2010-09-21

最も近い隣人は自分:野呂先生の「宗教的回心について」を読んで

時間があったら読もうとstanza(iPhoneアプリ)に放りこんであった野呂先生のテキストを読んだ。

「宗教的回心について」1984

これは、1984年8月12日06:30~07:00NHKラジオで放送された番組用の原稿をwebsiteにアップしたものらしい。
「良きサマリヤ人」の喩え話を考えながら宗教における回心とは何か、を一緒に学んでみようという番組だった様である(聞きたかった・・)。

個人的にも非常にタイムリーな内容で、かなり迫られる。
もっとも近い隣人・・・、それは自分なのだ(暫し呆然)

回心体験は、自分を隣人のように愛することで成り立つものだ、と私(野呂先生)は思っております。自分という人間を好きでたまらない人もおりますし、自分という人間が嫌いで仕方がない人もおられるでしょうが、好きでも嫌いでも、私たちにとって自分という人間は、いつも隣りにいて離れてくれない存在なのです。否応なしに、一生苦楽を共にしなければならない隣り人なのです。

瀕死の重傷を負って倒れている自分を見付けた時に、私たちはどうしたら良いのでしょうか。置去りにして逃げて行きますか、それとも、傷が全治するまで徹底的に付き合いますか。

まぁ、バウンダリーということも考えたり・・しましたが(「境界線」という書籍には、このサマリヤ人の箇所を引用した箇所があり、サマリヤ人は自分の仕事を放り出して瀕死の隣人に関わったのではない、自分の境界線内での関わり・・との説明があったりします)。


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