だが、彼を受け入れた人々、
彼の名を信じる人々には、
神の子供たちとなる権能を与えた。
彼らは血〔統〕からでなく、
肉〔なる人〕の意志からでもなく、
人の意志からでもなく、
神から生まれたのである。
ことばは肉〔なる人〕となって、
われわれの間に幕屋を張った。
ーーわれわれは彼の栄光を、
父から〔遣わされた〕ひとり子としての栄光を観た ——
〔彼は〕恵みと真理に滴ちて〔いた〕。
(ヨハネ1:12-14/岩波訳/ボールドは鹿子による)
『肉〔なる人〕の意志からでもなく、人の意志からでもなく』
amen!ああ、そうだ。急いでは駄目なのだ。
「愛が目覚めたいと思う時まで」
私は、かもしかや野の雌鹿をさして、あなたがたに誓っていただきます。揺り起こしたり、かき立てたりしないでください。愛が目ざめたいと思うときまでは。(雅歌2:7/新改訳)
アタシって馬鹿だなぁ。今回の事は特に親バカ
・・あんなにいろいろ読んだ聞いたりして来たくせに・・お恥ずかしい(ーー;
なのに主は見捨てず導いて下さる・教えて下さる・・。感謝。
参考memo:「子どもだからって大人扱いするなよ:水谷牧師」(特に3)
やがて子どもたちはこう考えかねません。
「外面だけ大人の要求を満たせば、その場は過ぎていく、本当に神様を愛して従うかどうかを、大人は評価してくれない。信仰生活とは、クリスチャンらしい外側の条件を満たすことで、本気で神様を信じて、愛し従うこととは建前らしい・・・」
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