2009-01-26

今週はこんなことを心にとめながら祈ってみましょう

祈りの場:今週はこんなことを心にとめながら祈ってみましょう

1月25日〜31日
私は、10年前、エルサレムの嘆きの壁で、息子のバル=ミツバー(13歳の男子の宗教上の一種の成人式)を祝うユダヤ人の家族を見ました。広い中庭が、最初は混乱状態であり、親戚やラビが歌い、彼らの子どもたちを抱きかかえ、小さな子どもたちにお菓子をまき、彼らが奪い合うテーブルを囲む多くの集団でごった返していました。そして、バル=ミツバーを迎えた少年が、ユダヤ教の聖句箱の上で、聖句を読んでいました。

歌は、その年齢を迎えたことを祝うための礼拝や、古来からの幸わせな歌でした。少年たちは、大きく飾り立てられた聖典が包まれた巻物を抱きしめ、キスをして、彼らの父親の肩に上ったりして、歌い、踊りながら列をなして会堂の中に進んで行きました。それは、儀式書を練習したり、学んだものではなく、神の家における幸福のほとばしりでした。その後、太鼓が出てきて、家族は共に、孫たち、両親、世話役も皆、喚声を上げて、太陽の下で踊っていました。

そこには、彼らの感覚を鈍くするお酒はありません。家族であり、兄弟と共にある姉妹、子どもたちと共にある両親であることの徴として、抱きしめたり、キスをしたり、その他、身体的感情表現の調子を下げさせるための罪則や禁止事項は何もありませんでした。これは、イエス自身の民族に由来するものなので、イエスが差し出したことの中に学ぶべきものがあります。それは、私たちには命があり、そしてもっと豊かな命を持っているということでしょう。


・・ミツバー。ユダヤ・・、最近の私の気になるものたちだ。
ボールドは、鹿子によります。

これは、イエス自身の民族に由来するものなので、イエスが差し出したことの中に学ぶべきものがあります。それは、私たちには命があり、そしてもっと豊かな命を持っているということでしょう。

惹かれるっていう、鍵はここなんだよ。ここ!
ああ、こういう形でも主は開いて下さる・・。信頼して待とう。教えて下さろうとしている。

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