2008-10-10

意識すること

私はいろいろな関わりの中に生きています−自然、人、神とのつながり。
そこから流れ出るいのちに感謝しながら、その一つひとつをたどって行きます。
ある繋がりは歪んでいたり、壊れていたりしています。
それで私は、後悔、怒り、失望を感じているかもしれません。
受け入れる心、ゆるす心を祈ります。


意識の究明とは?

もし、神が私たちの人生のあらゆる細部に至るまで働いておられるのだとすると、私たちはどのようにして、神からの働きかけと、それに対する私たちの応答に気付くようになるのでしょうか。

人は、一日の終わり、特に眠りにつく前には、意識的に何の努力もせずとも、その日に起こったいくつかの出来事が心の中に鮮やかに蘇るものです。特に色々な出来事のあった日には、しばしば眠れなくなるほどです。時には頭の中で口論を再現し始めたりします。もう少し機転が利いたなら、もっと気の利いた痛烈なことを言ってやれたのに、などと思いながら・・・。

意識の究明は、こうした心の持つ自然な傾向に基づくものです。これによって私たちは、日々の生活における神の現存と働きに、より多く気付くことができるようになり、また自分がどこで神の恩寵に協力できているのか、あるいはどこで恩寵を拒否しているのかについて、より敏感になることができるのです


意識の究明のしかた

あなたの心を過去24時間の出来事の内に漂わせてみてください。よいと思えることであろうと悪いと思えることであろうと、一切の自己判断はせずに。それから一日の中であなたが感謝できる瞬間だけに注意を向けて、それを味わってみてください。最も苦難に満ちた日でさえも、私たちがそれに目を向けようとしさえすれば、少しはよい瞬間があるものです。それはしとしとと雨の降る景色である日もかも知れません。あるいはそれが、私は目が見えるという事実である日もあるかも知れません。この霊操をするようになると、たいていの人は一日の内にどれほど多くの、そして多種多様なよい瞬間があるかを知って驚きます。それらは、もしこの霊操をしていなければ、すぐに忘れるか、恐らくは同じ日に起きたつらい出来事によって、意識されないものになっていたはずなのです。自分が感謝できる出来事を思い出すことによって、神に感謝し、神を讃えましょう。
感謝を捧げた後、次のステップはあなたの心の中の気持と感情を思い出すことです。その時、できることならどうしてそのような気持になったのかに注意してください。ただし、ここでも一切自己判断をしないようにしてください。このようにして自分の過去の気分を眺める際には、キリストと共にいるようにして、それらの気持の下に隠れている態度について知ることができるよう、主に願ってください。重要なことは、自分の経験を分析したりせず、キリストの現存のうちにそれについて黙想することです。そしてどこで自分の内に主を受け入れ、どこで主を拒んだのかを、主ご自身に示して頂くように願ってください。「主の栄光に満たされた」時について感謝し、主がこられるのを拒んだ時について、許しを請うてください。主は、必ず許してくださいます。主は私たち自身よりも私たちの弱さをご存知なのです。私たちはただ主にそれをお見せすればいいのです。そうすれば、主は私たちの弱さを強さに変えることがおできになります。最後に、次の日を見据えて、神の助けを求めるような短い祈りで締めくくります。



      主よ、あなたは私自身よりも私のことをご存知です。
      主の霊は、私の人生のあらゆる瞬間に満ち満ちています。
      私の上に降り注いでくださった恵みと愛に感謝します。
      私の人生にあなたをお迎えするようにと、
      絶えず優しく招いてくださることに感謝します。
      あなたの招きを拒み、自分をあなたに向かって
      閉ざしてしまった時があったことを、どうかお赦しください。

      どうか明日も私を助けてください。私の人生の只中に、
      あなたがおられることに気付くことができるように。
      あなたに向かって自分を開くことができるように。


            イグナチオ教会「祈りの場」より
      私の内であなたに働いていただけるように。
      あなたのより大いなる栄光のために。アーメン

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