2008-04-01

一日中、工作をしていた気がする(お天気だったのに・・)。
いろいろ調べて、「を!これはいいなぁ」と思っても、実際に作ってみないとわからないねぇ。
制作過程で「あ、これはあのこたちには、まだ無理だ」というのが出てくる。
娘は、大喜びだったが(工作大好きなので)、ちょっとうるさすぎて、途中で感情的に怒ってしまう。
ずっと家にいて、溜まっているものもあったんだろうなぁ。ごめんね。朝のうちにH公園まで連れて行ってもらっていて感謝。

なんというか、私もこのところちょっとイライラ気味だ。


通読は昨日からヨブ記がはじまる。雅歌の次ってのがなんとも・・。ただ、今、読みたくなっていたので感謝。

シンプルかぁ。
「ただ、主を見あげていることですよ」・・これもシンプルな言葉だよね。
この言葉で傷つくことも多いなぁ。どういう心でこう言っているか。
シンプルという言葉の陰に隠れて・・じゃなくて、シンプルに心を尽くし精神を尽くしだよね。
バランス。

民数記でメモした箇所(下記参照)から、マタイの以下のところを思い出した。
弟子たちは言った、「もし妻に対する夫の立場がそうだとすれば、結婚しない方がましです」。
するとイエスは彼らに言われた、「その言葉を受けいれることができるのはすべての人ではなく、ただそれを授けられている人々だけである。

夫って大変なんだよなぁ・・。
神様が、「夫」に期待されていることは大きいのだ。

「あなたがたの子育てについて、神様の前で責任が問われるのはご主人なのですよ」と、テモテ・コールさんがおっしゃったのが忘れられない。
けれども、民数を読むと、「子育て」だけではなく、「妻」についても神様の前で夫が責任を問われるのだと言うことがわかる。

(と、ここまで書いて、突如、夫に謝るアタシ・相変わらず単純、学んでも育まれていないし・汗)

創造のはじめから、助け手として造られたわたしたち。主は、私たちが「勝手に」することを喜ばれない。注:もちろん、私たちは自由なのだけれど。

思慮も浅いしなぁ。

「油」を、聖霊だと解釈する方もいらっしゃるけれど・・。ここはやっぱり「備え」とか「心構え」「生活姿勢」の例えだよなぁと思う鹿子であった。

ロイドジョンズの「旧約聖書から福音を・・」とか、ヤンシーの「祈り」で検索されて訪問ということがあるっぽい・・。まずいなぁー、ろくに感想も書いてないのに・・申し訳ない。
やっぱりbloggerだとgoogleでヒットしやすいのかな?困るー。かといって、まったくヒットしないように設定するの証にならんし・・。



今日の通読箇所:Matthew 25:1-30;Numbers 30-31;Job 1

・思慮の浅い女たちが、思慮深い女たちに言った、『あなたがたの油をわたしたちにわけてください。わたしたちのあかりが消えかかっていますから』。

しかし、もし夫がそれを聞いた日にそれを認めないならば、彼女の誓願、または身の物断ちについて、彼女が口で言った事は、すべてやめることができる。夫がそれを認めなかったのだから、主はその女をゆるされるであろう。 もし夫が彼女に何も言わずに日を送るならば、彼は妻がした誓願、または物断ちをすべて認めたのである。彼はそれを聞いた日に妻に何も言わなかったのだから、それを認めたのである。 しかし、もし夫がそれを聞き、あとになって、それを認めないならば、彼は妻の罪を負わなければならない」

・すべてこの事においてヨブは罪を犯さず、また神に向かって愚かなことを言わなかった。

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