2009-11-21

神様によって生かされている

今日も箇所も、難しくて(って、毎日ですですだよ)、まず自分のデボで祈りまくり(苦笑)

結局、
「天国にいったら、あれはどうなるのかなぁ?これはどうなっちゃうんだろぉ?と、悩んだり取り越し苦労をしないで、イエス様に会えるんだぁーと楽しみにしながら、今をちゃんと生きようね。みーんな、神様によって作らて、神様によって生かされているんだから感謝していこうね・・」と話す。
(もっと聞きたいというので、実はもう少し話したんだけれど、個人的なお話がらみなのでここには記さないことにします)

親子デボーションでの娘の様子を観察していると「すごぉーい!」という感嘆が多いのに気がつく。この子のいいところは、かなり本気で驚き、かつ、喜んでいるところ。
「幼子の様にならなければ・・」って、こういうことなんだろうなぁと、目の当たりにすると、つくづくなんとも恥ずかしいばかりの我が身よ・・なんである。

来年くらいにはもう「そんなこというけれど、おかぁさんだって、○○(orやってない)じゃなーい!」なんてツッコミを入れられちゃうんだろうなぁ/大汗

とはいえ、親子デボは、今のところとても楽しい。ここには書ききれないのだけれど(表現力不足もあり)大変恵まれておりますです。感謝。

ルカによる福音 (ルカ20・27-40)

 そのとき、復活があることを否定するサドカイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに尋ねた。「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、子がないまま死にました。次男、三男と次々にこの女を妻にしましたが、七人とも同じように子供を残さないで死にました。最後にその女も死にました。すると復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」イエスは言われた。「この世の子らはめとったり嫁(とつ)いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。死者が復活することは、モーセも『柴(しば)』の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」そこで、律法学者の中には、「先生、立派なお答えです」と言う者もいた。彼らは、もはや何もあえて尋ねようとはしなかった。


祈りのヒント
復活というのは「生き返らせる」を意味します。
そしてそれ以上は死なない、永遠に生きることを意味します。
人間が永遠に生きる状態ならば、生活習慣の次元が
異なります。
単なる結婚だけではなく価値観も変わるでしょう。
復活は、変われない人間を変わらせる要諦です。

毎日の祈り:2009/11/21

2 件のコメント:

まるがりた さんのコメント...

鹿子さん
お久しぶりです。
小鹿ちゃんと、親子で、デボーション、すてきですね。

わたしは、すでに信仰を伝えるということに失敗しているようです。
私がイエスさまのことを言うと、長男と次男は、シラ~~とした感じで、「また、イエスさまの話か・・」という顔をして、まったく聞く耳がありません。

次男は、小さいときは、友達にも「イエスさまは、救い主なんだよ」と言っていたんですけどね・・・。

ああ~~、さびしい。

小鹿ちゃんのご成長が楽しみです。時々、親子デボーションの様子、アップしてくださいね。

谷川鹿子:psalm42 さんのコメント...

わぁ、お久しぶりです!

まるがりたさんのところの息子さん達はみなさん、絶対に伝わっていると思います。
三男くんは、ストレートに出ていますが、長男さんや次男さんは、お年頃ですもの^^そういう態度になってしまうのは至極普通ですよぉ〜!
そんな道のりを経て、養われていくのだと信じます。
お祈りしますね。

ウチも一応、デボーションなんて読んでみましたが、実際はたいした内容ではないのですよ・・。
それに、わたし自信がいつまでたっても成長が無くてキリストの香のしない、相変わらず愚か丸出しな母親であり妻ですから・・。
この先、娘がそれにはっきり気がつき、かえって主や信仰というものに疑問を持ってしまうんじゃないかと、不安に脅えるのはしょっちゅうです。

どうしようもなくなって「ええい、恐れるなって書いてあるんだから、もう、お委ねします!」と丸投げして落ち着きますが(苦笑)

ユニケやモニカを思い、励まされましょう!

blog、引っ越されたんですねぇ、そちらにも伺わせて頂きますね^^