2008-03-20

受難週に「受肉」をおぼえる

一時期、まぁ簡単に書くと「クリスマスよりイースターだよなぁ」なんて思っていた。
私はクリスチャンになるまでは「イースター」に馴染みなく育ってきたせいもあるだろう。
今は、よみがえりの素晴らしさをふまえたうえで、『「受肉」された神』に平伏す思いだ。

創造主なる神が人となられた・・。しかも、私たちの罪をおうため、贖いの為なのだ。
これほど想像を絶することがあるだろうか?

そうして、人となって苦しまれた主を思う。誰にも理解されずに蔑まれ苦しまれた主を思う。

通読:Matthew 19:1-15; Numbers 9-10; Ecclesiastes 7
  • 「モーセはあなたがたの心が、かたくななので、妻を出すことを許したのだが、初めからそうではなかった。
  • モーセはまた言った、「どうかわたしたちを見捨てないでください。あなたは、わたしたちが荒野のどこに宿営すべきかを御存じですから、わたしたちの目となってください。
  • 知恵が身を守るのは、金銭が身を守るようである。しかし、知恵はこれを持つ者に生命を保たせる。これが知識のすぐれた所である。

主の雲による導き、御臨在が豊かであるのに、モーセはなお、荒野の旅を熟知しているであろうホバブの助けが必要であるという(民10:31)。

このようなときでさえ、神は「こういった人間的要素」を豊かにお用いになるのだ!(神のご計画のために!)

「受肉」って、この辺りの事ともなんだか深い関係があるようにも思える。

・・というわけで、とっとと再開してます。(笑



2 件のコメント:

nanana さんのコメント...

あーよかったー(再開)
おかえりなさいませ。

今日は受難の日ですね。
今朝のイザヤ書で蔑まれ、砕かれ。
神としてではなくて人として。と。
(この箇所お恥ずかしながら初読です・笑)
そこまでして贖われた自分をむやみに卑下できないなぁ。と。

最近体調はばっちグー(古?)です。
お祈りありがとうございます!
細々作業が多くてなかなかPCに向かう気になれずです(笑)
あ。ヨブ記に足を捕られてしまい通読するのに3週間も費やして(苦笑)まだ終わってないのです。

Unknown さんのコメント...

あ、どうもありがとうございますー!
「よかった(再開)」なんて思ってくださる方がいるなんて・・私は幸せ者でございますねぇ。

イザヤ書、いいですよねぇ(涙目)。

初読って、正直に言えるのはステキだと思います^^
それに、わたしも洗礼を受けてから何年かはイザヤ書もろくに読んだことがありませんでした(^^;


久美さん、体調が良くなって、本当によかったですねー!
それでなくとも激務なのでしょうから、引き続きお祈りしますね。

ああ、ヨブ記、大変ですよねぇ。
でも今は好きなんで・・不思議ですよねぇ。
細かいところを突っ込んで考えないで、固まりでゴーッと読むのをやるといいかも。

あ、リビングバイブルで読むのもおもしろいです(ご存知かと思いますがweb上にPDFファイルあります・右下のリンクに入っています)♪

いつもコメントありがとう!
励まされます。