2008-05-26

Romans 1:16-32; 1 Samuel 9:1-10:16; Psalms 55

roma1:20 神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められる・・
1:25 彼らは神の真理を変えて虚偽とし、創造者の代りに被造物を拝み、これに仕えたのである。

1Sam9:2 キシにはサウルという名の子があった。若くて麗しく、イスラエルの人々のうちに彼よりも麗しい人はなく、民のだれよりも肩から上、背が高かった。

ps55:22 あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。(口語訳)



メモ
今日のロマの箇所を読みながら、watotoで思わせれていたことを何度も思い返す。
彼らが素晴らしかっただけに、真の礼拝の対象を礼拝してしないということがどんなことなのかということなど。
世的に恵まれていることが、神の栄光を現していないなら、虚しい以上に悲惨だということ。
1:20の後半では「弁解の余地はない」といわれているのだ。

サウルは美しかったんだよね。民が望んだとおりのビジュアルだったんだろうな。
ふと、思ったけれど、サウルも恵まれすぎ・・といえるかもしれない。恵んだのは主なのだから、それをあれこれとはいえないけれど、恵み(賜物)を無駄に・自分の好き勝手に使うとどんなことになるのかが、サウルの一生を通して現されている。
そして、ロマ書を書いたパウロはサウルと同じ名前だったっていうこと。彼の変貌を思う。

ダビデは、自分の重荷は主に委ねることとか、主は必ず救って下さると確信しているけれども、主の前にこんなに叫んでいるんだよね。
主の前には叫んで良いんだよね。お祈りの時、イイコぶる必要はないのだ。
綺麗なお祈りをしていながら、神様に不信感が一杯で身近な人にぶぅぶぅ悪態をつく・・ってなことは・・なんともはや・・だよなぁ(苦笑&痛っ)



昨日のCS、あれもこれもと盛り込みすぎ・・・。
フィギアも多すぎたかも知れない・・・(しゅん)。
一番小さい子は、ちょっと飽きてきていた(まぁ、これは年齢差があるから仕方がないんだけれど)。
ポイントを覚えていてもらうために引き算をすることは、つくづく大切だなぁ。

でもさぁ、アタシ、Aクンがいると実はすごくヤリニクヒ・・。なんか教官に見られているみたいなんだよね(苦笑)ま、乗り越えようぜぃ・・(いや、コレ、もしかしたら正直に言った方がいいのかもなぁ)。

礼拝後の奉仕者会の間、娘はお友達と遊んでいた。
ちょっと時間も長かったからか、喧嘩・・というより、途中から上手くいかなくなってきたようで(煮詰まっちゃったのかな)最後には泣いてやってくる。
自分で対処できるように導くけれど、「なんか、それってむずかしい・・」とひと言。
ふぅー、教えるのも難しいです、はい。
まぁ、ちょっと教えたからって、すっぱりすぐに上手くいくわけでもないしね。

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