2009-11-17

littleprayer

 今朝から、子鹿と「毎日の祈り」を使ってデボーションをすることにした。

今までは、おもに「イエスさまはいつもいっしょ」(幼稚園児代から使用)やCS成長ワークの後ろにある毎日の聖書(CSでのメッセージ箇所がカリキュラムどおりでないので違和感が出て来た)を使っていたが、母と同じものを使ってみたいとのことで。
ちょうど、ザアカイさんのところで親しみや馴染みもあり、始めやすくて感謝。
娘は「イエスとの出会いに足りないのは何でしょうか」の問いに
「お祈りかなぁ」とのこと(先月、超教派のキッズフェスティバルでメッセージの後で「イエス様はわたしのことなんか赦してくれないよ、きっと」と泣 いてしまい、母が短く福音を語って祈ったけれど、「イエスさまのことはだいすきだけど、なぜ、しんじただけでわたしがゆるされるの?」とまだまだ不安な状 態)。
私は、謙遜と寄り添う心かな。そしてそれはやはり愛によって溢れさせて頂きたい。
「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。 人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」
救いはイエス様ご自身だし、ザアカイの行いは受けた愛の喜びから自然に溢れ出た行いだ。
ザアカイはもうたまらなくなって、施したこと。
主よ、私は恐れから自分のことで一杯一杯になりがちですが、いつも歴然と溢れているあなたの愛に敏感にして下さい。暗い中にあっても、一筋の光から眼をそらすことがありませんように。

ルカによる福音 (ルカ19・1-10)
そのとき、イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭(かしら)で、金持ちで あった。イエスがどんな 人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮(さえぎ)られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑(ぐ わ)の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。 今日(きょう)は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深 い男のところに行って宿をとった。」しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施(ほどこ)します。また、 だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。 人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」


祈りのヒント

イエスに会いたいと願う人が信徒の中に多くいます。しかし、その願いが聞き入れられないのは理由があるようです。ザアカイは背が低いのがその理由でした。しかし彼はそれを超える努力をしてイエスとの出会い、救われます。今私たちに、イエスとの出会いに足りないのは何でしょうか。(毎日の祈りより)

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