2009-01-09

3章に入りましたね!:臨床心理士の立場から考える連載「立ち止まって考えるクリスチャンライフ」藤掛明 先生


おふぃす・ふじかけ(blog) | 3章1話「信仰と弱さの問題」

・・本人なりに純粋に決断していたとしても、混ぜ物が含まれていることがままあるのである。それを百も承知で神様はその決断を良しとしてくださり、用いてくださるのだが、人として私たちは、こうした自分の大きな決断や判断に、信仰的な動機だけでなく、私的な混ぜ物が入り込むことがあり得るのだというその可能性を自覚しておく必要がある。そうした混ぜ物が自分の内にある可能性を認め、自分の成長に伴い、必要に応じて、やがて神様に明らかにしていただくのだと思うべきである。・・(以上、blog記事から引用)

あぁ、この章もいいですね。(まさにこの引用箇所で言われているような反省&刈り取りをさせられたばかりの鹿ちゃん・・あの件に関しても急いで「あれにはこういう意味が・・」と自分で無理に結論づけないことが大切かもなぁ・・)
3章に入る前に、藤掛先生が以前の記事へのリンクまでまとめてくださっています!なんて、まめでお優しいことでしょうか(;。;)

クリスチャンの生き方を、臨床心理士の立場から考える連載「立ち止まって考えるクリスチャンライフ」もいよいよ3章に入ります。
 3章は、信仰と、「弱さ」の関係はどうなのか、そういう意味では、1,2章とはやや異なったテーマで見ていきたいと思う。いちおう、これまでの記事は以下のとおり。更新が早いので、なんとなくスルーしてしまった方で、興味のある方はどうぞ。(2009.01.08 Thursday by ふじかけ)



ごめんなさい!以下のURL単純にコピペしてしまったのですがちと違っておりんした(^^;すまんですぅー。
・・と、いうわけで、リンクは一時、取り下げさせて頂きますね。

12 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

すみません。初心者に教えてください。
刈り取りとはどういう意味ですか?
突然の質問ですみません。

谷川鹿子 さんのコメント...

匿名さん!こんばんは^^
いやぁ、アタシも万年初心者ですから(^^;
といって逃げる訳ではないのです、真摯なご質問、大変、感謝致しております。
そっかぁー、でも「刈り取り」ってアタシも「これこれこうが、刈り取りってことの意味ね」とは、きっちり教えられておらず・・んー、まぁ、今まで目にしてきた様々なクリ文章から「こういうことでありましょう」とアタシなりに測して使わせて頂いております。
で、アタシなりにわかりやすくいうとどうなのよ?といいますと、『自らが選んできたもの(こと)によって、展開された現実に対処している』といっていいのかな・・。
これ、何も悪いことばかりとは限りませんし、うぅーん。ムヅカしいです。

自分が植えて育ってきたものを刈り取る・・とビジュアライズした方がわかりやすかもしれません。

え/わからない?
そーでしょう、そーでしょう。すみません!

いえいえ、質問なんてのは、そもそも「突然」ってのが当たり前なんですから、どうぞ、気になさらないでくださいましね。
正直に質問してくださったってぇことが、鹿子には、例えようもないくらい、嬉しいことでございましたよ^^
ありがとうございます!

はちこ さんのコメント...

私も今、ある大切な決断をしないといけないのですが、信仰的な部分と、自分の個人的な思いによる部分が交錯してしまって、なかなか決められないでいます。「混ぜ物」があるのは避けられないのは承知の上で神様は用いてくださる… 確かにその通りですね… そして、成長の過程の中でその部分もいずれ明らかにされる… ああ、本当にそうですね…

混ぜ物があるのにそれが純粋な信仰から出たものであるかのように思い込んだり他者に思い込ませるのは、逆に不誠実ですよね。先日お鹿ちゃんが分かち合ってくれた「人の心は欺く」ということも、あのあと、ずっと考えているんです。本当にそうだなぁって。自分の心の奥にある正直な思いを、まず私自身に明らかにしてくださいと祈らされています。

いつもありがとう!

谷川鹿子 さんのコメント...

はちこさん
そうなのですか。
状況をお分ちくださってありがとうございます。
3章3話「使命感と共感性」 の終わりのところに『義人はいない。英雄もいない。スーパーマンもいない。ただ、自らの内にある混ぜものを警戒・吟味し続ける謙虚な人たちがいて、神様から祝福を受けるのである。』とあって、『・・し続ける』『謙遜』というところが響いています。
これは、自分に対してももちろんそうなのですが、他者に対しても、愛をもって寛容になるために必要ですね。

エレミヤ17:9
あのとき、教会の中でちょっとがっかりするようなことがあったのですが、悩みつつ最後には
自分も同じ「偽る者」であること。
信仰者はお互いが、人生のどこかで主に出会い悔い改めて主を受け入れた経験を持っていることは真実であること。
を深い納得とともに思わせられました。

また、「心の清いものは神をみる」と山頂でイエス様もおっしゃっておられることを思いました。これはすごい約束だしすばらしい希望なんですよね。
わたしたちは、もともとは偽るものだけれど、主にあって清い心を持つこともできる。主に似た者とされることが約束されてもいる・・。
そのお約束の中に生かされている。
感謝ですね、胸がいっぱいになってきます。

>>
自分の心の奥にある正直な思いを、まず私自身に明らかにしてくださいと祈らされています。
<<
私もお祈りしますね!
こちらこそ、いつもありがとうございます!

はちこ さんのコメント...

お鹿ちゃん、ありがとう!

>ただ、自らの内にある混ぜものを警戒・吟味し続ける謙虚な人たちがいて、神様から祝福を受けるのである。

あー、本当にその通りですね。胸にズシンとくると同時に、何かさわやかな気持ちにもなりました。

お祈りもありがとう!
書いたあとで、自分の正直な気持ちを教えていただくことも大事だけど、肝心の神様のお心を教えていただくては!と気づきました。なんだか、私って自分のことばーっかり考えていて、ほんとはずかしいです。

ああんもう、会ってゆっくり話したいよう!

チャーリー さんのコメント...

僕はまぜものだらけで今まで来ました!でもそのまぜものは、実は神様にとってみたら、何て事ないものなんだって気付かされます。

話しはそれるかもしれませんが、昔アーサーホーランドの集会の前にコンサートをやってくれととある牧師に依頼され、200人ぐらいの前でオリジナルの曲を歌ったんです。ところが、ちょうどその数日前から僕は神様の存在や自分の生きている意味が急に見えなくなったんです。でも行かないわけには、いかない、、、バンドのメンバーにも「ごめん。俺今日心を込めて歌えない。神様の事を伝えられる状態じゃない。」って言ったんです。で友達にお祈りしてもらったんですが、やはり何かあまり聞きたくないって思っていたらステージにいて、やっぱり観客も見れずに後ろの時計だけを見ていたんですよ。それで最後の曲を歌ってたらなぜか、最前列に座っていた数人の女性が泣いているのを偶然みてしまったんです。歌いながら「なぜ?」と思いつつステージを降りてすぐその子達が来て「もの凄く心に響きました。今迄迷っていましたが、私たち神様を信じる決心をします!」って、、、

ねっ?僕らがどう思おうと、考えていようと神様は僕たちの事を僕たちが思っている以上に用いてくれるって!もちろんそこに寄りかかって何もしないと言う事は違うんですけど、今回の僕の職場の事だって、僕は片手に辞表を持ちながら理事長と対決して退くつもりが、ね?って脱線し過ぎか????

谷川鹿子 さんのコメント...

はちこさん

>>
書いたあとで、自分の正直な気持ちを教えていただくことも大事だけど、肝心の神様のお心を教えていただくては!と気づきました。なんだか、私って自分のことばーっかり考えていて、ほんとはずかしいです。
<<

いいえ、はちこさん、いつも自分のことばかりではないと思います(私ははちこさんって少なくとも私の何倍も主の前にすごく真実であろうとする方だと受け取っています)し、
今回は多分、自分の正直な気持ちをまず教えて頂いた方が、主のみ思いを察しやすくして頂けたのでは・・?などと、祈りつつ勝手に思いめぐらせておりますが・・。

>>
ああんもう、会ってゆっくり話したいよう!
<<

わたしもですよぉ〜!
お祈りして、分かち合いたいですねー。
そのとき、そこで神様がお互いに何か語ってくれそうな気もしています。
(んー、主の思いと人の思いは違ったりもしますが・・^^;必要ならきっと導きがありますよね♪)

谷川鹿子 さんのコメント...

チャーリーさん
素晴しい神様のお働きをお分ちくださって、ありがとうございます^^
読ませて頂きながら思わず、ダビデが胸を打って神様の前に訴えている姿を想像してしまいました。

ここで取り上げた「混ぜ物」についてですが、先のコメントではちこさんがお書きくださっているように

>>
混ぜ物があるのにそれが純粋な信仰から出たものであるかのように思い込んだり他者に思い込ませるのは、逆に不誠実ですよね。
<<

ということや

引用元の藤掛先生の記事から少しだぶりますが、もう一度、コピペさせて頂くと

>>
まず確認しなくてはならないのは、私たちの心や魂には、たくさんの混ぜ物が含まれているということである。キリストの救いの福音を聞いたとき、素直に自分の罪を言い表し
救いに入れられた。このことはまぎれもない聖書の約束であり、事実である。しかし、そのときに悔い改めた自分の罪というのは、その時点で理解できたものを認め、言い表したに過ぎない。信仰者が成長するにつれ、新たに光に照らされて新たな混ぜ物が見つかってくる。それをそのたび毎に受けとめ、認めていくのである。
 このことをおろそかにすると、本来こんなに聖められないのはおかしいといった失望感に苛まされたり、逆にすでに義と認められたのだから、新たに見つかった混ぜ物はあり得ず、見なかったことにするしかないという姑息なやりくりが生まれてしまう。

それは入信だけではなく、進学、就職、結婚、献身、伝道、奉仕など人生の大きな決断や判断についても、同じことが起きる。本人なりに純粋に決断していたとしても、混ぜ物が含まれていることがままあるのである。それを百も承知で神様はその決断を良しとしてくださり、用いてくださるのだが、人として私たちは、こうした自分の大きな決断や判断に、信仰的な動機だけでなく、私的な混ぜ物が入り込むことがあり得るのだというその可能性を自覚しておく必要がある。そうした混ぜ物が自分の内にある可能性を認め、自分の成長に伴い、必要に応じて、やがて神様に明らかにしていただくのだと思うべきである。もし、そんなことはあり得ない、今も未来も永遠に正しい100%の信仰的決断を自分はなしたのだと思うと、ここでもまた自分の中の混ぜ物を隠したり否定したりするためのいろいろなやりくりが始まってしまうのである。
<<

というところなんです。
チャーリーさんが書いてくださったコンサートのこと、本当に神様の用い方は人の考えのおよばないものであるなぁ・・と感動します。
けれどもチャーリーさんのその心が、神様の目の前には「悔いてうなだれている信仰者の愛おしい姿」であるとも思わせられます。

自分を取り繕って、あたかも聖であるような振る舞いであったり、神と自分を欺く姿でもありませんもの^^

チャーリー さんのコメント...

深いですね〜。僕はクリスチャンっぽく見られるのが昔から苦手で、えっ?クリスチャンだったんですか?って後から知られて驚かれる事が多いんです。

ま〜読解力がちっと弱いのでそこは、ご勘弁願いたいのですが、無理をしても必ず穴に落ち、「クリスチャンのくせに!」と言われるのが嫌なんでしょうね〜。親が牧師だから尚更?「牧師のくせに!」と息子の僕に愚痴を言ってくる方が多かったので、、、

昔アメリカのオレゴン州のポートランドと言う所のマルトナマって神学校に行っていた時に、学長と言い合いになった事があるんです。見かけや言葉で「よいクリスチャンと思われるのだったら、僕はクリスチャンではありません。僕は内面で正直にぶつかって生きたいんです。」と、、、んでやめちゃったんです、、、神様は作ったり飾られた言葉や外見以前にその人をそのまま愛してくれている事から、考え、伝えて行きたいな〜とおモッチョリマす。あれ?また脱線ですか(^^:

谷川鹿子 さんのコメント...

そういえば、チャーリーさん、mixiの日記に「チャーリーってどうしてそうんなふうに思えるの?」って聞かれたとき「神様信じてるもん!」っていうのが快感?だから、普段はクリスチャンだっていわないんだ・・みたいなことをお書きになっていましたよね(詳細、違っていたらごめんなさい)。
読みながら、「ああ、チャーリーさんらしい(って、それほどよくは存じ上げないのですが・・汗)なぁー。こういうのもいいなぁー」と思ったんですよ^^

でも、牧師の息子に、牧師の文句をいってもなぁ・・と思いますが・・。
牧師の息子さんとして教会生活をするって、やはり大変なんでしょうね・・。

そのままを愛してくださる神様を伝えるって、とっても大切なことですね^^

作ったり飾られた言葉や外見・・ということではなくて、「神様のためにこうしたい!」という純粋な動機の中にも、知らず知らずのうちに不純な動機が入り込んでくることがある(それは闇雲に嫌悪することではなくて、そういうことは十分にあり得ることだと認識し)・・そのことをごまかしたり目をつぶらないで謙遜に警戒することの大切さを、藤掛先生の記事から教えられました。・・って、説明しながら、なんかまたわかりにくくしちゃったかな・・ごめんなさい〜!
きっと会って話すとわかりやすいんだよねー。
でも、チャーリーさんご一家やホサナの方々とは、主にあっていつかお会いできるような気がしています^^

チャーリー さんのコメント...

>「チャーリーってどうしてそうんなふうに思えるの?」って聞かれたとき「神様信じてるもん!」っていうのが快感?

はい!その通りです!今回のホサナの事に関しても言えますが、周りからは「チャーリーって友達が多いんだね!」とか「どうやったらそんなに寄付が集まるの?」と聞かれ、「だってクリスチャンだしお祈りしてたから!」ってね!ドン引きする人もいれば多少興味を持ってくれる人もいます。それぞれが何を感じてくれたのかまでは、僕にはわかりませんが、「そういえばあいつクリスチャンって言ってたっけ?相談してみようかな~?」って思われる日が来るといいな~と思いつつ。

>でも、チャーリーさんご一家やホサナの方々とは、主にあっていつかお会いできるような気がしています^^

いつでもwelcomeです!楽しみにしてます!

谷川鹿子 さんのコメント...

>>
それぞれが何を感じてくれたのかまでは、僕にはわかりませんが、「そういえばあいつクリスチャンって言ってたっけ?相談してみようかな~?」って思われる日が来るといいな~と思いつつ。
<<

ああ、そう、そのときこそしゅにあってでばんですね^^(すみません、ちょっといま、へんかんができなくなっているのです/あせ)

>>
いつでもwelcomeです!楽しみにしてます!
<<

ありがとう!
わたしもたのしみにしています。
そしておいのりにもかんしゃしています!