2008-01-23

デボメモ:たとえあなたが

たとえあなたが死の陰の暗い谷間を通り、ヨルダンの濁流の淵に臨んでも、そこに主の足跡を発見するだろう。(「朝ごとに」より)

Luke 18:1-17;
18:9-14 自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。
「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。
ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。
わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』
ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』
言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」(新共同)


Gen29:31-30:43;
新共同では、37-43に「ヤコブの工夫」という小見出しがついている。ヤコブは自分自身でも工夫をしたのだ。
それと、ヨセフは「もう一人男のこを・・」という願いを込めた名前なんだね。そして主はそれを聞かれたことは私たちの知るところ。


Ps23:6 ・・主の家にわたしは*帰り 生涯、そこにとどまるであろう。

ああ、ここは新共同だと「帰り」とつくのですね。これもいいなぁ・・。

最近、新共同も味わいがあってよいと思うようになりました。んー、なんというか、「英語聖書の翻訳」という感じがしないところが多くて、それがいいと思うのです(って、ただの素人感覚にすぎませんけれども)。

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