2008-08-18

恵まれすぎても

昨日は、教会学校の大先輩の先生の証があった。
私たちを励ます為に盛り込んで下さったのだろうなぁ・・という様なエピソードなども交えて
そのなかで、心に残っているのは、信仰の歩みの中で「恵まれすぎても」あまり良くない時期があるという事。

ああ、なんとなくわかるなぁ。これ。

「恵まれましたぁー!」

なんて連発しているときって、案外そうだったりしますね。
後になってわかるんですけれども。

最近,特に通読で読んでいる御言葉がいろんなところで絡み合う様に繋がってくる。
(この証でもそうだったし、web閲覧やメールのやり取り、そして日々の読書等)
まぁ、これは今までが鈍感すぎたっていうのもあるかな。
それとやっぱり通読は素晴らしいです。聖書は何回読んでも素晴らしい。こんな本は他に無い・・しみじみ感動。

来年は一日一章にしようかな。
もっとゆっくり味わいたい。(ここ数年、これは思わせられているんですが、結構メソッド好きというか通読表好きという一面もあって・・ここいらあたりも反省^^;)

「ことばは人となって」
そうなんだよね。なんといっても神であられる主ご自身が私たちのところへ来て下さったのだもの。
聖書には閉じこもって瞑想(こういう時間を守る事は大切ですが)だけしていなさいとは書かれていない。自分だけめぐまれて喜んでばかりいても仕方ないのだ。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

>後になってわかるんですけれども。

ここに共感してしまいました(^^)
そんときにゃ、わからないことが多くて。
・・ずっとわかっていないこともあるってことかも、
なんて今思いました。そうかも~。

Unknown さんのコメント...

するどい!
そうなんです、後でわかるのはまだいい方でして、じぇんじぇんわかっていないまま・・ずぅっとというのも、かなぁ〜りありそうなアタシです(ーー;

でも,きっと主が一番良い時にお教え下さっているんですよね(^ー^)b←めげない奴