2008-12-17

ちょっとメモ:祈りについてと刈り取りのことなど

今、ここで書いておきたい事は、最近、自分が置かれた状況の中で教えられたこと(ってか、結局アタシがblogに書けるのってこういうことしかないんだよなぁーと・・。今更ですが/苦笑)
祈れる事が与えられて、それを祈れた事。
祈って欲しい事も与えられて、それを祈って頂いた事。

これが、どちらも非常に素晴らしくて「もう、これだけでいいじゃん・・」と、単純に思えた事。
このどちらもを下さるのは実に主なんだよね。

真摯に忠実に神の前に祈る祈り手。
こういう姿に、どれだけ励まされ、慰められたことだろう。(癒されたりなんかもしたかもしれない)

神様の前に素直に心を開かせて頂いて、自分が出来る限りの真実を尽くして生きていくだけでいいんだな(まぁ、それはそれでとても難しかったりもするんですが)と、素直に思えた事。

そして、詩編131編(12日のOYB通読箇所)。
うっくぅー、これは痛かった・・。
でも、正直、この詩編がここ何年かの自分の姿への反省点を象徴しているなぁと素直に受け入れられた。(何年もたっているし、その間にいろいろなところを通されたし)

「及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません。」


藤掛明先生のblog記事:誰にも「影」「混ぜ物」「弱さ」がある
を読んで、またいろいろ思わせられる。

今でもすぐに思い出せる、2年前S先生のメッセージの取り次ぎの時、はっきり語りかけがあったはずだということ。それに首を振り打ち消して進んだのはやはり「自分の高ぶり」だったんだよね。

「主に従いたい」という思い。しかしそれを「形で現したい(証としてより、自分の姿を人に見せたい)」という思いの誘惑が確かにあったという事。あっただけではなく、やっぱり自ら選択したっていうことなんですね。

またしても「刈り取り」。
でもともなって下さるんですよね。主は愛と慈しみを持って。
とはいえ、どうしようもなく落ち込み・・。

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