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。」申命記6:7

「 私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。」1コリント3: 6



この日の聖書:Matthew 23:1-12; Numbers 22:41-23:26; Song of Solomon 3:6-5:1
・また、あなたがたは教師と呼ばれてはならない。あなたがたの教師はただひとり、すなわち、キリストである。
・神ののろわない者を、わたしがどうしてのろえよう。主ののろわない者を、わたしがどうしてのろえよう。
・神は人のように偽ることはなく、また人の子のように悔いることもない。言ったことで、行わないことがあろうか、語ったことで、しとげないことがあろうか。
・わが妹、わが花嫁よ、あなたの愛は、なんと麗しいことであろう。あなたの愛はぶどう酒よりも、あなたの香油のかおりはすべての香料よりも、いかにすぐれていることであろう。

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