2009-10-10

進化のプロセスを通じて神が働いておられること

ちょっとメモ。
twitterで、はちこさんが下記の様なtweetをしておられ、アヤラの書籍にあった以下の様なところを思い出した。

@mmesachi: 私は、宇宙の創造と、人の霊的形成(変容)にはパラレルなものがあると思う。神が瞬時にして宇宙を創造することはもちろん可能だったが、あえて長いプロセスを取ることを選ばれた。人の霊も、瞬時に造り変えるのでなく、敢えて長いプロセスを通ることを選ばれた


科学的知識は、宗教的信仰と矛盾するはずが無い。なぜならば科学は、啓示、宗教的現実、あるいは宗教的価値を指示する、あるいは反対する言葉を、何も持っていないからである。

全米科学アカデミーは、同じく次のように主張する。「ユダヤ教ーキリスト教の枠内で、多くの人々が、進化のプロセスを通じて神が働いておられることを信じている。
すなわち神は、絶えず変化している世界と、それを通じて長い時間に被造物が環境的変化に適応できる仕組みとの、両方を創造された*」。生物学者ケネス・R・ミラー、カトリック神学者ジョン・F・ホート、英国国教会司祭の生物学者で神学者のアーサー・ピーコック、および多くの他の神学者や宗教的著作作家は、神が進化のプロセスを通じて働く、と実際に信じている**。

アウグスティヌスは、すべての事物が神に依存するが、しかしまた、異なった意味で、自身の直接的原因、つまり遠い創造的原因に依存する、と主張した。「同じくアウグスティヌスは、それ自身の特定の現実、つまり世界のなかの神の原因的活動から区別される現実を、原因が創造された世界に与えようとした***」。

しかしながら、あるキリスト教徒たちは、進化論や科学的宇宙論を、創造の聖書物語に反していると考える。これらの信仰者は、自分たちの聖書解釈に基づいて、このような確信を持つ権利をもちろん与えられている。

けれども私は、「創世記」が宗教的啓示や宗教的教えの著作であり、天文学あるいは生物学の論文ではない、と断言したい。

その宗教的教えと同様に、世界に関してなされるすべての歴史的言及や叙述的言及は、聖書のなかで文字通りに理解すべきであると主張する人々は、聖書のなかに見られる矛盾した言明、つまり私が前に指摘したような「創世記」における二つの矛盾した創造物語、あるいは地球の周囲を回転する太陽といった誤った言明に関して、克服出来ない障害に遭遇する。
 
それゆえ私は、始めにここから出発した以下のような簡単なメッセージを繰り返すことによって、この著作を閉じたい。すなわち、神が世界を創造したことと同時に、諸惑星、山々、植物や動物が、自然的プロセスによって、最初の天地創造の後に、生まれたと信じることは可能である。真理が、真理に反することはあり得ない。宗教的信仰者は、現代科学の素晴らしい業績のなかに、信仰への脅威ではなく、神の栄光の現れを見るべきである。
 
フランシスコ・J・アヤラ著「キリスト教は進化論と共存出来るか?」藤井清久訳/教文館 より
注・・引用するにあたって段落等をblogで読みやすいように多少変えてあります。またボールドは、谷川鹿子によります。


* National Academy of Sciences, Teaching about Evolution and the Nature of Science
**Kenneth R. Miller, Finding Darwin's God; A Scientist's Search for Common Ground btween God and Evolution(この辺りの注は敢えてここに出さなくてもいいかな・とも。以下はまた後で気が向いたらメモしておきます)
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