2009-11-30

「はい、いえすさま、はい」

今朝は、娘の大好きなペテロが出て来る箇所なので、にこにこである。

私「ペテロもアンデレも、はい!って、すぐに、ついていったんだよ。凄いねー」
娘「うん!あ、『はい。いえすさま、はい。』だね!」

ああ、相変わらず素直な娘よ・・
しかし
「体育が苦手でも頑張るんだよ」と促すと、うなだれていた。

ま、ちょっとづつ行こう!あなたは高価で尊いんだから^^
おかあさんも、体育は苦手だったのだけれど、中学になったら陸上部で選手になったりもしたよ(笑)いろいろあるんだよ。いろいろね。神様はいろんなものを用意して待っていて下さるから、楽しみに、祈って行こうね!

信仰深くても、弱さと傾きに満ちていても。
「私について来なさい。」と呼ばれる。



そうなんだよね。
ほんと、そうなんだよね・・


マタイによる福音 (マタイ4・18-22)

  イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼 らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。そこから進んで、別の二人の 兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。この二人 もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。

祈りのヒント
イエスは私たちを呼ばれる。
外で活躍する人も、家で慎ましく働く人も。
イエスは私たちを呼ばれる。
信仰深くても、弱さと傾きに満ちていても。
「私について来なさい。」と呼ばれる。
今、
握りしめている何かを捨て、従うかどうか私に問われている。
毎日の祈りより

2009-11-29

子鹿とデボ

子鹿とデボ
2009年11月29日(日) 待降節第1主日 C年
ルカによる福音 (ルカ21章)http://seseragi.jesuits.or.jp/06-gospel/g-index.htm

恐れないで思い煩わない事。
そしていつもイエス様が「いついらしても良い様にしておける事」をお祈り。

まず、喜びたいなぁ。
イエス様が再びいらっしゃるのは、なんといっても嬉しいことなんだよね^^

今日からアドベント♬

Posted via web from psalm42's posterous

2009-11-27

まず「アタシが構えないように」しよう

ずっと終末がらみの箇所なので、まずアタシが構えないようにしようと思わせられた。
「むずかしいよね」と毎朝、母から聞いていたら「聖書って難しいんだ」とインプットされてしまうよね。
無理して教えようとするのはよそう。私が感謝したり、賛美に誘われるところを、やわらかく分かち合えればいい。
ご近所の紅葉の綺麗な様を話し、葉っぱの色が変わる不思議や、それぞれの美しさを主に感謝。
知識によってわかる(だんだんわかるようになったことがあるよね)ことを少し話し、成長させて下さる神様に感謝。
神の国が近づいた・・というところにもちょっとふれる(これは「はあ?」という感じだった/汗)。
ルカ21・29-33
そのとき、イエスは弟子たちにたとえを話された。「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。葉が出始めると、それを見て、既(すで)に夏の近づいたことがおのずと分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい。はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」

祈りのヒント
紅葉した葉を
一枚手に取って眺めてみる。
秋になったことが分かる、知識と体験によって。
色づいた葉を見ながら祈ってみる。
葉の色彩は神の業を感じさせる。
私たちは「神の国が近づいている」と悟ることまで出来る。
イエスの言葉に養われることによって。

(via:毎日の祈り 2009/11/27

2009-11-26

きょうのとこはむずかしかった・・

今朝の箇所はルカ21・20-28
娘に分かる様に、噛み砕いて聖書箇所を読むだけでも、結構いい訓練というか、私も神様のお取り扱いを受けて恵まれる。
このところ、ずっと難しいと感じていた母だったけれど、娘は「きょうのところはむずかしかった」とのことなので、それなりに昨日までの箇所はわかっていたのだろうか。まぁ、あまり厳密に言葉を発してはいないだろうけれども。

イエス様が来る時は、はっきりわかること(だから騙されたりしない)
いろんなことの解決はイエス様にあること。
ちゃんと聖書を読んで祈って、備えている事が大切。

「人の子」とはイエス様の事。

というようなことを話して、お祈り。

そういえば、昨日(ルカ21・12-19)はここにメモしていなかった(まぁ、毎日、メモしなくてもいいのだけれど)
例えば、学校で先生やお友達にイエス様の事や自分の信じていることについて話さなければならない時には「何を言おう、どうしよう」と心配しなくても、ちゃーんとイエス様が教えて下さるよ。だから安心して祈ってね。ということを話して、お祈り。

祈りのヒント
核兵器、貧困とテロ、そして地球温暖化、
現代社会を生きる私たちはなすすべを知らず、不安に陥る。
豊かな生活を追い求める経済至上主義が招いた結果である。この呪縛を解くのは誰か。
その方は「大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来る。」
主よ、自己中心的な生き方から「解放」し、より深くあなたの価値観で生きていくことが出来るようにして下さい。
毎日の祈り 2009/11/26)より

2009-11-25

The Delights of Christmasとisa(大岡いさや)さん

The Delights of ChristmasというCDにisa(大岡いさや)さんの曲が入っていました!コレ、ええよ!(←下の動画とは違う曲です。いやぁ、他にも沢山のクリスチャンアーティストさん達の賛美が入っているんですが、鹿おばちゃん、isaさんのファンなので・・すんません/笑)このCDいろんなところで配られていますので、isaさんのマイスペページやしたりクリ書店などに問い合わせてみて下さいね。

思い出しては「大岡いさや」で検索していたのに、isaというお名前で活動していらしたんですねぇ。
5月にはFEBCのMEGさんの番組にもゲスト出演していらっしゃいました(;。;)逃してるしー。
でも、Myspaceにアカウントをお持ちだということがわかり&そこで2曲聞けるということも分かりました!(これは,マイスペのアカを持っていなくても聞く事が出来ます!)感涙
それと、youtubeにもアップされている動画が増えていました〜(下のがそうです。以前アップされていたのは、このblogの賛美カテゴリーに入っています)。
どんな方かといいますと・・
妻と娘を愛する切支丹の吟遊詩人
ガットギターでゴスペルを歌うシンガーソングライター
ブラジリアンスタイルの弾き語リスト
介護士でアロマセラピスト
ちょんまげ神学生のおとうさん

ライブもあるそうなので、うぉっと思った&気になる方はどうぞ^^

日時:2009年12月12日(土)開場5:00pm 開演5:30pm
会場:お茶の水クリスチャンセンター8F

JR中央線御茶の水駅お茶の水橋口徒歩1分。マクドナルド手前
チケット代:1,000円(当日券あり)

ゲスト:isa/423 Xunited from Iyse/SAMUEL/ナイトdeライト/塩谷達也/Aoba/FREE and more....

問い合わせ先:tdoc2009@gmail.com(クリスマスライブ専用)

2009-11-24

涵養←読めますか?意味もご存知でしたか?

最近ほぼ毎日「娘には難しい箇所だった」とmemoしているかもしれないが、
今朝の母娘デボ箇所も、娘に話すにはちと難しいと感じられる(私には)ところだった。

結局
「あそこにイエス様がいるぞー」とか「われこそは、イエス様であるぞよ」という声に惑わされて「わー、すごぉーい!」とすぐについて行かない&騙されない事が大切なんだよ・・と話す。

しかしこの「わー、すごぉーい!」&わりと素直ってところが、子鹿たんのいいところでもあるんだけれど・・/汗

母としては、今日の祈りのヒントも、短い文章ながら余韻を深く味わった。
しかし、涵養なんて普段、あまり(ってか全く?)お目にかからない単語ですよね(私だけかしら?)。




涵養(かんよう、地下水涵養)とは、地表の水(降水や河川水)が帯水層に浸透し、地下水が供給されることを言う。
表流水(河川や湖沼等)に水が供給されることについては、この用語を用いることはない。
.............提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より



ルカによる福音 (ルカ21・5-11)

そのとき、ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他(た)の石の上に残ることのない日が来る。」
そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴(しるし)があるのですか。」イエスは言われた。「惑(まど)わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」そして更(さら)に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。そして、大きな地震があり、方々に飢饉(ききん)や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。」

祈りのヒント
移り変わる時代の中で変わらないものがある。
それは「対話」による知恵の涵養。
膨大な知識も太刀打ちできない、真の「学び」へと導く。
それは「真理に根ざした愛」につながっていく。
「わたしの名を名乗る者が大勢現れるが、ついて行ってはならない。」
人生の師はただ一人、それはイエス。
主よ、あなたとの親しい交わりを通して、あなたの知恵を授けてください。

毎日の祈り 2009/11/24より

2009-11-23

レプタ二まいをささげたおんな

今日は、聖書カルタでおなじみの子鹿も良く知っている箇所で感謝。

そそがれているかみさまのあいを、いっぱいかんじられる日でありますように・・。

ルカによる福音 (ルカ21・1-4)

 そのとき、イエスは目を上げて、金持ちたちが賽銭箱(さいせんばこ)に献金を入れるのを見ておられた。そして、ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、言われた。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏(とぼ)しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」

祈りのヒント
なぜ、この貧しいやもめは、生活費全てを献金することが出来たのか。
それは、神に対する感謝の出来る限りの表現だったに違いない。
明日は分からないが、今日一日生きることが出来たのも、神の愛を深く実感できたから。
この確信が明日を生きる力の源になっていく。
主よ、もっとあなたの愛に委ねて生きることが出来ますように。

(毎日の祈り 2009/11/23)

2009-11-21

神様によって生かされている

今日も箇所も、難しくて(って、毎日ですですだよ)、まず自分のデボで祈りまくり(苦笑)

結局、
「天国にいったら、あれはどうなるのかなぁ?これはどうなっちゃうんだろぉ?と、悩んだり取り越し苦労をしないで、イエス様に会えるんだぁーと楽しみにしながら、今をちゃんと生きようね。みーんな、神様によって作らて、神様によって生かされているんだから感謝していこうね・・」と話す。
(もっと聞きたいというので、実はもう少し話したんだけれど、個人的なお話がらみなのでここには記さないことにします)

親子デボーションでの娘の様子を観察していると「すごぉーい!」という感嘆が多いのに気がつく。この子のいいところは、かなり本気で驚き、かつ、喜んでいるところ。
「幼子の様にならなければ・・」って、こういうことなんだろうなぁと、目の当たりにすると、つくづくなんとも恥ずかしいばかりの我が身よ・・なんである。

来年くらいにはもう「そんなこというけれど、おかぁさんだって、○○(orやってない)じゃなーい!」なんてツッコミを入れられちゃうんだろうなぁ/大汗

とはいえ、親子デボは、今のところとても楽しい。ここには書ききれないのだけれど(表現力不足もあり)大変恵まれておりますです。感謝。

ルカによる福音 (ルカ20・27-40)

 そのとき、復活があることを否定するサドカイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに尋ねた。「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、子がないまま死にました。次男、三男と次々にこの女を妻にしましたが、七人とも同じように子供を残さないで死にました。最後にその女も死にました。すると復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」イエスは言われた。「この世の子らはめとったり嫁(とつ)いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。死者が復活することは、モーセも『柴(しば)』の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」そこで、律法学者の中には、「先生、立派なお答えです」と言う者もいた。彼らは、もはや何もあえて尋ねようとはしなかった。


祈りのヒント
復活というのは「生き返らせる」を意味します。
そしてそれ以上は死なない、永遠に生きることを意味します。
人間が永遠に生きる状態ならば、生活習慣の次元が
異なります。
単なる結婚だけではなく価値観も変わるでしょう。
復活は、変われない人間を変わらせる要諦です。

毎日の祈り:2009/11/21

2009-11-20

宮きよめ

今朝は、「宮きよめ」の箇所。
「宮きよめっておぼえてる?」というと、暫く考えて「イエス様が、教会で怒っちゃったときのこと?」というので、少しホッとする私。
ただ、どうして怒ったのかはあまり覚えていなかったようだった。

「いまは、教会に生け贄の動物を持って行く必要がないのはどうしてだと思う?」
「うーん、うーん、時代が変わったから?」
「(;。;)そうかなぁ?罪を赦してもらうために、もう生け贄はいらないっていうことなんだけれど・・」
「あ!イエス様が生け贄になってくれたからだね!」
「うん^^(あぁー、良かったー、わかっていてくれて)」

今朝の「祈りのヒント」はわたしにも新鮮だったので、「モノを売る心」というのを少しお互いに考えてみた。もちろん、仕事として正しく商売するのは良い訳で、そこを説明しつつ、反省点を探るというのは、まだ娘には難しかった様だ(って、アタシもだが/汗)。
「分け隔てなく、お友達と接する(どのお友達にも優しくする)ことが出来ます様に」と祈る。母も同じです。母は特に身近な人々とのことに心を砕けます様にと祈り。

[夢中になってイエスの話に聞き入っていた]というところも、とても印象的。娘もこの箇所で、笑顔になった。



ルカによる福音 (ルカ19・45-48)

そのとき、イエスは神殿の境内(けいだい)に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、彼らに言われた。「こう書いてある。
『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』
ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」
毎日、イエスは境内で教えておられた。祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀(はか)ったが、どうすることもできなかった。民衆が皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていたからである。

祈りのヒント 
商売をするのは売る人と買う人がいることです。
しかし、イエスは買う人については何も言いません。
売る人の目的と買う人の目的は異なります。
私たちも物を売る人の心で教会に通っていないか、心を見てみましょう。

毎日の祈り2009/11/20より)

2009-11-19

実はこの方も・・♬→「ユキンコの手づくり生活」(blog)


最近,鹿ってば「百万人の福音」立ち読みすらしていなかった・・ゆるして「ひゃくふく様(ん?なんかこう略しちゃうとクリ系ぢゃないっぽいね/汗&笑)」

実は、今日、とあることから12月号を頂きまして・・ぱらりぱらりとページを繰っていると、「あれ?こ・これは?この作品の感じは、手芸デザイナーのユキンコさんでは?」と思い、帰宅して、検索してみると・・Wow
まさか、このユキンコさんが、本当にあのフェリシモのクチュリエとかで活躍されている、ユキンコさん(ご本人)だったなんて!!
クリスチャンだったなんて、う・嬉しすぎーーーーーーー!!!と「クチュリエの種」大好きな子鹿と大騒ぎ♬
知らなかったなんて、鹿、一生の不覚といえそう・・って、知っていたからってどうなのよ・・という突っ込みは無しでひとつ・・。
どうも、7月号から「ユキンコのあの人にあげたい手作り雑貨」新連載されていたらしいのだ(しかも7月号なんて聖書カバーでごじゃるよ)!!
これからは、絶対、この連載を見逃さないぜ!

OCCとかでニット系のクリイベント(まぁ、そのぉ、ニットカフェ系やわらかゆるゆるアウトリーチとかさぁ)やらないかなぁ・・。もう,マジで真剣に祈ろうと思ってる、アタシ。

hand*made大好きなクリ樣方、一緒に祈りませう〜!


そうそう、こんな素敵なblogもお持ちなのですよぉ→ユキンコの手づくり生活(画像も参照下さい)

ケーキを焼く事?

今日の箇所も難しいかな・・。説明するのに祈る。
聖書を開いて、この箇所の前「ホサナ!ホサナ」と喜んだ群衆の様子等のところから始めた。
エルサレムにいたラビ/先生たちはこの後、イエス様にどんなふうにしたか?聞いてみると・・
「助けてあげた」と、にっこり答える娘(ーー;
ちょっと変わった切り口で語ると分からなくなってしまうのかな・・、ということは、まだしっかり理解出来ていないのだなぁ。
まぁ、こういうときは十字架について話せるよい機会でもある訳で、あんまりがっかりせずに、上手に切り返さなくちゃね(こういう余裕やヒントが生まれたのも、CS奉仕のおかげかもしれない)。
そして、「十字架につけろ」といった人たちの事も、イエス様は赦して下さったことを話すと、驚いていた。心の中で、「だから、あなたも赦されているよ」と祈る。
最後の質問(私個人に頼むことは何でしょうか?)には、「ケーキを焼いて欲しいと思ってるんじゃないかなぁ」との答え・・・orz
や・・やりがいがありますぜぃ。
私は主人のこと、家の事、にもっと眼を向けること。教会の事はこれ以上悩まずもう委ねる事。

ルカによる福音 (ルカ19・41-44)
エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しか し今 は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁(ほうるい)を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地に たたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」

祈りのヒント
イエスが泣く理由を考えて見ましょう。
神が涙を流しながら私たちに願うのは何故でしょうか。
私個人に頼むことは何でしょうか。
私たちが神に願うことと、神が我々に願うことの差がありますか。
それが同じだったら幸いでしょう。
毎日の祈り 2009/11/19

携帯メールしておいて読む:教会と(自助)グループを考える | おふぃす・ふじかけ(blog)

また、藤掛先生のblogですが、興味深い記事を昨日発見。今日の通勤空き時間にこれを読んでおきたいなぁと思いメモ。

教会と(自助)グループを考える | おふぃす・ふじかけ(blog)
・・・・
(ⅰ)第一のハードル 〜 二重関係性の問題

 自助グループでは、匿名性と守秘義務を基本としている。だから短期間で、深いグループ体験が生じる。通常、グループで出会った人とは、グループ外では会わない。連絡先も知ることができない。グループによっては、実名も知ることができない。カウンセリングでは、二重関係性の禁止という言葉がある。

 もし、この枠をはずしてしまうと、非常な混乱が起きる。グループ・メンバーが、グループ外でも会うと、たとえば、秘密を知っていることで権威や主従関係が生じたり、たとえば、濃密なグループ内の関係性を体験したことで、擬似的な親しさや敵対心が生じたり、深刻な悪影響が生じてしまう。
 
 さて、こうした事柄を考えると、日本において、ひとつの教会のなかで、自助グループを始めるとき、この二重関係性の問題のハードルが高いことに思い至る。グループで関わった人が、他の教会生活場面では、友人・知人として関わる。あきらかに二重関係になる。

 この二重関係性をうまく超えることができるのは、いろいろな事例があるはずだが、すぐに思いつくのは、たとえば次のような展開や状況だ。・・・・

2009-11-18

藤掛明先生の講演「宣教における女性の働き」がDVDで販売決定とのこと

なんと1000円だそうですよ!
ん?あ、1枚1000円なのかな?①メンタルヘルス(50分)、②人間関係(50分)と、二枚あるみたいですね。

速報:DVD講演<宣教における女性の働き>販売が決定  | おふぃす・ふじかけ(blog): "速報:DVD講演<宣教における女性の働き>販売が決定 "


お問い合わせは、PBA太平洋放送協会へどうぞ

トレロカモミロ

いや,懐かしい。これ、娘も今、音楽の時間に歌っているそうで、つい母娘で大合唱。
しかし、未だに歌詞を覚えている自分に愕然。
おかぁさん凄い。
こんなことでし凄いといわれないよ、アタシャ(苦笑)

牛は黒牛 すごい鼻息
五人がかりで 連れてきたが オレ!
牛と戦う 男はどこだ
お客はどなる 早く出て来い
オレオレオレ!

その名たかき トレロ カモミロ
男の中の 男だけど
トレロ カモミロ とても寝ぼすけ
戦いよりも 昼寝が好き

ランララ ランララ ランララ ランラン
ランララ ランララ ランララ ランラン
ランララ ランララ ランララ ランラン ラン
オレ!

トレロ カモミロ あくびしながら
闘牛場へ 出てはきたが オレ!
牛に背をむけ ごろりねそべり
それじゃみなさん おやすみなさい
オレオレオレ!

牛はカンカン  角をふり立て
カモミロめがけ 突いてきたが オレ!
片手でちょいと 牛を転がし
これは素敵な 黒いベッド
オレオレオレ!

テキトー千切り黄瓜と海苔・醤油ごま玉葱ドレッシングがけ玄米ご飯からケラリーノ

文句無く旨い。
千切りレタスと(黄瓜を)チェンジしても、混ぜてもイケマス。旬の大根でも良かろう。海苔はドサァーッと入れるが好い。ゴマも新鮮な炒りごまをすっても粒のまんまでもな。ドレッシングは手作りもいいが、co-opの野菜たっぷり和風ドレッシングもかなりいいのだ。大分県臼杵(うすき)市にあるフンドーキン醤油が作っているらしいのだが、ウィリアム・フリードキンが作っているのではない念のため。エクソシストは名作?昔,高円寺の古本屋でなかなか手に入れられなかったのよ>鹿。しかしたまにふと、サスペリアのテーマと混同してしまう事がある/恥。お試しあれ〜(って、何を試すんだかわからんし、まぁ誰も試さないと思うが/苦笑)
ああ、画像がないと食べ物ネタはサビシい。

以上。

ケラリーノ・サンドロヴィッチのblogを発見し、あまりにもハマってこんな文章。しかし、なんて心地よいの、有頂天、オヤヂギャグすまん。しかも「ウディ・アレンの高相」
山下洋輔の次に好きかも。でも、痩せた方がヨイかもケラリーノ、私より年下だもん「KERA痩せろ!」という、頭脳警察ファンらしい威勢のいい野次に「痩せます」フツーに返したのも、清志郎さんのことを考えてボォッとしていたからだそうだが。美しくて素敵な奥様とお幸せに。そしてこんなところでもまたアリガトー忌野清志郎/涙

恐れに負けないのは、 ごく単純な考えから

さて、今朝はルカ19・11-28・・・。はぅ、いきなり難しいところですぞ。けれども、この箇所ってあまり構えたり、考え過ぎたりする必要は無いのかもしれないなぁ。「おさな子の様に」という言葉をかみしめる。
「祈りのヒント」によって助けられ導かれつつ娘と話せました。感謝します。
「こわい」って思って、そのままだまってしまったりあきらめないで、まずは「イエス様、たすけて下さい」ってお祈りしてごらん。(*娘は今、先生や友だちに上手く自分の気持ちを伝えられなくて苦しんでいます)
この「しもべ」も、「こわい」って思って何もしなかったでしょう?
もしかしたら、何も出来ないかもしれないけれど、イエスさまを信じてお祈りすることができたら、それだけでもいいじゃない。おかぁさんは、そう思うよ(それに、実はこのおはなしのご主人さまはイエス様のことなんだよ)。
イエス様は、ご自分を信じて祈っている、こどもを、うぅうーんと可愛いと思われるのよ。

<


ルカによる福音(ルカ19・11-28)
そのとき、イエスは一つのたとえを話された。エルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐにも現れるものと思ってい たからである。イエスは言 われた。「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった。そこで彼は、十人の僕(しもべ)を呼んで十ムナの金(かね)を 渡し、『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい』と言った。しかし、国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、『我々はこの人を王にいただき たくない』と言わせた。さて、彼は王の位を受けて帰って来ると、金を渡しておいた僕を呼んで来させ、どれだけ利益を上げたかを知ろうとした。最初の者が進 み出て、『御主人様、あなたの一ムナで十ムナもうけました』と言った。主人は言った。『良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だったから、十の 町の支配権を授けよう。』 二番目の者が来て、『御主人様、あなたの一ムナで五ムナ稼ぎました』と言った。主人は、『お前は五つの町を治めよ』と言った。また、ほかの者が来て言っ た。『御主人様、これがあなたの一ムナです。布に包んでしまっておきました。あなたは預けないものも取り立て、蒔(ま)かないものも刈り取られる厳しい方 なので、恐ろしかったのです。』 主人は言った。『悪い僕だ。その言葉のゆえにお前を裁こう。わたしが預けなかったものも取り立て、蒔かなかったものも刈り取る厳しい人間だと知っていたの か。ではなぜ、わたしの金を銀行に預けなかったのか。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きでそれを受け取れたのに。』そして、そばに立っていた人々 に言った。『その一ムナをこの男から取り上げて、十ムナ持っている者に与えよ。』僕たちが、『御主人様、あの人は既(すで)に十ムナ持っています』と言う と、主人は言った。『言っておくが、だれでも持っている人は、更(さら)に与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる。ところ で、わたしが王になるのを望まなかったあの敵どもを、ここに引き出して、わたしの目の前で打ち殺せ。』」
イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。

祈りのヒント
私たちは恐れがある時、計画通りに行かない場合が多くあります。
福音の中の,一ムナを渡された僕は、恐れの中で自分の能力を発揮することが出来ませんでした。
恐れに負けないのは、ごく単純な考えから始まることかもしれません。

毎日の祈り 2009/11/18

2009-11-17

littleprayer

 今朝から、子鹿と「毎日の祈り」を使ってデボーションをすることにした。

今までは、おもに「イエスさまはいつもいっしょ」(幼稚園児代から使用)やCS成長ワークの後ろにある毎日の聖書(CSでのメッセージ箇所がカリキュラムどおりでないので違和感が出て来た)を使っていたが、母と同じものを使ってみたいとのことで。
ちょうど、ザアカイさんのところで親しみや馴染みもあり、始めやすくて感謝。
娘は「イエスとの出会いに足りないのは何でしょうか」の問いに
「お祈りかなぁ」とのこと(先月、超教派のキッズフェスティバルでメッセージの後で「イエス様はわたしのことなんか赦してくれないよ、きっと」と泣 いてしまい、母が短く福音を語って祈ったけれど、「イエスさまのことはだいすきだけど、なぜ、しんじただけでわたしがゆるされるの?」とまだまだ不安な状 態)。
私は、謙遜と寄り添う心かな。そしてそれはやはり愛によって溢れさせて頂きたい。
「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。 人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」
救いはイエス様ご自身だし、ザアカイの行いは受けた愛の喜びから自然に溢れ出た行いだ。
ザアカイはもうたまらなくなって、施したこと。
主よ、私は恐れから自分のことで一杯一杯になりがちですが、いつも歴然と溢れているあなたの愛に敏感にして下さい。暗い中にあっても、一筋の光から眼をそらすことがありませんように。

ルカによる福音 (ルカ19・1-10)
そのとき、イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭(かしら)で、金持ちで あった。イエスがどんな 人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮(さえぎ)られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑(ぐ わ)の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。 今日(きょう)は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深 い男のところに行って宿をとった。」しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施(ほどこ)します。また、 だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。 人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」


祈りのヒント

イエスに会いたいと願う人が信徒の中に多くいます。しかし、その願いが聞き入れられないのは理由があるようです。ザアカイは背が低いのがその理由でした。しかし彼はそれを超える努力をしてイエスとの出会い、救われます。今私たちに、イエスとの出会いに足りないのは何でしょうか。(毎日の祈りより)

2009-11-14

ドブソン博士が、来年2月に引退 だそうですね

ちらちらと小耳に挟んでいた様な気もするのですが、FFの前島さんのblogに昨日upされていました(ので、日本でも正式?に発表されたのでしょう)。

ドブソン博士が、来年2月に引退 - 家族をめぐるどこにでもあるオハナシ - Yahoo!ブログ: "より
ジェームス・ドブソン博士が

「来年の2月でラジオ放送の制作からも引退する」と発表した。

これは、理事会とご本人の一致した結論だという。

団体の代表の立場は、もう6年も前に後進に譲り、

今年の2月には理事長、理事の職からも退いて、

来年の2月には、自らが創立した団体から名実共に身を引くという。

3段階の引退の、最後の1段階となる。

73歳。健康上の問題があるわけではない。

今も、放送は続けており、これから4か月先まで続ける。

「女の子を育てる」という著書も執筆中である。

形としては「理事会からの引退のお勧め」らしい。"

2009-11-13

今日の箇所を、ちょっとmemo

続編付きの聖書を本棚から探しておこう。
細かいメモは、後で

知恵13・1〜9
神を知らない人々は皆、生来むなしい。
彼らは目に見えるよいものを通して、存在そのものである方を知ることができず、作品を前にしても作者を知るに至らなかった。かえって火や風や素早く動く空気、星空や激しく流れる水、天において光り輝くものなどを、宇宙の支配者、神々と見なした。その美しさに魅せられてそれらを神々と認めたなら、それらを支配する主がどれほど優れているかを知るべきだった。美の創始者がそれらを造られたからである。もし宇宙の力と働きに心を打たれたなら、天地を造られた方がどれほど力強い方であるか、それらを通して知るべきだったのだ。造られたものの偉大さと美しさから推し量り、それらを造った方を認めるはずなのだから。とはいえ、この人々の責めは軽い。
神を探し求めて見いだそうと望みながらも、彼らは迷っているのだ。
造られた世界にかかわりつつ探求を続けるとき、目に映るものがあまりにも美しいので、外観に心を奪われてしまうのである。だからといって彼らも弁解できるわけではない。宇宙の働きを知り、それを見極めるほどの力があるなら、なぜそれらを支配する主をもっと早く見いだせなかったのか。

・ルカによる福音 (ルカ17・26-37)

memo帰って来たら読む:松岡正剛の千夜千冊『免疫の意味論』多田富雄

松岡正剛の千夜千冊『免疫の意味論』多田富雄


問題は「部品の病気」と「関係の病気」ということなのである。部分が治ったからといって、関係が治ったわけではない。


ふつうのシステムはいろいろな要素を組み立ててできるんです。スーパーシステム(多田さんには、スーパーシステム論という大胆な仮説がある。)は、要素そのものまで創り出しながら自己組織化していくシステムのことです。まさにすぐれた文学と同じです。


『生命の意味論』(新潮社)を読んでいたら、「人間は女がモトで、男は女があとから加工されてできあがった」と書いてあったでしょう。

スーパーシステムは自己創出系と言ってもいいでしょうね。ただし、最適解を求めているわけではない。生命には「最もよいという発想」がありませんからね。(中村桂子) 多田富雄も同意する、生命は、きっと曖昧の原理のようなものを最初から含んでいたんでしょう。


まず、男が創られ。
また、諸々の創造の後、神は「それは非常に良かった」とおっしゃったのだが。
でも、ガリガリになって読む気は無いdesu。
こういうのを意図して読まない様にして来たのですが、そろそろ読んでも面白いかな・と。まぁ、買ってまで読むかどうかはわかりませんが。

追記
帰宅後、検索してみると、区の図書館に蔵書があるのを発見。'93年4月出版だったのですね。
予約しておこうかなっと。