このような患難の中にあって、動揺する者がひとりもないように励ますためである。
わたしたちはあらゆる苦難と患難との中にありながら、あなたがたの信仰によって慰められた。なぜなら、あなたがたが主にあって堅く立ってくれるなら、わたしたちはいま生きることになる(新改訳では「生きがい」)からである。
信仰(って賜物だけれど、・・うーん賜物だからこそかな)には力がある。
信仰者の姿にも力がある。自分にも他者にも慰めがある(賜物は神様からきているんだからね)。
テサロニケの人たちが主にあって堅く立つ様を見るのが生き甲斐だというパウロ(繰り返している)。
苦難や患難の中での、苦しいときの祈りは純粋。
切に主を求めている。それが慰め。それは励まし。
それだけが力というときもあるかもしれない。
(ちょっとサウルのことを思い出す。ポッと与えられたモノ。労せず手に入れたモノによって・・、それを主に感謝しないまま歩んでいると人はどうなるだろうということ等)
ほんとうに、わたしたちの神のみまえで、あなたがたのことで喜ぶ大きな喜びのために、どんな感謝を神にささげたら
「喜び」ってこういう類のことなのだ。
わたしの「喜び」が大きく違うところにあるなら、そして「あなたがたの顔を見、あなたがたの信仰の足りないところを補いたいと、日夜しきりに願っている」こういう類の願いが主になっていないなら、問題かも知れない。
一昨日の晩の祈りを思う。あの時間は神様からの特別な贈り物。あんなことがお出きになる(心に働きかけさせてくださる)のは主だけなのだ。
主があなたがた相互の愛とすべての人に対する愛とを、わたしたちがあなたがたを愛する愛と同じように、増し加えて豊かにして下さるように
わたしたちの主イエスが、そのすべての聖なる者と共にこられる時、神のみまえに、あなたがたの心を強め、清く、責められるところのない者にして下さるように。
祈り:わたしも心からこういえ、祈れるように・・
4 件のコメント:
なんか、超励まされたぁ。
ありがとう!!!
>テサロニケの人たちが主にあって堅く立つ
>様を見るのが生き甲斐
私も、子どもたちのことを祈っていて、
少しばかりはパウロの心境がわかるように
されてきてるのかな、って思う。
ほんっと、子ども達が主にあって堅く立つ
のを見たい! 他の何よりそれが今の望み
かも。
また会いたいね。
え?励まされました?
やや当惑しつつも、主にあってありがとうございます。
細かいところを書かなくても、御言葉によってこういうことを分かち合えるのはクリスチャンの特権というか・・イイですよね。すごい感謝。
離れていてもそれぞれの歩みの中で霊的な御言葉体験史の重なりがあるからかもしれないですよね。
そう思うと自分も励まされました。嬉しいです。
saoryさん,blogおやめになったんですね。
先日、最後の記事を読ませて頂き、真摯な姿勢に打たれてweb拍手だけして帰ってきたのですが、やっぱりひと言なりコメントを残せば良かったと後悔しました。
愛子先生が「HSは大変ですが、報いは大きいのですよ」としみじみお話し下さったのを思い出しました。
是非またお会いしましょうね^^
そうそう!来月の1日(土)は、特伝にコパンさんをお招きします♪
コメント残してくれた友達も、
同じ勘違いしてくれてた・・・(汗;)
「本日の更新を終了・・」と、何となく
改まって書いてみただけだったのだが・・。
ややこしいこと書いてすんまそん!
細々ながら続けてます。
またお寄りくださいまし(笑)
え?勘違いだったの?放心&脱力&大汗
はぅーーーーーー!
あぁー、でも、同じ勘違いをしていた方もいらしたのが慰めだわぁー(^^;
続いているのは、やっぱり楽しみなので嬉しいです!
お知らせありがとう!
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