2008-11-30

帰宅後、RSSリーダーを見て・・、はぅーな状態:水谷先生のblogから

そりわ、このエントリー↓なのね(ーー;
命と性の日記〜日々是命、日々是性 | クリスチャンホームから犯罪者

「熱心な信仰者、敬虔なクリスチャンである両親からどうして?」ではありません。それは、聖書をご存じない方々の感想です。むしろ、聖書はそうした可能性のあることを、とっくの昔に、私たちに教えています。


ああ、そうですよねぇ。
でも、ホント、子育ては大変ですよね、神様にすがるしかない(ダビデなんて詩編を見てもすがりまくっていたことが分かりすぎるほどなわけですが・・)。
そして、自分だけではできないです・・。しみじみ。

まぁ、家は「カタクリホーム」なので、そうでなくともへなちょこクリな私が幻想を抱きたくとも抱けないという現状は、ある意味、助けなのかもしれません。これは調子のイイ言い訳ではなく、主の配慮に、申しわけなくて胸が詰まる思いというか、んー、どう表現したらいいのかな・・。

週刊新潮、読まねば・・と、図書館チェックするも・・、あ、あしたは休館日。
買ってもいいのですが、多分、他の記事にあんまり読みたくないものがいろいろありそうなので雑誌コーナーで閲覧する方が良いでしょう(書店で立ち読みはしませんよん)。

アドベントの黙想の助け

イグナチオ教会「祈りの場」: 「今週はこんなことを心にとめながら祈ってみましょう」から一部引用

"私は、生まれてくる待望の赤ん坊に焦点をあてて、その赤ん坊が、どのようになるか、また自分の人生にどんな影響を与えるだろうかと思い巡らすマリアとヨセフを、思い起こします。マリアが行った準備を想像してみましょう。マリアは、予期せずにみごもった従妹エリザベスを手伝いに行き、そこで3ヶ月過ごしました。それから、マリアは、婚約者のヨハネが、マリアの妊娠を理解できない重大な危機的局面に、向き合わなければなりませんでした(マタイ1:19)。そして、このことが、子どもの誕生に向けてうまく進んでいるように見えた時、マリアは、住んでいたナザレから離れなくてはならなくなり、ロバに引き具をつけ、ベツレヘムへと上って行きました。ベツレヘムに着いたマリアとヨセフは、どの宿屋も満室で泊まることができませんでした。マリアの行った準備とは、思いもかけないこと、そして、望まれないことを整えることでした。クリスマスの最良の支援者は、物静かで、落ち着いたヨセフの存在にほかなりません。"


今日のおはなし(CS)は、受胎告知。マリアとヨセフ。

OYB11.30

通読箇所:Daniel 7:1-28; 1 John 1:1-10; Psalm 119:153-176; Proverbs 28:23-24

以下の聖書の引用はすべて著作権の切れた古い口語訳聖書から

D:その主権は永遠の主権であって、なくなることがなく、その国は滅びることがない。

1J:それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである。
これを書きおくるのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるためである。
神は光であって、神には少しの暗いところもない。
神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。

Ps:あなたのみ言葉の全体は真理です。あなたの正しいおきてのすべてはとこしえに絶えることはありません。
わたしを生かして、あなたをほめたたえさせ、あなたのおきてを、わが助けとしてください。

Pr:人を戒める者は舌をもってへつらう者よりも、大いなる感謝をうける。
父や母の物を盗んで「これは罪ではない」と言う者は、滅ぼす者の友である。



memo
始発とともに目が覚めた。今朝は暖かい。感謝。
主は慈しみ深い。

ヨハネは目で見て聞いてさわったのだということをあらためて思う。
そしてこれも、「語られた」記録なんだね。
ストーリーテリングとして受け継がれて来たのだ。

『その物語に感動して伝えたいと思うこと』・・これがストーリーテリングの学びで得た一番大きいところだったかもしれない。この場合(聖書)は「物語に感動」ではなくて、語られている福音や真理だけれど。

字面を追わない。

某件、何度も祈っているし「○○をゆるそう」と握りしめないで、主にあって手放そう。
それから余計なことは言わないこと。これは助けて頂こう。

本当に根が謙遜じゃないね。

謙遜って「キリストのよう」っていうことだと、どこかで読んだ。

1ヨハネでもっと促されるままに黙想するべきだった(記録よりそれが大事:反省)。

助けになるものを使うこと。

娘は最近、親へのリスペクトが欠けて来ている。

2008-11-29

YouTube:「クリスマス・ストーリー」


http://www.youtube.com/watch?v=gqGtA2QHkPI

YouTubeから登録チャンネル更新のメールが来る様になったんですねぇ.
って、私はキスト岡崎さん(キスト岡崎宣教師 プロフィール)のアニメがアップされているチャンネルくらいしか登録していないんですが、さすが!アドベント前に「クリスマスストーリー」をアップしてくださったんですねぇ!
で、さっそく拝見、面白い〜!み言葉そのままなんですが、六歳の娘も喜んでみていました^^

良く使わせて頂いている:ぬりえやさん・無料こども塗り絵site


ぬりえやさん・無料こども塗り絵

私の所属教会では、礼拝の前半にこどもたちだけ牧師館のDKに移動してCSの時をもつのですが、会堂にもどってからの時間に、その時の暗唱聖句を入れたりして、結構、ここのぬりえを利用させて頂いています。
カレンダーがついているぬりえや、父母の日の感謝状ぬりえ、ビンゴカードになるものなんかもあるんですよ♪

海外siteだと、クリスチャン向けぬりえも結構あるのですが、どうも絵柄が子どもたちには「こわい」「かわいくない」と感じるものが多い様なんですよね(ーー;

ぬりえに限りませんが、Kids向けでCSで使えそう&良いところをご存知の方は教えて頂けると感謝です。

OYB:11.29

通読箇所/Daniel 6:1-28; 2 Peter 3:1-18; Psalm 119:129-152; Proverbs 28:21-22

以下の引用は全て著作権の切れた古い口語訳聖書のテキストから

神の前にも人の前にも・・
ダニエルを訴えるべき口実を得ようとしたが、訴えるべきなんの口実も、なんのとがをも見いだすことができなかった。それは彼が忠信な人であって、その身になんのあやまちも、とがも見いだされなかったからである。

王よ、わたしはあなたの前にも、何も悪い事をしなかったのです

皆ダニエルの神を、おののき恐れなければならない。彼は生ける神であって、とこしえに変ることなく、その国は滅びず、その主権は終りまで続く。


2ペテロのこの御言葉を思い出せて良かった。
主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。

この日を待っているあなたがたは、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい。 また、わたしたちの主の寛容は救のためであると思いなさい。

そして、わたしたちの主また救主イエス・キリストの恵みと知識とにおいて、ますます豊かになりなさい。

詩編119:すべて素晴らしい、感謝。
最近、寒くてぐずぐずしていたよなぁ。
こんなに素晴らしい御言葉をもって私たちを祝福しようと待っていて下さる主に申し訳ない思い。

わたしは朝早く起き出て呼ばわります。わたしはみ言葉によって望みをいだくのです。


あなたのあかしは驚くべきものです。それゆえ、わが魂はこれを守ります。
み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。
わたしはあなたの戒めを慕うゆえに、口を広くあけてあえぎ求めました.
み名を愛する者に常にされるように、わたしをかえりみ、わたしをあわれんでください。
あなたの約束にしたがって、わが歩みを確かにし、すべての不義に支配されないようにしてください


箴言28:21-22
人を片寄り見ることは良くない、人は一切れのパンのために、とがを犯すことがある
欲の深い人は急いで富を得ようとする、かえって欠乏が自分の所に来ることを知らない。



メモ
やっぱり私には、こうしてwebにメモすることがとても励みになるんだなぁ。
別に人様に見せる為にやってるわけじゃないんだけれど、アップしていく行為っていうのは確かに助けになっている気がする。

まぁ、これもいつかは取られる時も来るのだろうけれど(あまり簡単に判断しないようにもしよう)。

振り返る為にするメモと、その時だけの為のメモ。いろいろあるけれど、今,強く思いを与えられたのは

目の前のことに翻弄されないこと。

信じよう。
私って弱くて本当に情けないな・・。

でも、神様はそんなことはとうにご存知。

それでもいつもこうして待っていて下さる。
いや、実はいつも共にいて下さっているんだよね。「待っていてくださる」ように感じるのは自分の状態の反映。

愛にすっぱりとくるまれ祝福を頂こう、それを余すところ無く噛み締めよう、そして感謝しよう。



追記
ダニエルのところを娘に話す。
(風邪のときに読んだものがたり等についても後でメモ)

2008-11-28

最近の読書

読書系は、ナウエン(ナーウエンが正しい表記でしたっけ?)の「愛されているものの生活」。
それと新教出版からでているルイスの奥さんジョイの生涯を書いた「CSルイスとともに」。

ナウエンの、これ、推薦する人が多い書籍なんだけれども、・・んで、実際読んでとても良かったのですけれど・・。
うーん、仕方が無いのかもしれないけれど、やっぱり「世俗」っていうのがとってもひっかかる(内容には関係ないんですけれどね)。
主を信じ受け入れた後に大切なのはガチガチの弟子訓練プログラムとか奉仕奉仕と急かすことじゃなくて、こういうことを噛み締めることだし、主の前に静まることや祝福にとどまることなんですね。

ああ、こういうふうになりたいなぁ・・、主にあってこういうふうに生かさせて頂きたいんですよね。切望。

霊的には、読みながらスンダル・シングの霊性(特に祈りについて)やアビラのテレジアの霊性(ってそれほどは知らないんですが)を何度か思わせられ、少し前に「私たちの念祷」を読んでおいたことも本書を読むにあたって個人的にとても良かった様に思いました。
やはりカトリック系には読みたいものが沢山ありそう。
&わたしもナウエンに主にあって祝福して(ってか、実際的には包括的なハグして)欲しかったかも。

ジョイの生涯はまだ読みかけ。
しかし、この女性は凄いですねぇ。たしかに経歴も複雑だけれど、やはりルイスの陰に隠れてしまって正当に評価されていないよなぁ。

関係ないのですがジョイが召されたのは、私が生まれた時ととても近いのです(だからどうだというのではないのですが、以前のハンドルはjoy♪でした/笑)。

近況をば・・

久々にblogをば・・・

iBook10.2.8G3が故障し、暫く修理には出さない予定なので、アドエス【無線LAN】なネット生活者@鹿ちゃんでした、アドエス君も調子がイマイチ・・(;;)それにメイン機がアドエスではもう目が辛いのです。
不本意ながら夫のPCを使わせて頂きながら、最低限、しなくてはならないことをする日々。
iBook10.3.9G4の方をリストアしたらなんとか復活。アドベント前に大感謝&感涙なのでございます。
やっぱ、Macはええよ。うん。

そうこうしながらランドセル選びなんかに、はうはうな日々でつ(それほどでもないか)。
A97は赤がいいんだとさ・・・(がっくし)。高学年になったらキャメルとか茶色が良かったと感じると思うんだけれどねぇ。

音楽教室も進級して家ではやる気漫々ですが、アタシと離れるのがどうにも高いハードルらしい。
まぁ、こんなことは半年もして振り返ると笑ってしまうことなのかもしれないんだけれど、今は参ってるかな。
相変わらず泣いているし/クラスで母が残っているのは・・・もうわが母子だけなのよ・・ふふ。

先週末から気管支炎で、救急夜間診療にも行って、疲れてるかな。
主人は「たいしたことない」と感じているらしいけれど、私はこの何日かろくに寝れてもいない。
まぁ、主人がクールなスタンスっていう事は、あながち悪い事ばかりでもなくて、実際は(振り返ってみると・・かな)感謝な事が多いのかもしれないけれど。


とかなんとかいいながら、もうアドベントのお話し準備アンド劇練習&裏方準備だ【しーえす】・・・。

あーーーーーーーーーー。


でも、まぁ、元気ですんで・・はは^^;

2008-11-17

休止しています(紛らわしいのでtitle変えました)

何度目になるのかな、iBookちゃんがまたしても、じぇんじぇん立ち上がらなくなり、アドエスから更新(無線LAN)していますです。
それにしても、はぁー(ため息)、これじゃ更新も閲覧も一苦労。
休みなさいということかな・・とも思い、またしても暫くお休みすることにしました。
SNS(mixi等)もお休みします。

そして・・寂しいのですが私もいよいよマカ-では無くなるのかもしれません(涙)

2008-11-16

日曜日の聖書とOYB

今日のOYBの箇所とせせらぎの日曜日の聖書の一部(エゼキエル)が重なっていた。

わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。


貧しく見捨てられた人。委ねられた時間。

黙想のヒント(せせらぎ日曜日の聖書より)

今日の福音を聞く度に、
マザー・テレサのことが思い出されます。
イエスが語られるままに、
飢えている人、のどが渇いている人、
旅をしている人、裸の人、
病気の人、牢にいる人の中におられる主に、
生涯をかけて仕えました。

きらびやかな宮殿の中ではなく、
貧しい厩(うまや)に生まれ、
「無学な田舎者」として育ち、
十字架の上で殺される生涯を選んだ神は、
この世の成功者ではなく、
貧しく見捨てられた人と自分とを同一視します。
毎日の生活の中で
その神を見つけるには、
マザーのように、
深い祈りによって清められた
信仰の目が必要でしょう。

今日の福音の問いかけに
素直に心を開くならば、
自分の生き方を根本的に
見直さずにはいられません。
委ねられた時間と力を
どのように使っているのか、
また、使っていくのか。

神が、今「栄光に輝いて…来る」なら、
私に何をおっしゃるでしょうか。
そもそも、私は今、
主の来臨を心待ちにしているでしょうか?
それとも、
今は困る、もう少し待ってください
というのが正直なところでしょうか?
もし後者ならば、何がどう変われば、
どうぞいつでもおいでくださいと
言えるのでしょうか?

「祈りの働きは愛であり、愛の働きは奉仕です」
(マザー・テレサ)

それぞれが、
神との正直な対話を通して
自分なりの具体的な答えを
見つけていける恵みを祈り求めましょう。


さぁ、今日からCSクリスマス劇の練習だ!
雨だけれど風邪をひいたりしていないかな。みんな来られるかなぁ。

2008-11-14

Precious Praise(もとMam'sPraise)のコンサート!明日です!


2008年11月15日(土)

13:30 開場 14:00 開演
※入場無料 自由席(献金有り)

蒲田御園教会


大田区西蒲田7-22-11
(JR蒲田駅より徒歩10分)


交通アクセスなど、詳しいことは、Precious PraiseのHPで!!

みんなぁー!頑張ってねー!お祈りしています!
アタシは出ませんが、多分(娘の具合次第)、観に出かけると思いマスです^^

やなせたかしサンはクリスチャン(聖公会)

先日、お友達が「この間、TVを見ていたらやなせたかしさんが出演していて、アンパンマンって自分をちぎって仲間を助けるんでしょう?いろいろお話しを聞いていたらあの方クリスチャンかと思ったわ」と言っていたのですが、私は「聞いたことがないから違うのでは・・」なんて答えてしまい、その後もよく調べもしませんでした(ごめんなさーい!!!)。
ああ、なんという傲慢さ・・自分は詳しいと思っちゃっているんですね・・で、自分が知らないから違うだろうと判断したのだと思います・・ホントに恥ずかしいです!!

やなせさんは聖公会のクリスチャンだそうです(参照→Wikipedia:やなせたかし)

そういえば、「アンパンマンのマーチ」などの作詞もなさっておられます。

そうだ、うれしいんだ
生きるよろこび
たとえ胸の傷がいたんでも
なんのために生まれて
なにをして生きるのか
答えられないなんて
そんなのはいやだ!
いまを生きることで
熱いこころ燃える
だから君はいくんだ
ほほえんで
そうだ、うれしいんだ
生きるよろこび
たとえ胸の傷がいたんでも
ああアンパンマン
やさしい君は 
行け!みんなの夢まもるため
 

(以下は割愛させて頂きました。続きはこちらで

紳士とオバケ氏 (ものがたりのもり): たかどの ほうこサン

今朝、教育テレビのこども人形劇で放映されていたお話し。
紳士とオバケ氏 (ものがたりのもり): たかどの ほうこ, 飯野 和好

確か昨年も放映されていて、あの頃はTVをほとんど見ていなかったのに、たまたま見た娘がとても気に入り「ルンバ」にあわせて踊っていたっけ。
何故か「ひめのおぉ〜どり♪ん〜〜っ♪らっぱるんばっ♪」と歌う。

ふと検索してみると、これは絵本ではないので、彼女はややがっかり気味。
でも、感想やレビューを見ると読んでも面白そう!図書館で借りてみようと思いMemo。

読んだらここに追記として感想をアップします。

OYB11.14

通読箇所:Ezekiel 29-30; Hebrews 11:32-12:13; Psalm 112; Proverbs 27:17

eze29-30:何かを偶像にしてしまうことの危険
heb11:39・・did not receive the promise:ダニエル「・・たとえそうでなくとも」
ps112:7→He will not be afraid of evil tidings;
His heart is steadfast, trusting in the LORD.
prov27:17→As iron sharpens iron,
So a man sharpens the countenance of his friend. →エペソ4:25,29,32を思う。


ヘブル11:35-38は「マカベア第二書の記事に基づくと思われる(チェーン式注解)」とある、マカバイ記のことだよね。読んだことがないんだけれど、続編付きも一冊あるので読んでみたい。



雑記
夕べ看病でほとんど寝ていなかったので、娘を寝かしつけて一緒に寝てしまい、今頃、起き出している。
明日(って、もう今日だね)の通読箇所を読んで黙想。メモ。

ヘブル11:39からダニエル3章の「たとえそうでなくとも」を与えられたように思い、その後net検索していたら、hk-_-zzさんのblogがヒットしてきた。
細かく言えば、主がそれぞれに語られたことは違うのだけれど・・それでも、なんだか嬉しい。
年齢性別も置かれているところも全然違うのだけれど、主への信仰と御言葉での繋がり・・blogってこいうところがとても面白いと思う。非常に励まされる。感謝。

音楽教室の教師が替わり、クラスのメンバーもほとんどが変わって、娘のプレッシャーは大きいようだ。来月から、いよいよ私の付き添いもなくなる。
しかも、このクラス・・、ほぼ全員が予習バリバリなんである。皆、とても耳が良いし、歌も鍵盤も上手く勘が良い。ツーと言えばカー。レッスンの雰囲気も内容も今までとはがらっと変わった。
ウチのおっとりとした娘・・ついていけるのだろうか。
宿題箇所も自分でノートにメモしなくてはならず、時間も一杯一杯気味。
初日は娘、泣きました(−−;

加えて先日は、就学時前健康診断があり、指定校へ。
新入学生一人に対して、五年生が一人ついてくれて教室回りなどもしたのだけれど、娘の担当は背の高い男の子だったからか(大きいお兄ちゃんや男の人が苦手なんです)、ここでも泣いてしまった娘(−−;

なんとか、フォローしつつ担当の男の子と少し話したけれど、シャイな表現の内側から「自分たちの小学校が大好きなんだ」という気持ちが伝わってくるのが微笑ましかった。

後日、在校生を持つママ友と情報交換する機会にもその事や、この学校の児童は違う学年でも全体的に仲が良く面倒見がよいことを伝え聞き安堵。
ランドセルのこと、体操服や上履きの指定店、用意する袋物など、来年になれば説明会があるのだけれど、彼女を通して先輩ママ目線からいろいろ教えて頂け(「何でも聞いてね」とメールも頂く)すごく感謝。

そういえば、先日のお話しボランティア講座で世話役だった司書の方のお子さんも同じ小学校へ入学すると聞いたっけ。これまた、なんだかこころ強い。

不安(退園しているし、バッシング関係から話せない面もあり)の中でも備えられている恵みの一つ一つを主に感謝。

2008-11-13

OYB11.13

Ezekiel 27-28:26; Hebrews 11:17-31; Psalm 111:1-10; Proverbs 27:15-16 (New King James Version)
繁栄(経済的に不安がないことも含む)とか賜物に溢れていることは、傲慢に繋がりやすい(偶像になりやすい)という側面ももっていること。安易に羨まない。
人の目(自分からでも他人からでも)から見て不遇の境遇というのは、神から見ると違うのだろうなぁ。しみじみ。

ヘブル 11:26
彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。

ここって、「報い」というのはヘブル書の書き手の表現だろう。なんても思うけれど。
聖書を読むと基本的にモーセはいつもシンプルに主の御心を行いたいと思っていただけだと感じる。
とはいえ、大変な中をあのわがまま集団を連れ歩いたんだもんなぁ。
これは教会にも同じことがいえるかもしれないよね。出エジプト・・紅海が割れて救われたものたちだけれど、歩みは大変・・。牧者も大変・・。

でも、教会を与えられたのはイエスさまだ。

なるほど箴言のここんとこは「争い好きな女を制する者は、風を制し、右手に油をつかむことができる」こうなるわけだなぁ。これも文字通りってわけじゃなくて、それくらい大変だということだよね。文字通りじゃないところなんて聖書にはいろいろある。


雑記
夕べ、何時間か娘の看病(っていうほどのものじゃないけれど)をしていて、一瞬、苦しんでいる娘の目がイエスさまの目に見えた時があった。
深い憂いを含んだ射るような眼差し。
思わず声に出して、主と娘に詫びる。

マザーテレサのエピソード(正確には映画のワンシーン)を思い出したけれど、私には決定的に愛がない。
愛が無いどころか、中心は非常に冷たくて相変わらず利己主義の固まりだということを突きつけられる。

打ちひしがれて悔い改めるも、今朝はある件で傲慢な態度をとっている。
皮肉なくらいの秋晴れが広がっているなぁ。

やっと落ち着いた・・かな

娘が九時頃から大泣きして苦しがり、何度か吐いてやっと今、落ち着いて寝ました。
先月末にも風邪で夜中に吐いて辛そうだし大変だった(でも久しぶりでした)のですが、今夜は熱もなく風邪ではなさそう。
私的には結構、精神的なモノでは?とも感じているのですが・・。
とりあえず、先日頂いた吐き止めがあったので、助かりました。
見ていると可哀想でたまらなくなるのですが、苦しみながらも自分の状態を説明出来るようになっているところに成長を感じたりもしました。

さて、今夜の夜間診療の病院はわかったし、もう少し様子を見て、大丈夫そうだったら明日かかりつけに行けばいいかな。
どうか、朝まで落ち着いて休め、速やかな回復がありますように・・。

2008-11-11

OYB11.11

今日の箇所:Ezekiel 23:1-49,Hebrews 10:18-39,Psalm 109:1-31,Proverbs 27:13 (NKJV)
以下、日本語の聖書箇所は聖書用語検索さんの該当箇所にリンクすることとしましたが、20節までしか表示されない設定なので続きは先方でお読み下さい(先方で利用者キー登録すれば全部読めます)。

エゼキエル23章:若いときにということが強調されている
ヘブル10:18-39:約束された方は真実
詩篇 109:1-31御名のために、私に優しくしてください。・・あなたの恵みによって救って下さい。
箴言 27:1320:16と同じ。着物は抵当。貸し借り同等の責任。↓NKJVはこんな感じ
Take the garment of him who is surety for a stranger,
And hold it in pledge when he is surety for a seductress.

雑記
寒い。
あんまり寒いので、このところ脂肪を付けたくて食べまくっている。
先頃、私も娘も風邪で酷かった。私は一ヶ月以上も不調。九月後半は酷い咳と痰だった。いろいろ手当法を試みるもいつまでも痰がからむ&声がれ、咳は治まったけれど痛いし、辛い。お話しWSの時も辛かった。仕方なく内科と耳鼻咽喉科を受診(でも、まぁ、イマイチだ)。
メタボ検査で測ったお腹周り(注:ウエストじゃない)は60センチ(夏)。まぁ、もともと寸胴だということもあるのだけれど。厳格な食事療法からか体重も39キロを切りそうだったので、気をつけている。記録によいと思ったダイエットマメグラフも早々に中止。数字記録などをつけ出すと結構燃えてしまうタイプなのだ。もう多分43キロくらいには戻ったんじゃないかなとは思うけれど。
痩せるといっても、全く素敵でもナンデもなくスタイルは良くないしシワは出来ちゃうし・・・(−−; 元気で健康な方がよい(切実)。

一昨日、娘は寝違えて頸が痛かったらしく、「おかあさん、後でお祈りして、すごく痛いんだもん・・」という。
彼女は、何かトラブルがあるとき何の疑いもなく、すぐにお祈りなのだ。ちょっと感動(しかし、これだけ信頼している場合はかえって幼いだけに以下のような不安材料も)。
そんな娘だけれど、昨日の朝、「おかあさん、神様におはようっていったのに、おはようの声がきこえなかった・・」と沈んでいた。夜のお祈りの時、「風は見えないけれど吹いている」のところからいろいろ話すけれども、どうも納得でき無い様子。知恵をもらいたいな。

妹から電話。
父に何かあったのかと思ったが、違う用件。
彼女自身は新しい仕事も充実している様子。良かった。

別件、なんとか力になりたいのだけれど、どうにもならない。はがゆい。

blogger、タイトルを付けるとgoogle検索でかなりヒットしてしまうので、日常のことはデボメモの下に雑記としてこっそり記録しようかと思う。
Fc2に移した過去ログにスパムコメントが結構入って憂鬱。承認制にしてあるのだけれど、確認するのもウンザリするような文章ばかり。Fc2は私には使いにくいし、広告も出るようになったし非公開にした。

2008-11-10

娘の礼拝説教メモ

(画像が送信できないので、テキスト化しました・オヤバカですかね・汗)

はっこうぱんだ
だれにも えー イスラエルでは すぎこしぱんは ぱんだねおいれないパン。
やまざきパン
にちじょうてき ばくろあらわされている
くらやみでいったことが 

あかるいやまがあって まるくかこまれている(この横に両手の絵が書いてある)やがいげきじょう 

ぶたいわ ちいさくしかしゃべれなかった したから 

いえのなかで てんだんという てんのかみとゆうか にじゅうのへい 
かけないとおくのばしょでもきこえる そうゆうところ

おもてがきれいで おなかがきたない。

かみさま・・・(イエスさまの顔の絵)
いちばんおそろしいんだ あとどこいくのかっておもう。

あんしんさせるためでしょう

とりのなかでもいちばんちいさいとりにほんでいま・・・。(国旗の絵)

5はのとり・・。4はしか おまけのもんだけもらうひとわいらっしゃらない。

ほうふく・・・。

それは・・しんぱいしないとゆういみです・・・。

今日はこのことを中心に祈っていこう

Major Mak's Diary: マタイ4:1-11「誘惑に打ち勝つ」の説教原稿pdfファイルを読む。

お祈りもきっちりした原稿になっていたんですねぇ。

OYB11.10(start)

Ezekiel 21:1-22:31;hebrews 10:1-17;psalm 108:1-13;proverbs 27:12

えっと、今年の通読は終わってしまった(アタシは結構プラン好き&大部分を流し読みなのでね)ので、先日からOYBをちょこちょこ読んでいます。ガジェットも見つけたので、ネコ温度計の下にレイアウトしてみました。
とはいえ、箴言や詩篇くらい(って、これだけでもシンドイよ)しか、エーゴでは頑張れないと思いますが・・(−−;
リンクしておけばたまにはやれるかもしれません。

お正月に気が変わって創世記から読み出すか、年末頃に黙示録を読むかも知れませんが、多分、今月はこのプランで読むでしょう。これ、日本語の聖書にもリンクしてあったらサイコウなんですけれどね。まぁ、こういうのはいろいろ大変なんだとは思いますが、祈っていこうっと。→(近いことが出来るのを発見!11日は新改訳聖書箇所へリンク張ってみました/でも大変かも

ちなみに今日の箇所:BibleGateway.com - Passage Lookup: Ezekiel 21:1-22:31;hebrews 10:1-17;psalm 108:1-13;proverbs 27:12

"A prudent man foresees evil and hides himself;
The simple pass on and are punished.(proverbs 27:12/NKJV)"

2008-11-08

webクリップ♪:ストーリーテリングとは?・・櫻井美紀さんのサイトから

実は今朝、図書館の子ども係の方からお電話を頂いた。
ちょっとびっくり・・な嬉しい連絡!と感謝な励まし。
急にいろいろな展開があるわけではないけれど、もし主が備えて下さったものなら喜んで進ませて頂こう。
その為にも、今の時間を有効に使おう、勉強しようと、検索していたら、興味深いテキストを発見。

ストーリーテリングとは?

ああ、これは興味深い!わたしが初めに感じたとまどいは、そう!これだったのだ。
そして、わたしの昨日の「とちり」もこの「つまり」だったわけだ!(もちろん、私の場合は準備不足も大きな要因ではあったのだけれど)

Home へジャンプしてみると、Storytelling Worldストーリーテラー、櫻井美紀さんのホームページとのこと。

凄い!コラム等の内容はもちろん、リンクなども盛りだくさん!

読みたい本memo:山田耕太著『ダラム便り』他

晴耕雨読の日々 : 日本のキリスト教ー「カトリシズムのない世界」:
"・・誤解を受けることをあえていうならば、日本にはヨーロッパでいう「教会」はない。教会と無教会を問わず、「日本の教会は、すべて無教会である」と指摘した石原謙氏の言葉(『日本のキリスト教』)は、正しいと思われる。無教会という現象は、日本という土壌で生まれるキリスト教現象の純粋型という感じさえする。キリスト者は、それほど違わないが、「教会」の機能が教会自体の問題として異なり、また、社会あるいは文化のなかではたらく機能が異なる。「教会」は普遍的制度的施設(アンシュタルト)としての性格を保持し、聖餐もバプテスマも、罪を赦し、救いをあたえるというサクラメントの機能を保持する。日本の土壌では、公けの「教会を信ず」というよりは、個人の「信仰を信ず」という感じがする。こちらでは、牧師は、ただの ー教会の機関を司る ー人であるのにたいし、日本の土壌では、牧師は特別な人 "先生" になる。したがって、「牧師につまづく」ということは、こちらではありえないし、一人の人格が教会に反映されることを牧師も信者も恐れる。このような「教会」の背後には、カトリシズム ー普遍性ーがある。カトリシズムをへたあと、十九世紀に日本にもたらされたキリスト教は、カトリシズムなしに、どのような教会を形成していくのであろうか。・・・"


今のところネットでは見あたらず。
キリスト教古書のお店にいってみようかな。あ、ドンボスコの「完徳の道」も見てこようっと(やっぱり岩波の古書は読みにくいのでした・・)。


それと、同blog(「福音派の禁書?」という記事にある:有賀 寿著『カゴの鳥と見るな 聖書の福音と福音派の福音』すぐ書房)にも興味があります。でも手に入らないみたいですね・・って私なんかが読んでもワカラナイかも知れませんけれども・大汗
「・・・本書は福音派の皆が間違っているとはいいません。しかし多くは間違っていると考えます。皆が福音を曲げているとはいいません。しかし多くは福音をみるも無惨な形に変えています。また、決心者のすべてが道を誤らされたとはいいません。しかし、極めて多数の人は、いかさまな救いをつかまされたといえます。それでいて福音派のクリスチャンは、聖書がどう伝道を教えているか、主イエスがどう福音を語られたかについて、改めて学ぶ必要はほとんどないと思っています。非常にたくさんのクリスチャンたちは、伝道者・牧師・宣教師・外人講師の話をただ鵜呑にし、それが聖書の教えと一致するかどうかを調べようとはしません。そうする必要も認めません。なぜか。それは彼らが「カゴの鳥」とされているからです。ではカゴの鳥とは何か。自分で自分の住まいを作るわけでなく、食糧を集めてくるわけでもなく、生きる努力をするわけでもない鳥。これをわれわれはカゴの鳥といいます。いいご身分だなと思われて生きていくのがカゴの鳥です。生まれおちる時からこういう生活をエンジョイし、その生活になんの不思議も抱かないのがカゴの鳥なのです。そして、福音派のクリスチャンの多くは、まさに「カゴの鳥」なのです。生まれでる時に聞いた「福音」を鵜呑にしてクリスチャンになったように、以後はずっと鵜呑の生活をしてきました。カゴは「トレイニング・クラス」という名で呼ばれていますが、そこで何をどう歌うのかを教えられると、その通りにしてきました。それが結構楽しいことも経験してきました。しかし、何も考えない。自分では何も考えない。これは「カゴの鳥」の問題です。あなたはいかがですか。」・・・(以下略)

・・・・(ここまで中略)・・・・チャントリー自身はカルヴァン主義の立場に立ちつつ(長老教会
出身)、次のように言います。


「聖書の確信についての教えは今日、わずかな人にしか理解されていないようである。信仰を告白したクリスチャンが自分の生まれ変わりのいかんを疑問におもうことを評価する人はごく少ない。彼らは神が約束を履行されることについてはなんの疑問ももっていない。しかし、自分がかかる約束を受け嗣ぐにたる条件を正しく果たしているかどうかには、疑問をかんじているのである。すべて悔い改め信じた者に、神が永遠のいのちをあたえるであろうことに、問題はない。しかし、通路をとおり抜けて前に行き、いのりのことばをまねして口にしただけで、信仰があたえられたとしてよいかどうかを、彼らは正当に反省しているのである。教理問答書をみれば、自分がうけためぐみが簡単にぬぐい去られないことは明らかだが、それならそのめぐみを自分は経験したか。「自分はほんとうに、信じかつ悔い改めたか」。神のめぐみを自分はほんとに受けたか。
「人の心は何よりも陰険」(エレミヤ一七9)だとすれば、この点は検討に値する。また、ユダのような自己欺瞞的な偽善者のいることを知っているなら、これは抜かしてはならない疑問である。「救われるには、どうしたらよいか」という質問は、「そうした(信じた)ことは、どうしてわかるか」という疑問と全くちがう。最初の質問には人はすぐに答えられる。しかし、第二の疑問に確かな答えができるのは、聖霊だけなのである。」   (『カゴの鳥と見るな』 pp. 130-131)


『カゴの鳥と見るな』は、キリスト教書店で長らく "禁書扱い"
でした。そうこうしている間に絶版となってしまいました。
しかし、自浄作用のないキリスト教会、「クリスチャンの始末は、
クリスチャンがつける」ことができなくなっている今日、再び
読まれる必要があるのかもしれません。
・・・以上:晴耕雨読の日々:blog記事「福音派の禁書?」より引用


晴耕雨読の日々blog、おやめになったのですねぇ。やっぱりという気持ちと残念な気持ちが交錯ちう・・。

2008-11-07

wrongとfaultless

こういう細かいところが気にかかるってのは、アレだね。目をそらしてるのかね、あたしゃ。
雨だし、まいったねぇ。

やはり「精一杯やった」といいきれないんだよなぁ。とはいえ、ぐちぐち言うのは無しだ。

娘、朝起きてすぐに鍵盤と歌の練習しだす。あのへなり(実は娘は進級しまして、クラスも先生もカリキュラムも新しくなったので、初回は緊張のあまり途中でちょっと泣いてしまったのです)はどこへ?
新しい楽曲や教材やウチ練習用のシール貼り等でモチベーションはアップ!俄然やる気の姿勢&行動にシフトしております。ストレートだなぁ。でも可愛いし気持ちがいいや。

娘の姿勢に無言で非常に教えられる母であった。

「きょう、ほんばん、がんばってね」

「わかったよ、(おっかちゃん)!」「ありがとね!」

For if there had been nothing wrong with that first covenant, no place would have been sought for another.(NIV)

Suppose nothing had been wrong with that first covenant.(NIrV)

For if that first covenant had been faultless, then should no place have been sought for the second.(KJV)

ASVとかNLTもfaultless

If the first plan—the old covenant—had worked out, a second wouldn't have been needed.(The Message)

NIrVって、意外とわかりにくいですよね。NKJVにしよう。どっちにしろちらっと参考にするだけなのですが(^^;

2008-11-06

「私たちの念祷」についてのメモ1

半分くらい読み進みました。
文章が「?」なところも多少ありますが、とてもとても良いテキストです。
コピーして紹介できないのが残念(読み終えたら、自分の言葉で書いておけたら良いなと祈っています)。
興味のある方は「私たちの念祷」で検索してみてください。

読み始めて暫くしてから、主の臨在が豊かに溢れて来ました。
これは、サンダー・シンクがお祈りについて語っていることの一部を読みながら、感じたことと非常に近いものの様な気もします。

アビラのテレジアが教えてくれることひとつひとつが、知性を超えてダイレクトに入ってくる感じ、そしてテキストを目で追っているのですが心は主に向かって切ないくらいなのです・・。

一体、今まで私は何をしていたのでしょうか。

こうして打つテキストのひと言ひと言が、また表現が、なんとも陳腐に感じられて情けなくなってきます。




アビラのテレジアに関しては、「完徳の道」を岩波版で持っているだけで(古書なので余計に読みにい)中断していましたが、このテキストを読んでからなら読めそうな気がして期待しています。

2008-11-05

その2

カレーを食べる鹿ちゃん一家・・だそうです。

つけてみました

なかなかよくできていますねぇ。
娘はこういうのをいろいろ考えてつくるのが大好きです。
隠れてこっそり作っては、嬉しそうに見せに来てくれます。

今日の工作

指輪だそうです。

お昼はおでん♪:ちくわぶ論争

最近、寒くなってきたこともあり、お昼はおでんに・・・(祈祷会はまだ娘が本調子ではないので休みました)。
まず大根と昆布とホシ椎茸、その間にこんにゃくの灰汁を抜き、さといもの下茹でをして皮をむいて加えてから、おでんだねを入れます。
大きすぎたかな?と思ったココットロンドもおでんの時は一杯に・・・。
今日は餅巾着の用意がないので、油揚げを入れておいて、食べる少し前に薄く切ったお餅を詰めましょう。
朝からとろ火で煮込んでいるので、リビングはぽかぽか。
やっぱりそろそろストーブの出番ですかね。

追記
食後、ちょっとした「ちくわぶ論争」あり。
江戸っ子の主人としては、「ちくわぶがないおでんなんて・・」なのだけれども、アタシ、ちくわぶって好きじゃない(でも、すいとんは好きなのです)です。
・・ので、いつもおでんだねを仕入れるときに全く頭にないんですよね。わざと忘れたワケじゃないのよ。ホント。
でも、愛、ないよね・・・。すまんのう・・反省。

2008-11-03

みはたまおりサン



書こう書こうと思っていたのですが、今頃になってしまいました・・汗
一昨年の娘のクリスマスプレゼントのひとつに「風よ あの子に伝えて フォーシーズン・チャーチ・カレンダー」という書籍を求めました。
イースター、クリスマス…教会暦を子どもたちにわかりやすく伝えるエッセイ
「教会には1年を通じて様々な行事があるけれども、それがひとりひとりのからだの内に書き込まれるとき、イエスさまカレンダーにそった生活を送ることができるのではないか。」そうした願いをもって、イースター、クリスマスといった教会の主要行事を中心に、キャラクターのイラストとともにたどっていく。
小宮山 賜夫
1958 年生まれ。牧師家庭の三男。大学でキリスト教学専攻。岡田稔(改革派神学)、石丸新(新約学)、森田進(日本文学)諸師に学ぶ。1988年、日本アライアンス神学校神学課程修了。牧師となる。現在、日本アライアンス呉教会主任牧師。同教会附属愛児園園長。JTJ宣教神学校講師
みはた まおり
広島県在住。イラストレーター。穴吹デザイン専門学校グラフィックデザイン学科卒業。2005年、ペットライン社・猫の手帖主催第16回キャネット大賞(イラスト部門)大賞受賞。2005年、KFS主催第1回ペットイラストコンテスト入選

上に引用させて頂いた出版社からの紹介にもあるように、教会暦関連のエッセイなのですが、娘はみはたまおりサンの繊細かつユニークな不思議ネコたち満載の色鉛筆イラストが大のお気に入り♪
ひとりでも開いては見入っています。
みはたまおりサンは小宮山先生の教会の信徒の方のようです。

ふと、検索してみるとサイト(「マルポレランド」)を持っておられました。ネコイラストはもちろんのこと、旅日記シリーズなんてもう〜サイコウです!!
みはたまおりさんのほのぼの&ひょうひょうとした文章&キャラクター&もちろんイラスト、たまりません。
ネコ好きにもたまらないサイトだと思いますよ。街でみかけたネコちゃんたちの画像もアップなさっています。
blog「マルポレランド日記」もお持ちのようです。
興味のある方は是非どうぞ^^

あー、若いってエエノウ・・。

2008-11-02

webクリップ♪:カウンセリングサービス/カウンセラー発!すぐに役立つ心理�

検索していたら、面白そうなサイトを見つけた(って、webクリップ♪ってついている時はそういうときの印なんだけれど)。
カウンセリングサービス/カウンセラー発!すぐに役立つ心理講座

盛りだくさんですなぁー。むむむぅ。
でも読むのは、ストーリーテリングのWSが終わってからだなぁ(そうだあよ!と自分に釘を刺すアタシ)。

検索でヒットしてきて読んだのはこれ「Lecture.20 執着を手放す方法 」
読んでみると、なんだか、ここ何年か読んできた信仰書籍の内容にも通じますなぁ。

私には、このステップ、どう考えても主の助け無しには出来ないと思うのですけれども・・。

2008-11-01

コパンのコンサートなのに・・

家にいるアタシ・・。
娘の風邪がまだ良くならず、看病しております。

今回私が司会だったのですが、ベテランの方がいらっしゃるので交代して頂きました。
機材の搬入搬出のお手伝いに主人が行ってくれて感謝。愛よのぉ・・。

コパンの到着が遅れたようで心配しましたが、無事にセッティングも終わり、これからコンサートが始まるとのこと。
神様の守りがあり、主のご臨在豊かなコンサートとなりますよう。
集う一人一人に豊かな祝福がありますよう。